第3章-4

「桜町通り、か」

 恵太は聞き捨てられなかったその名前を呟く。以前、竜海から聞いた幼稚と思える噂でも登場した地名。唯本人の言葉まで重なれば、むしろ信憑性の高い情報ということになってしまった。

 幽霊女がストローで弧を描くと、存在を主張するようにカラカラと氷が音を立てた。熱心に莉花の話に相槌を打っていたかと思えば、ところどころ白けたような顔で目のやり場を探す。莉花の掠れ声と、幽霊女のせわしなさ。恵太は両方が気になって時々話を見失いそうになりながらも、頭の中で情報を整理し追いついた。  

莉花が話し終えても、幽霊女は感想の一つも告げる様子はない。放っておくわけにもいかず、恵太が学校で逃げられた時以来の莉花との会話を試みることになった。随分生気が無くなったようにみえる莉花に、あえて軽い調子で言葉をかける。

「今の話だと、唯が死んだこととお前が関係あるかは微妙なんじゃねえの」

 恵太は口にした以上に、莉花が自分を責めるのはお門違いなのではないかという印象を受けていた。いくら自殺や嫌がらせといった陰惨な話をされたとはいえ、唯はただ聞いた側の人間だ。命を絶つという選択に繋がることなどあり得そうになかった。

「分かんないけど、これ」

 目を合わさず、莉花がスマホをテーブルの上に出した。以前逃げ出した後ろめたさがあるのだろうか。恵太に対して、莉花が接し方を手探りしているように見えた。莉花の態度を煩わしく思いながら、恵太は示された物を見た。

「唯のストラップだな」

 画面の上に、笑った顔のままのピエロが寝かされている。学校で恵太が莉花を追った時に見たのは、やはり唯のストラップだったのだ。

「屋上で会った次の日、唯と最後に会った時にこれを持っててほしいって言われてさ」

「ストラップを? なんでだ?」

「分かんない。理由は聞いてもただ笑ってた。意味わかんないけど、面白い子だなって思ってもらったよ。そしたら何日かして、あんなことになった」

「死んだ、か」

 頷き、莉花は初めて紅茶を口に付けた。カップで半分隠れた顔の向こうで、幽霊女の顔色を窺っているのが分かる。遺族を前に、生前最後の様子を話すというのは相当な重圧なのだろう。もっとも、その遺族は偽物だが。

「自殺って聞きました。信じられなかったけど、ストラップのことが気になってよく調べてみたんです」

 莉花は幽霊女の方を遠慮がちに見ながら続けた。

「ピエロのズボンに、これが入ってました」

 指先で持てるぐらいの四つ折りにされた紙片が、幽霊女の前に差し出された。逃げるように莉花の手が引っ込む。幽霊女はたっぷりと時間を置いて、興味がないとでも言いたげに手を伸ばす。その仕草一つ一つが、無言で莉花を責める姉のように見えた。この二人に、出会う前にどんなやりとりがあったのだろうか。手段さえ分からない恵太には知る由もない。

「生きて」

 久しぶりの幽霊女の声は、ことさら張りのない呟きだった。一言とともに、テーブルの真ん中に置かれた。『生きて』というボールペンで書かれたらしい三文字が、紙面に並んでいる。

「きっと、私が病んでることばっかり言ってたから。ごめんなさい、きっと唯が悩んで」

 結論の代わりに、莉花は「ごめんなさい」と再度繰り返した。

「それで唯が悩んで死んだってのかよ。あり得ないだろそんなの」

 当然と思える感想を述べたが、莉花は跳ねのけるように「ごめんなさい」と「ごめんね」を繰り返す。「ごめんね」は初め恵太に言っているのかと思ったが、次第に唯に言っているつもりなのだろうと気付いた。

「大丈夫、唯はそれぐらいで死んだりしないから」

 幽霊女が静かに声をかける。幽霊女が唯のことを語るのは気に食わなかったが、同時に頼らざるを得ないとも思えた。莉花の気持ちを抑えられる人物は、他に思い浮かばない。莉花は返事こそないものの、顎先まで伝い続ける涙を拭き、呼吸を整えた様子だった。仕上げに「ごめんなさい」ともう一度だけ告げた。

「大体、ヤバイのはそのサイトの管理人ってやつだろ」

 恵太が口を挟む。莉花よりも管理人とやらの陰湿さの方が遥かに腹立たしかったし、恐ろしくもあった。

「そいつ、普通に人殺しだろ。早いところ警察に突き出して」

 言いかけて言葉を止めた。何事かと、莉花と幽霊女が同じように恵太へ視線を集めてくる。

人殺し。自分の言った言葉が、肌を粟立たせた。

「唯を、殺した?」

 口にして、もう一度言葉を止める。馬鹿げた考えだ、ありえない。自殺だということは唯が死んですぐに耳に入ってきたことだ。

 だが本当なのか? ただの一つでも、唯が自殺する理由があっただろうか?

「何言ってんの? 管理人は私を狙ってたの。唯が死んだのはさすがに関係ないって」

 莉花が顔をしかめて異を唱える。

「でも、唯もあのサイトに登録してたんだろ? 管理人と関わりが無いわけじゃないってことだよな」

「そりゃそうかもだけど」

「だってそうだろ。唯には自殺する理由がないんだぞ。例えば……唯が管理人を止めようとして、そのせいで殺されたってことなら、あり得るかもしれない」

 決して与太話ではないと思えた。幽霊女は背もたれに全身を預け、距離を置いたような態度のまま口を結んでいる。

「でもそれなら」

 恵太が声を大きくしたところへ、莉花が控えめに口を挟んだ。

「やっぱり私のせいだ。私があんな話をしなきゃ、唯と管理人が関わることもなかった」

「そう思うなら、管理人を捕まえて聞こうぜ」

「それ、マジで言ってる?」

 莉花が、なおも涙が溜まっている目で見つめてきた。恵太はその目から、微かな期待感を読み取った。

「マジだよ。その管理人ってやつが原因だろ? 警察任せなんかじゃぬるいって。メールで呼び出して、全部聞き出してから警察に突き出せば解決だろ」

 想像すると痛快だった。唯を死なせた犯人を、竜海やクラスの連中で囲んで罪を認めさせるのだ。

「いい加減にして」

 重い静かな声に、高揚は抑えつけられた。

「何考えてるの? 唯は自殺だって言ってるでしょ。その子が警察に相談したなら、それでその話は終わり。余計なことしないで」

幼稚な妄想と切り捨てんばかりに、幽霊女が割って入ってくる。もともと、この女が首を突っ込む必要などなかったはずなのに。理不尽な横槍に腹が立った。

「なんであんたがそんなこと言うんだよ」

「決まってるでしょ。私は姉なのよ」

 幽霊女の強い意思は、周囲の客の喧噪に負けずはっきりと届いた。莉花がこちらを怪訝そうに窺っている。本物の姉ならば、当然配慮すべき相手だろう。だが、この女はただの不審人物だ。堪り兼ねて全て莉花にバラしてしまおうと決めた。

 今にも声に出すその間際、幽霊女の目配せに気づいた。注意深く見ないと気付かないぐらい微かに、首を横に振っている。口元が「任せて」と動いた気がした。

「もうやめなって、自殺じゃなかったらって私だって思うけど、お姉さんに悪いよ」

 声を詰まらせながら、莉花がなだめてくる。

違う、こいつがウソを言っている。言いたくても言い出せない。この幽霊女が、どうやって莉花を呼び出したのかも分からないのが不気味だった。何者なのかも含めてはっきりするまで、様子を見るべきなのか。恵太は寸でのところでそう判断した。

「莉花ちゃん、でいいかな?」

「は、はい」

 突然名前で呼ばれ、目を見開いた莉花が顔を上げる。

「妹と仲良くしてくれてありがとう。それに、今日来てくれたことも。お礼を言うね」

 遮るように、莉花が首を振った。

「私のせいで、唯は」

 おもむろに幽霊女の手が伸びる。莉花が微かに身を強張らせたのが分かった。恐らく莉花の予想とは違い、幽霊女の手は莉花の頭を軽く撫でた。

「大丈夫。唯のメッセージを見たでしょ。それだけ考えて」

 机に広げられたままの用紙が目に入る。

生きて。唯が意図してかしないでか、最後に残したメッセージ。きっと唯が、莉花に一番必要だと思った言葉だ。だがなぜ。

「ありがとうございます、私なんかのために」

 莉花の絞った声は、恵太の耳にはほとんど入らなかった。

 なぜ、唯が死ななくてはいけなかったのだろう。『生きて』と人に送っておいて、数日後に自分が死ぬとは。唯が自分の意思でやったとは、到底納得できなかった。

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