第1章-8

竹内にインタビューの内容を話すと、恵太の予想とは違い「これでいい記事が書ける」と息巻いた。曰く「リアルな真実が書ければいい」とのことで、めげる様子のない姿に恵太の方が肩透かしを食らった気分だった。

 莉花とのインタビューは続きがあるはずだが、唯はそのことに触れようとしない。恵太からすれば、唯と莉花が関わる機会が途絶えているのは惜しい気がしたが、竹内から催促を受ける必要が無くなった喜びも大きかった。

 もう一つ、恵太には穏やかに日常を過ごせるようになった理由がある。唯の『眩暈』や『体調不良』を聞かなくなり、竜海とも三人で会う機会がもてたのだ。近所のショッピングモールで買い食いをする唯は、恵太たちがよく知っている知的で奔放な唯だった。

変わったままのことと言えば、二、三日に一度、唯が授業に出てこないことだ。出てこないといっても、丸一日いないのではなく、一限だけ抜けたり、時には午前全くいなかったりと規則性は無いようだった。

唯は「さぼり癖がついちゃって」と言い、「成績優秀者の特権だから、恵太はマネしないでね」とおどけてみせた。竜海から聞いたあの噂が、唯自身の耳にも入ってしまって落ち込んでいるのではないかと勘繰りもしたが、取り越し苦労だと思えるようになるまで時間はかからなかった。

 六月に入ったとはいえ、日によってまだ肌寒い。教室内の服装は統一感が無かった。この日も思いの他寒く、母親の忠告を無視して学校指定のカーディガンを置いてきたことを後悔する。

机に突っ伏して国語の授業をやり過ごそうとしていた恵太だったが、背中を抜ける寒さにたまらずくしゃみが出た。頭を持ち上げた先の、黒板の上の時計は大して時間が進んでいない。変わり映えのない授業を背景に、寝直そうと迷わず腕へ顔を沈めた時だ。ふと、斜め前の席の宮下の椅子に掛けられたカーディガンが目についた。せっかくある上着を着ないでおくとは、宮下の気が知れない。例年以上に二転三転する気候の中、寒さを侮らなかった黒服陣営と、侮ってしまった白服陣営の構図のはずなのに。恵太は、着ないなら貸せと心の中で呟く。現実は、大それた頼みができるほど宮下と親しくもない。

まどろむ頭で意味もなくカーディガンを視界に入れていると、背中のあたりに黒い髪の毛が付いていることに気づいた。探せば探しただけ、髪の毛を見つけることができた。首元の位置から始まり、見えるところに未探索の場所が無くなったところで、我に返る。三分ぐらいは時間を潰せただろうかと思いつつ、恵太は申し訳程度に机に広げてあったノートに目を移した。白地を横切る、黒い線。指先で弄ぶと、弧を描いたり、張り詰めた線になったり。

惰性で何度か同じ動作を繰り返し、恵太は何か引っかかるものを感じていた。すぐに、その正体に気づく。頭の隅に追いやられていた難題。唯のクイズの答えだ。世界で最初の直線の作り方は、これではないのか。髪の毛を引っ張ってできた線を、粘土か何かに刻み付ければ、まっすぐな型が作れそうだ。髪の毛でなくとも、細長い糸のようなものでもいい。いずれにしても、どちらかを使ったとしたら。恵太は正解を確信した。

この答えなら、ようやく唯の理不尽なこだわりのヒントがもらえるだろう。それだけではない。日ごろ唯が話している内容をほとんど理解できていない恵太は、数少ない見返せる機会だとも思った。

ふと視線を感じて横の女子を見ると、慌てたように目を逸らされた。恵太は初めて、自分がにやけてしまっていたことに気づき咳払いをする。髪の毛を手先で弄びながら、残りの授業時間が過ぎるのを待った。

 授業が終わり、放課後になったところで恵太は唯に声をかけた。他にも何度か声をかけるチャンスはあったが、ヒントとやらをじっくり聞けるようこの話題はとっておいてあったのだ。途中で唯が早退でもしないかだけが心配だったが、今日は『サボり癖』とやらは発揮しなかったようだ。クイズの答えを唯に投げかけると、

「きっとそうだと思う。私と同じ答えだね」

とあっけない返事が返ってきた。

実際には諸説あるそうだが、何であれ共感できるものなら正解にするつもりだった、と以前にも聞いたような説明が付け加えられる。一人でうんうん頷いていたかと思うと、唯は笑みを浮かべて

「やっと辿り着いたね。正解おめでとう」

 と手を叩いた。指先だけで、二拍ぐらいの簡単な拍手。自分の席から立ち上がったところだった唯は、そのまま机にスカートだけもたれた。

「正解ってことは、ヒントってやつがもらえるんだな?」

 期待していたほど大きな反応は無かったが、恵太は負けじと本題の方へ切り替える。

「もちろん。嘘はつかないよ。ちょっと待ってて」

 唯は鞄から手のひらに収まる大きさのメモパッドを取り出した。飾り気のない、事務用のそれに何かを書き連ね、破り取る。

「はい、これ」

 差し出された紙を、戸惑いながらも受け取る。女子高生らしさとは無縁の、可愛げのない走り書きだが文字は認識できる。一目でその数字の羅列が示すものは分かったが、唯の意図は想像し難かった。

「電話番号? 誰の?」

 ハイフンを挟み、見慣れた距離感で区切られた数列。携帯電話の番号であることは間違いないようだった。

「幽霊だよ」

 唯は微笑んだままだが、決してふざけているようではなく、恵太をまっすぐ見て言った。

「いや、意味分かんねえ」

「意味は分からなくてもいいんだよ。大事なのは、それがヒントになるってことでしょ?」

 恵太は何か仕掛けがあるのではとメモ用紙を裏返したり逆さまにしたりしてみたが、電話番号という以外の意味は見出せなかった。

「誰だよこれ。どうせかけたら怪しいとこに繋がるんだろ」

「だから、幽霊に繋がるんだって。ただ、そう簡単には出ないと思うけどね」

 聞きたいことが多すぎて、疑問符ばかりが頭の中を行き交う。結局、浮かんだことから挙げていくしかなかった。

「だから幽霊が誰だっての。唯の知り合いか?」

 恵太の問いに、唯は含み笑いをこらえるように上ずった声で答えた。

「幽霊は幽霊だよ? ネットで見つけた番号なんだけどさ。死んだ人なら答えを知ってるかもしれないでしょ。何せ、私たちの常識なんか通用しない相手だろうし」

「お前、本気で言ってんの?」

恵太が知っている唯は、自分で持ちかけた提案をからかいでお茶を濁すほど不誠実な人間でははない。本気で言っていると分かっているからこそ、恵太は困惑した。

「あんまり難しい顔しないでよ」

 となだめられても、ヒントがさらに意味不明では険しい顔つきになるのも無理はなかった。

「ごめんね恵太」

 さすがに恵太の不満を察したようで、唯が弱々しく呟く。

「でも、本当だよ。その番号に電話すれば、きっと恵太の知りたい答えが見えてくるから」

 真顔で訴える唯に、恵太はそれ以上追及できなかった。得体の知れない電話番号は不気味だったが、一度通話を試みてから文句を言っても遅くはないか、と自分を納得させることにした。

「分かったよ、電話すりゃいいんだろ」

「待って」

 ポケットからスマホを取り出したところを、唯の声が止めた。

「絶対に、誰もいないところでかけて。人がいるところでかけるとね、大変なことになるんだって」

「大変なこと?」

「そう。ネットに書いてあったの。まあ幽霊に繋がる電話だからさ、呪いとか祟りとか、そういうことじゃない?」

 恵太は今度こそ唯が冗談を言っているのではと疑いたくなった。唯は変わらない口ぶりで、こんな非現実的な話を信じるよう語りかけてくる。ヘイトロッカの後追い自殺よりも、よほどオカルト色の濃い話になってしまった気がした。

恵太は今一つ大事なものと思えないメモをヒラヒラはためかせ、ため息をついた。

真剣な目のままの唯を見る。確かに、読んでいる本の話を聞くと雑多で、懐が広いと言えばそうなのかもしれないが。ネットで拾った電話番号と幽霊話を信じろというのは、唐突で根拠が無く唯らしくないとも思える。延々と巡る考え事に収集がつかないまま、ひとまず恵太は番号をスマホに登録した。唯が改めて

「誰もいないところでかけてね」

と念を押してくる。恵太は曖昧に相づちを打った。

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