第6話 本命は一度しかベルを鳴らさない


「もう一人の女性というのは?」


丸谷七海まるやななみという彼と同世代の現代書家です。自宅で仕事をしているらしくて、彼と会うのも主に彼女のマンションみたいです。どこで知り合ったのかはわかりませんが、目撃した友人が彼女のSNSが評判だと言っていたので、ネットがきっかけだったのかもしれません」


「なるほど、それで、その人もやっぱり『お化け』なんですか?」


「あの、実はその人と会っているところにも……行ったことがあるんです」


「でも、彼とその女性とはマンションで会ってるんですよね。だとすると尾行じゃなく、張り込み?」


 私が問うと、沙都花は「はい。……本当の張り込みは知らないですけど」と答えた。


「それで?何かおかしな光景でも見たんですか?」


「そうです。マンションで二時間くらい過ごした後、彼が一人で出てきたんです。さすがに二人目ともなるとさすがに我慢ができなくなって、彼女の部屋に当たりをつけて後先考えずに乗り込んだんです」


「随分と大胆な行動に出ましたね」


「冷静さを失っていたんだと思います。直談判したところでとぼけられるのが落ちなのに……呼び鈴を鳴らしても一向に出ず、鍵も開いていたのでつい勝手に上がり込んでしまったんですが、リビングにはいなくて更衣室の方で人が動く物音がしたんです」


「その状況だと不法侵入になりますよ。通報されたらあなたの方が不利になってしまいます」


「はい、きっとどうかしてたんだと思います。私は思わずドア越しに「丸谷さん?」と呼びかけました。するとふっと人の気配が消えたんです。衝動的にドアを開けた私が目にしたのは、またしても彼女の物と思しきインナーだけでした。私は試しに浴室を覗いてみました。するとバスタブの中にとても奇妙な物がいたんです」


「奇妙な物?」


「はい。土でできた黒い蛇のような……それは私が見ている前で逃げるように動くと排水口の中に消えて行きました」


「黒い蛇……では女性の姿は最後まで見なかったんですね?」


「そうです。あるいはどこかへ外出していたのかもしれませんが……以上が私の遭遇した怪現象です。ちなみに丸谷さんもその後、作品を発表しているのでやはり消えてそれきりというわけではなかったようです」


「なるほど……繋がりのなさそうな二人がどちらも不可解な消え方をしたということですね?」


「そうです。信じて頂くのは無理かもしれませんが、どちらもこの目で実際に見た事です」


「そんなことはありません。つまりそのお二人の正体……というか、消えた謎について調査すればいいのですね?」


「はい。とても探偵社さんにお願いするような内容ではないことはわかっています。でも、このままだと、彼と何食わぬ顔で暮らすことはできないような気がするんです」


「わかりました。ご期待に添う調査結果が出せるというお約束はしかねますが、できるだけのことはやるつもりです」


「ありがとうございます。調査の結果に関わらず、一件につき百万……両方で二百万お支払いいたします。もちろん、調査にかかった経費は別途ご請求下さって結構です」


「そんなに……」


 私は絶句した。社長令嬢とは言え、こちらの見積もりも聞かずにこれだけの額を提示するというのはやはり、並の感覚ではない。


「期間は十日以内でお願いします。二週間後に結納が控えているので」


 私は「あ、はい」と頷いていた。十日で二百万。生々しい話だが、今の私たちにとってはまさに「渡りに船」としかいいようのない好条件の依頼だった。


「では、お伝えすべき事実が出てきたときは、調査の途中でもお伝えしますので後は我々にお任せください」


「よろしくお願いします」


 私は沙都花と握手を交わすと、契約担当の大神と交代した。


 二人の人間が異常な消え方をした。その原因を調べるというおよそ浮気の調査とは程遠い依頼内容だ。これは確かに、普通の探偵社なら敬遠する事案に違いない。


 ――でも、せっかくうちを頼ってきてくれたんだもの。やるだけのことはやらなくちゃ。


 依頼者の姿が事務所から消えると私は応接セットへ移動し、ソファーに身体を投げ出した。


「あー、まったくなんて日なの。事務所が売られるだの十日で二人分の調査だの、零細探偵社からしたらドラマの詰め込み過ぎだわ」


 私が盛大にぼやくと、電話の応対をしていたヒッキこと古森が「ボス、石さんと荻原さんから言伝です」


「なに?」


「ごたごたが片付くまであと、一週間ほどかかるそうです」


「ちょっとやめてよ、本当。……仕方ないわ、浮気調査の件は私たち四人だけでやりましょう。二人が戻ってきたとき、事務所がなくなってたら困るもの」


「参ったなあ……で、なにから取り掛かりますか、ボス」


「そうね……とりあえず冷蔵庫からアイスケーキを持ってきてくれる?燃料切れなの」


 私はそう言うと、主のいないベテランとエースの席をすがるような気持ちで見やった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る