第2話 RIKA@裏垢 その2



義兄にいさん、聞いているんですか?』


 夜半の静寂を切り裂いた着信音。

 続く通話は、もう小一時間ほども留まるところを知らない。

 澄み渡る清水を思わせる声も、ずっと聞かされていると次第にウンザリしてくる。

 家事をやっつけ予習復習を終わらせたつとむは、『早く終わらないかな』という本音を漏らさないように並々ならぬ努力を強いられていた。


「聞いてるよ」


『もう……春休みだけじゃなくゴールデンウィークも帰ってこないなんて。お父さんもお義母かあさんも寂しがっていますよ』


「悪いとは思ってる。でも、忙しいんだから仕方がないだろう」


『それ、いつも言ってますよね。ひとり暮らしがそんなに忙しいのなら、実家から通った方が良くありませんか』


「勘弁してくれ。片道2時間もかかるんだぞ」


『でも……』


「とにかく、夏休みには一度顔を出す。ふたりにはそう伝えておいてくれ」


 そう言い置いて通話をオフ。じっとりと汗がにじんだ額を抑えて、ため息ひとつ。

 スマートフォンのディスプレイには『絶対ですよ』『春休みの前にも同じことを聞いた気がしますが』『一度様子を見に伺います』などとメッセージが連続で投稿されていた。

 相手は――勉の義妹だった。両親の再婚によってできた、ひとつ年下の新しい家族。

 身内の贔屓目抜きにしても美少女と呼んで差支えない少女であり、ともすれば羨ましがられるシチュエーションではある。

 ……現実は無常だった。血の繋がらない同年代の異性と同じ屋根の下に暮らすというのは、思いのほか心労が募った。何かにつけて気苦労が絶えない。

 

「夏休みになったら、どう言い訳するかな」


 この男、自分で口にしておきながら夏休みに帰省するという心づもりはまったくない。

 義理の父と義理の妹。彼らを嫌っているというわけではない。

 あまり顔を合わせたいと思わないだけだ。

 

「家に帰るくらいなら、ひとりの方がずっとマシだ」


 ベッドに転がって天井をぼんやり眺め、吐き捨てた。

 壁にかかっている時計に視線を送り、スマートフォンを手にツイッターを立ち上げる。

 お気に入りの裏垢が更新する時間帯だった。


「お、ちょうどいいところに更新きた」


 静寂を取り戻した部屋でウキウキした声を出す勉の脳裏には、先ほどまでの煩わしい気分なんて欠片も残っていなかった。



 ☆


 RIKA@裏垢

 今日の見せ


 ※


 光源に照らされた肌は相変わらず新雪のように白かった。

 ダボッとしたスウェットに身を包んでいても、なおその存在を主張するバストは圧巻のひと言。

 下半身は――何も履いていないように見えた。マーベラスだ。

 

 写真は二枚添付されていた。

 一枚は正面からの自撮りで胡坐をかいている。

 スウェットの裾から伸びる脚が白くて眩しい。

 そしてもう一枚は――


 ☆



「けしからん……これはけしからんぞ!」


 2枚目はスウェットの裾が大きく捲り上げられている。

 余計な肉などひと欠片もついていないきれいなお腹が晒されているだけでなく、巨乳の下半分――いわゆる南半球がハッキリ観測できてしまう。

 ブラジャーを付けていない。ノーブラだ。上に引っ張られる布地に合わせて、半球状の乳が形を歪められている。

 陰影を含めて柔らかさが強調されており、意味がないとわかっていても本能的にディスプレイをタップしてしまう。

 なお、何も履いていないと思われていた下半身だが……普通にショートパンツを履いていた。先日見たものとはデザインが異なっている。

 下着だったらもっとよかったと思う反面、『この写真は上半身を魅せたいのだ!』という『RIKA』の強い意志を感じた。

『エロは難しいな』などと、真顔でどうでもいいことを考える勉。

 学校の勉強ができても、世の中にはわからないことが溢れているのだ。

 


 ・

 ・

 ・


「ふぅ……今日も『RIKA』さんは最高だぜ」


 頭がバカになったのか、いつも同じようなことを呟いている気がしてきた。

 ひとりきり堪能した勉がタイムラインを観察していると……指が止まった。


『コスチューム募集します』


『RIKA』の新たなコメントがタイムラインに出現していた。

 思わずゴクリと唾を飲み込んだ。自分の希望した衣装を『RIKA』が着てくれるかもしれない。

 考えただけで、テンションが勝手に上がってしまう。


 彼女にはどんな衣装でも似合うだろう。

 どんな服を着てもらえばいいのだろう。

 この世で最もエロい衣装は何だろう。

 自分が選んだ服を着てもらって、そして脱いでもらう。それはもう自分が脱がせているのと変わらないのではないか……

 益体もない考えが次から次へと湧き上がってきて、頭の中が沸騰してしまう。


「いや、待て待て、待つんだ俺。ここは冷静にだな……」


 妄想が膨らんで爆発しそうになる寸前で、ギリギリ正気を取り戻した。わずかに曇った眼鏡の位置を直す。

 こうしてリアルタイムに彼女のコメントを追いかけているけれど、実際のふたりには無限の距離が存在していることを忘れてはいけない。

 自分と彼女との距離は近しく見える……だけ。すべてはSNSが引き起こす錯覚に過ぎない。


 勉が『RIKA』の存在を認識していても、彼女は勉なんて歯牙にもかけない。そういう関係だ。

 彼女にブロックされたら終わるし、現実の接点がないから直接文句を言うこともできない。

 だから、あまり露骨な要求をすることは躊躇われる。いつもどおり観察者に徹する方が無難かもしれない。


「でもなぁ……う~ん」


 勉がひとり煩悶している間にも、次々とリクエストが投稿されている。

 中には某通販サイトを利用してプレゼントを発送する者までいた。

 コメントに続くリプライを見ていると、得体の知れない焦燥を覚える。


――リクエストぐらい……いいよな。


 自分の声が彼女に届くなら、嬉しい。届かないなら、悲しい。

 そんなことを思い悩む自分が不思議だった。

 なぜなら……現実の勉はそんなことを考えないから。


 エロい要望を届ける相手なんていない。

 彼女以前に女性の友人がいない。

 リアルの異性に対して『嬉しい』とか『悲しい』なんて感情を抱いたこともない。

 それを疑問に思うこともない。


 16年と少々の人生を、そうやって過ごしてきた。

 しかし――今、勉は『RIKA』に対して強い憧憬を抱いている。

 裏垢女子なんて、それこそテレビで輝くアイドル並に遠い存在であるはずなのに。

 どこの誰かもわからないという点を鑑みれば、異世界の人間と言ってもいいくらいなのに。


「……」


 義妹と電話していたときとは異なる、変な汗をかいていた。

 興奮か、それとも緊張か。自分でもよくわかっていない。

 スマートフォンを持つ手が震えている。

 ディスプレイをタップする指の位置が定まらない。

 リクエストするなら、急がなければならない。

『RIKA』はいつまでも待ってはくれないだろうから。

 胸に手を当て呼吸を整え、一文字一文字入力する。終わったら見直し。

 学校の試験よりもガチに。舐めるようにチェックチェック、またチェック。


『バニーガールお願いします』


「ふぅ」


 どうにかこうにかコメントを投稿すると『やり遂げた』という妙な満足感があった。

 スマートフォンを充電コードに繋ぎ、枕元に放り投げる。

 ベッドに仰向けになって目を閉じると、開けっ放しの窓から流れ込むぬるい風が頬を撫でた。

 罪悪感と高揚感が入り混じった胸中を持て余しているうちに、勉はいつしか眠りについていた。


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