見知らぬ婚約者(フィアンセ)

冷門 風之助 

ACT.1

『・・・・』俺は腕を組み、目の前に座っている女性を、じっと凝視みつめていた。

 彼女は髪をショートカットにし、紺色のジャケットに黒のタートルネックのプルオーバー。それと同色のストレートパンツを履いている。

 化粧はそれほど濃くはない。

 アクセサリーは控えめだが、結構金のかかったものを付けていた。

 顔立ちはきりっとひきしまっていて、それだけだと宝塚の男役のようにも見える。

『・・・・どうしても駄目でしょうか?』

 彼女はいつもの如く、俺が出してやったコーヒーに口をつけ、探るような口調で同じ言葉を繰り返す。

 仕方ない、こっちも半分うんざりしながら、同じことをオウム返しだ。

『横山弁護士からもお聞きになっているかと思いますが、私は法律で規定されている以外、個人的な信条として、結婚と離婚に関わる依頼は受けないことにしているんです』

 彼女は下を向いて、ため息をつく。

 コーヒーに口を付け、少し話し、俯き、ため息、”どうしても駄目でしょうか?”

そして俺のモットー・・・・。

 事務所にやって来てから、このセットをもう何回繰り返したことだろう。

 

 彼女の名前は、小山内渚おさない・なぎさといい、年齢は30歳、現在はあるイベント企画会社を経営している。

 一部上場、とまでは行かないが、かなりの業績を上げている優良企業だ。

 若干30歳にして、社長という訳だ。

 無論自身の才能と実力もあってのことだが、当然それだけじゃない。

 父親が、さる多国籍企業の社長。

  つまりは、その傘下企業という訳だ。

  大学卒業してからというもの、仕事以外わき目もふらずにここまでやって来た。

 このまま独身で突っ走っても良かったのだが、やはり彼女も女性だ。

”仕事でも生活でも、自分の良きパートナーとなってくれるような男性が現れれば、結婚しても構わない”

 そんな風に考えるようになった。

 しかしながら、いざそう思ってみても、なかなか眼鏡にかなう男性というのは見つからない。

 婚活パーティーや結婚相談所に登録してみても、これといった相手には、なかなか巡り合わなかった。

”30半ばまでは何とか”

 そう思って、気ばかり焦ってしまう。

 ある日の事だ。

 大学時代の同窓生で、自分と似たようなビジネスに携わっている女性から、一人の男性を紹介された。

 男は名を遠山和彦とおやま・かずひこといい、年齢は二つ年上の32歳。

 身長は170センチと少し。

 容貌も、木村拓哉を今少し庶民的にしたような、そんな感じの男性だった。

 現在は横浜で主にアンティークの輸入を手掛ける貿易会社を経営している。

 年収は平均で1500万円程度。

 2000万円からの年収がある彼女に比べると、少しばかり劣るものの、それほど悪くもない。

 煙草は吸わず、酒もほんの僅かに嗜む程度。

 趣味は彼女と同じドライブと映画鑑賞。

 一人暮らしで独身という事もあってか、家事万端は一通り何でもこなせるし、貿易会社の社長であるから、英語も流ちょうとまではいかないが、ビジネスと日常会話にはまず差し支えない程度には話せる。

 家族は幼い頃に母親を、20歳の時に父親をそれぞれ亡くし、兄弟姉妹もいない。

 それだけを特に気負った様子もなく、ごく自然な口調で話したという。

”あの、私、結婚しても今の仕事を続けたいと思っているんですけど・・・・”

 彼女がそう言っても、特に気にもせず、

”女性が仕事を持つのは、これからのライフスタイルでは当然のことですから”と、あっけなく答えた。

 これで決まった。

 しかし、渚も女である。

 いざ結婚となると、やはりどうしたって慎重にならざるを得ない。

 そこで、会社の顧問弁護士に相談したところ、彼女の弁護士仲間だった横山氏を紹介され、俺のところに回って来たという訳だ。

 

 俺はコーヒーを飲み、シナモンスティックを二本齧り、考えた。

”己のプライドを優先させるべきか、それとも・・・・”

 この記録をお読みの方にとっては、当たり前だろうが、現在は例の、

『新型ナントカウィルス』による非常事態宣言とやらで、仕事の量がめっきり減ってきている。

 探偵だってかすみを喰って生きているわけではないからな。 

 些か余裕があるとはいえ、銀行の預金口座だって、いつ何時なんどきカラータイマーが点滅し始めるとも限らん。

 仕方ない。

 ここは一つ、節を曲げて実を獲るとしよう。

『よろしい、お引き受けしましょう。但し料金は少しばかり上乗せさせて頂きます。一日7万円プラス必要経費。万が一荒事に遭遇した場合には、危険手当として、いつもなら4万というところを、今回は5万円とさせて頂きます。それでよろしければ・・・・』

 ちょっと阿漕に過ぎるかとも思ったが、構いやしない。

『分かりました。条件は呑みます』

 彼女の言葉に、俺はデスクに立てかけてあった書類ケースに手を伸ばし、中から

一綴りの書類を取った。

『契約書です。お読みになって、納得して頂けたら、サインをお願い致します』

 彼女は二回、書類を読み返すと、洒落たボールペンを取り出して末尾にサインをし、続けて今度は傍らのバッグからぶ厚い小切手帳を出すと、7と書いてから、その後に0を五つ付け足し、

『取り敢えず10日分の前金です』

 そういって契約書に重ねて、俺の前に突き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る