第3話 姫君の籠

 王族の護衛“七ツ宝具”は、その名の通り七人いる。


 盾。鏡。籠。錠。秤。冠。そして剣。全員が特筆した魔術の使い手であり、またその性質に倣った称号を王より与えられている。


 護衛の対象は王・王妃・そして姫君であるキャロルの三人だ。七ツ宝具は持ち回りで彼らの護衛をしている。称号に“姫君の”とついているのは、娘を溺愛する王が勝手につけただけで深い意味はなかった。


 つまり。


 実質的な“七ツ宝具”の所有権はキャロルの父、国王にある。


「そういう意味でも、ウィルの言葉づかいはなんとかしておくべきよね」

「? そういう意味でって?」


 ウィルが尋ねると、「あなたもいずれパパ……お父様の護衛を務める機会があるでしょう」キャロルは渋い顔で呟いた。


「私の前だけならまだいいにしても、王の前でその言葉づかいじゃ危ないよ。きっと」

「そうか? 試験には王も立ち会ってたし、俺の喋り方は知ってるはずなんだが」

「お父様はなんていうか……すごくおおらかだし、気にされなかったと思う。けれどその周囲にいる人まで同じとは限らないでしょ」


 さすがに護衛のウィルが王の前でいつもの態度をとれば、それを不敬と捉える人間は確実にいる。舐められているとみなす人間もいるだろう。


 王を軽んじる民が増えれば、国家の秩序を維持するのが困難になる。


 王はどう見ているか。よりも、どう見られているか、の方が重要なのだ。


「俺は王を軽くみちゃいないけどな。教養ゼロの俺でも弾かないでくれたし。むしろ感謝してるくらいだ」


 ウィルにはいまいち状況が伝わっていないようだった。


 これは私がなんとかしなくちゃ。いずれ王女様になって国を動かすんでしょ。だったら護衛の一人や二人育てられなくてどうするの。


 キャロルは拳をぐっと握って、瞳を燃やした。


 そんな紆余曲折を経て。


 キャロルとウィルは学習院の門の前にいた。


「さ、行こ」

「ん。行ってこい」

「ウィルも来るのよ」


 え? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ウィルは声を漏らした。


「ここ学校、だよな。学校には学校で護衛の人間がいるって聞いたぞ」

「ええ。だからウィルは学生としてここに通うの」


 キャロルは人さし指を立てた。


「護衛としての武力は申し分ないって聞いてる。けれど言葉づかいや一般常識も、これから生きていくうえで必要な事でしょ?」

「勉強か……」

「嫌でもちゃんと頑張るんだよ? 護衛に選ばれたからには」

「別に嫌じゃない」


 けろりとした顔で、ウィルは校舎を見上げていた。


「むしろラッキーだ。金もないのに学校に通わせてもらえるなんて。ありがとな、キャロル」

「い、いいえ。じゃあ行きましょうか」


 言葉づかいの割に素直よねこの子――。意外な反応にちょっと戸惑いながら、キャロルは門をくぐった。



 

 学習院は原則として十五歳以上の男女が通うことのできる教育施設である。


 もともとは王族や限られた貴族のみ入学の許された教育施設だった。しかし現国王の改革によって家柄などの条件が緩和され、現在は様々な身分の者がこの学習院に通っている。


 それでも最低限の身分証明や学力は必要なため、学生の多くはやはり貴族の家柄だった。


 みんな育ちよさそうだな……。ウィルはすれ違う学生たちを眺めながら、キャロルの後について歩いた。


「それにしても広いなここ。どのくらいの広さがあるんだ」

「お城の敷地とそんなに変わらないよ。建物の数は三棟。部屋の数なら学習院のほうが多いね」


「でかい建物に、でかい部屋ひとつじゃダメなのか」

「同じ時間帯にたくさんの講義が開かれているの。学生はその中から受けたい講義を選ぶ仕組みになってるんだ。

 今日はウィルもいるし、言葉が関係する講義がいいよね。教室は……と」


 キャロルは掲示板をしばらく眺めて「あった」と呟いた。


「場所はA棟の二階ね。シュシュが来たら、さっそく行きましょ」

「? シュシュ?」


 ぽかんとしているウィルに「あれ、聞いてなかった?」と聞き返すキャロル。


「私が学習院にいるとき護衛を務めてくれる女の子なんだけれど。七ツ宝具の」

「聞いてないような……聞いたような」

「忘れてたんだね」


 と、そんなやり取りをしているさなか。ふいにウィルは背後を振り返った。


「どうかしたの? ウィル――」


 つられるようにしてキャロルも後ろを向く。周囲からどよめきの声が上がった。


 金髪の少女がウィルに首根っこを掴まれていた。


「え……え?」


 呆気にとられた顔で、少女はウィルを見上げた。そんな少女をウィルは無表情で見据えていた。


「ウィル、その子は」

「背後からキャロルに触れようとしていた」


 眼下に視線を釘づけながら、ウィルは淡々と応じた。


「こんなに近づかれるまで気づけなかった。チビだけど相当の使い手だ。早いとこ斬っといたほうがよさそうだな」


 抑えている逆の手を剣の柄にかける。突然のことに固まっていたキャロルだったが、ここでようやく「ストップ!」と声をあげた。


「まず話を聞きなさい。その子を離してあげて」

「見逃すのか? チビでも刺客は刺客だぞ。念のため腕の一本くらいは」

「そうじゃなくて……その子がシュシュ。七ツ宝具の」


 え? ゆっくり視線を落とすと、涙目で頬をむくらませるシュシュの顔が見えた。


 思わずウィルの手から力が抜けた。解放されたのが分かると「ひめさま~!」そう言って、シュシュはキャロルに駆け寄った。


 そしてようやく発した第一声。


「あいつ嫌い!」


 びしっとウィルを指さして叫んだ。


「――ちょっとひめさまを驚かそうと思っただけなんですよ。なのにあいつってばいきなり首根っこ捕まえるんですよ?

 わたし何も悪いことしてないのに!」

「そうね。シュシュ。あなたは悪くないわ。けれどウィルも知らなかったのよ」

「それに二回もチビって言いましたよ? 七ツ宝具のわたしに向かって!」

「あ、それは彼も……」


 キャロルがなだめようとするが、シュシュはウィルへの威嚇をやめない。


「こいつ話聞かないな」

「いや、あなたが言わないの」


 とりあえず謝って。周囲の視線も気になりだした頃合いで、キャロルはウィルに促した。


 確かにさっきのは俺が悪かったよな。ウィルは頭を掻いて、キャロルに抱きつくシュシュへ頭を下げた。


「勘違いをしてすまなかった」

「ふん! 誠意が感じられないわね! ていうか、ひめさま。こいつ誰?」

「新しく七ツ宝具になったウィルよ。……言わなかったかしら?」


「聞いてない! ……ような聞いたような」

「忘れてたのね」


 キャロルはちょっと頭が痛くなった。


「ともかく彼も、あなたと一緒に私の護衛を務めることになったの。仲たがいをしていては困るわ」

「むー……」

「彼も謝りたいそうだから、ちゃんと聞いてあげて」


 キャロルの仲裁でやっとシュシュがウィルと顔を合わせる。


「いきなり捕まえて悪かったな」

「――チビって言ったのも訂正する?」

「いやチビなのは本当だろ」

「むきー!」

「ちょっ!」


 飛びかかろうとするシュシュをキャロルが羽交い絞めにして、なんとか止める。


「二度ならず三度までも……! ていうかさっきから何なのその態度! 年上のわたしに向かって!」

「年上!?」


 ウィルは目を剥いて、シュシュを指した。


「キャロル、こいつ俺らより年上なのか!?」

「七ツ宝具ではウィルが一番若いよ。シュシュは今年で十八になったわ」

「半分くらいの歳にしか見えないが……世の中は広いな」


 ぷつん。と、シュシュの中で何かが弾けた。


「離してください、ひめさま」

「――いきなり襲いかかったりしない?」

「やですねー。年下の男の子に向かって、そんなムキになるわけないじゃないですかぁ」


 今まではムキになってなかったのか。そんな突っ込みが浮かんだが、さすがにウィルも言葉には出さなかった。


 開放されたシュシュがウィルと向かい合う。


「ちょっとだけ先輩のすごさを教えてあげます」


 言い放たれた瞬間、キャロルの顔から血の気が引いた。七ツ宝具同士の争いはご法度。そういうルールがあった。


 理由は単純明快。その場が戦場になってしまうからだ。


「大丈夫。怪我とかはさせません」


 シュシュの声は落ち着いていた。頭に血が上っている感じじゃない。とりあえずキャロルはほっと息をついた。


 しかしやらせてよいものか。キャロルが困惑していると「認めてくれ」ウィルが小さく呟いた。


「禍根を残すよりはいい。俺も何があろうと、怪我させたりはしない」

「――絶対に約束を守るのよ」


 しぶしぶ、といった様子で離れるキャロル。本当に気苦労の多いお姫様だった。


「それで、何を見せてくれる?」


 尋ねられると、シュシュは薄く笑った。


「そうね。じゃあてっとり早く済ませよ。

 わたしがあなたから“ひとつだけ持ち物を奪う”なんていうのはどう?」

「構わないが……いいのか? そんな条件で」


 怪我をさせずに持ち物を奪う。それはただ相手を倒す事よりも遥かに難しい。


「俺の持ち物は衣服と剣くらいだ。衣服をはぎ取るのは無理だし、武器を奪われるほど耄碌しちゃいないぞ」


「ぜんぜん問題ないよ。

 だってもう獲ったし」


 そう言うと、シュシュは後ろに組んでいた右手を掲げた。


 その右手に握られていた剣。それはウィルが愛用しているものと全く同じだった。


「!?」


 そこではじめて、ウィルはシュシュから視線を外した。反射的に腰の剣を見やる。鞘だけがそこに残っていた。


 気をそらして剣を奪ったんじゃない。


 宣言通り、シュシュはもう“奪っていた”のだ。


「わたしは一度触ったものを手元に“転送”することができるの。自分より重いものじゃなければね」


 磨かれた刀身に無邪気な笑顔が映った。


 “姫君の籠”シュシュ=ブランケット。

 彼女は自分の指紋が付着したものを、手元に引き寄せる力を持つ。


 ――目の前で得意げに鼻を鳴らすシュシュ。ウィルは思わず息をのんだ。能力そのものにも驚いたが、問題はそんなところじゃない。


 剣に触れられたことに、まったく気付けなかったことだ。


 おそらく触れたのは首根っこを掴んだ時だろう。あの時しかあり得ない。


 しかし同時に最も警戒していたタイミングでもあった。そんな中で腰の武器に触れられていたなんて……。


「どう? ちょっとは尊敬する気になった?」


 分かりやすいくらい勝ち誇った顔のシュシュに、ウィルは目を丸くして頷いた。


「驚いたよ。さすが七ツ宝具の先輩だ」

「負け惜しみなんか……え? なに認めるの?」


 あっさり認められ、シュシュは視線を泳がせた。罵倒する用意しかしていなかったらしい。


 二の句に詰まったシュシュは「あ、あんたも少しはやるみたいね」と吐き捨てるように言った。


「向き合ってからは隙がなかったし、何より……クロード以外の人に捕まったのは初めてよ。それだけは褒めたげる!」

「そりゃどうも」


 そう返したウィルは穏やかな笑顔だった。


 なによコイツ。態度悪いのか悪くないのかどっちかにしなさいよ。わたしだけ怒ってたら、こっちが子供みたいじゃないのよ……。


「あ、あんたのも見せて!」


 ぐるぐる考えた末、シュシュが行き着いた行動はなぜか挑発だった。


「わたしだけ見せるんじゃ不公平だもん。七ツ宝具なんだから魔術は使えるんでしょ?

 せっかくだから見せてみなさいよ!」

「いいけど、真っ二つになるぞ」

「なにがよ」

「あんたが」

「怖っ!!」


 身震いしながらキャロルに抱きつくシュシュ。


 助けを求める護衛の少女に、キャロルは大きなため息をついた。

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