第14話

円覚は、心の裡に孤独を抱えた男だった。

円覚が生まれたのは、今から四十年ほど前。

まだ円覚と呼ばれていない幼少期から強い魔力を持ち、普通を好む両親からは酷く疎まれていた。

彼の家は特別富んでも、貧しくもない、普通の家だった。

であるから、彼の魔力は、普通の人間だった両親にとって自分たちの手に余る厄介な代物だったのである。

もしこれが、裕福な家…もっと言えば政敵が多いような官人の家であれば、その力は家のために存分に使わされていたであろう。

そうならなかっただけ良かったのかもしれないが、腫れ物に触るような両親の態度は、幼少期の彼には酷く寒々しく感じた。

しばらくして、十歳が過ぎた頃。

彼の力がいよいよ強くなってきた時、両親は困り果てて東明寺に彼を預けた。

力の使い方を修行で学ぶーーという名目だったが、実際は彼を捨てたも同然である。

彼を寺に預けた後、両親は一度も彼に会いには来なかった。

しかし、東明寺に預けられたことは、彼にとっては唯一の光明となる。

東明寺には力の使い手こそは居なかったが、今まで在籍した魔術師の指南書の類は沢山あった。

彼は今まで出来なかった力の制御を、これらの書物を読み漁ることによって、独学で身につけてゆく。

まるで、乾いた地面が水を吸うように、魔術に関する知識や技術を手に入れていった。

二十歳を超える頃には、過去に東明寺に在籍したどの僧よりも強くなった自負がある。

その頃から、彼は山岳修行と称して幻獣を下す旅に出はじめた。

それは最初こそうまくいかなかったが、30歳を過ぎた頃、漸く件の獣を調伏することに成功したのである。

しかし、念願の幻獣という相棒を得ても、彼の心の渇きは癒えなかった。

幻獣は己の力を見せつけて調伏したに過ぎない。

自分の命令に従って行動する、意識のある駒…そんな意識が抜けなかった。

そもそも、幻獣が人に懐くなどという話は聞いたことがなかったので、そんな事を求めもしなかったが。

彼の心の渇きがどこにあるのか。

それは、真に彼を理解するものがいなかったからに他ならない。

彼は魔術師として優れていたし、僧としても優れていた。

僧としてみれば、比較対象は沢山ある。

優れた頭脳と胆力を持って、この東明寺でどんどんと周りを押しのけて上へ登っていった。

そんな円覚を、ある者はやっかみ、またある者は崇拝する。

それはどちらも、誰もが彼と同じ目線に立っていないことを意味した。

優秀が故の、孤立。

そんなものが彼の裡にはあった。

魔術師としてみれば、今度は比較対象がない。

自分以外の能力者に会ったことがないのだ。

魔術師として、恐れられ、また崇拝されるこの苦しみを分かち合う友と呼べる存在を、彼は持たなかった。

彼は、いつの時代も、たった一人で生きていたのである。


円覚は静かに息を吐くと、手印を組む。

「すまんな。本来はこんなものなしでも発動できるんだが、長年の修行の癖だ」

そう言いながら、素早く手印を組み替え、身体中に力を込めた。

「ゆくぞ!」

円覚は組んだ指をユースィフに向けると破ッ!と気合を発する。

瞬間、彼の指先から轟という音と共に強い光が発せられた。

「おお、すごいな」

言いながらユースィフはそれを片手で受けると、その衝撃をそのまま天に向かって弾く。

バンッという轟音が響き、夜空に一筋の閃光が走った。

続け様に円覚は第二撃を繰り出すべく、すごい速さでユースィフへと走り寄る。

「フンッ!!」

走りながら円覚は両の掌を組み、そこに力を込めてゆく。

込められた力が圧縮され丸い光の球を作り、それはバチバチと電気を発生させた。

円覚はその光の球を迷わずユースィフに叩き込む。

ユースィフは左手でそれを受けると、空いている右手で反作用を持つ力を生成した。

「ムッ?!」

嫌な予感がした円覚がユースィフから離れようとした時、その右手が円覚の光の球に合わせられる。

パンッという音がして、溜め込まれた円覚の力はとたんに霧散した。

「やるな!」

円覚はユースィフの手を振り解き、後ろへ飛び退ると再び印を組む。

途端に轟々という炎が円覚を取り囲み、それは次第に炎蛇の姿に成長した。

「ゆけ!」

円覚の言葉に、炎蛇が牙を剥く。

そのまま、かあ!と口を開け、勢いよくユースィフに襲い来た。

それを見たユースィフは唇に指を二本当て、低く何事かを唱える。

ゆらり、とユースィフの身体から青白い湯気のような物が立ち込め、それは直ぐに蛟を形作っていった。

蛟はユースィフを守るようにその身体に巻きつくと、牙を剥いて襲いに来た炎蛇の首元に噛み付く。

炎蛇と蛟は互いに主人の身体から離れると、絡み合いながらその互いの胴体を喰らいあっていった。

次第に喰らいあって互いの身体は小さくなり、パンっという破裂音と共にその姿は消え失せる。

「さすが、おれの幻獣を倒しただけの事はあるな!だが、防戦一方ではこのおれは倒せぬぞ!」

円覚はそう叫ぶと再び手印を組み、その手を地面に叩きつける。

「むん!」

ぼこり、と地面が盛り上がり、次第にビキビキと亀裂ができ始める。

「なんだ?!」

それはすごい勢いでユースィフの前まで進み、その裂け目から巨大な魚のようなものが顔を出し口を開けた。

ガツンと噛み付くそれを後ろに飛び退って避けると、その手を魚の眉間に当てる。

ユースィフ手から次第に光が溢れ、轟々という音と共に魚は元の砂となって崩れ去った。

ーー瞬間

地面の割れ目がぱくりと一層大きく開き、ユースィフの身体ごと地面に飲み込もうとする。

「ユースィフ様!!!」

「うわ!」

ユースィフの身体が地面に飲み込まれていく。

「かかかか!これは勝負あったか?!」

円覚がそう言って笑った時、閉じかかった地面の裂け目から大層強い光の筋が空へと伸びた。

次いで、立っていられないほどのものすごい地揺れが全員を襲う。

光は一旦収束すると、再び強い光となって押し寄せ、地面の裂け目を押し戻し始めた。

「むっ!」

煌々とする光に思わず円覚が目を覆うと、次の瞬間、地面を引き裂く爆音と共にユースィフが巨大な蚯蚓の背に乗り姿を表す。

ユースィフが指を鳴らすと、蚯蚓は砂に返り、地面は元通りになった。

「……なるほどな」

円覚は、背筋に冷たい電流が走るのを感じると、恐怖を超えた興奮が自分の中にあることに激しく喜びを感じていた。

今まで、書物の中でしか見たことのない魔術師が、目の前にいる。

しかも、相当な使い手だ。

おそらく、自分よりも上手だろう…。

円覚は止まらない身体の震えにすら、喜びを感じていた。

それほどに、彼は飢えていたのだ。

「ふふ…面白いなぁ。そう思わんか?」

円覚の言葉に、ユースィフは苦笑いをする。

「おれは楽しいぞ!お前と戦えて楽しい!!」

円覚はそう言って笑うと、再び手印を切った。

ものすごい集中力で、何事かを念じている。

額からは汗が玉になり浮き上がり、その目は血走っていた。

「あそびは終わりだ!」

か!と目を見開くと、円覚はその指先を天に挙げ、それを振り下ろす。

刹那、激しい光が全員を襲った。

バリバリバリと連続した破裂音が響き、少し遅れてドォン!と激しい地鳴りがする。

「か、雷…!!」

ジュードが叫ぶと、全員が音のした方を見た。

落雷を受けた樹木が激しく焼け焦げている。

「ユースィフ様…!!」

「おう、これはすごい」

アスアドの叫びにユースィフは汗を拭うと、その手の障壁を消した。

「ふふん。まだまだ!一撃で終わりだと思うなよ?」

円覚はそう言うと、天に再び指を立て振り下ろす。

ドォン!ドォン!

今度は立て続けに二筋の雷がユースィフを襲った。

ユースィフはそれを再び障壁で避けると、円覚の方へ向き直る。

「まだまだぁ!」

バリバリバリ!

またも雷鳴が轟き、ユースィフを襲う。

ドォン!ドォン!

一発、二発。

ユースィフは一瞬考えた後、三発目の雷に構えていた障壁を消した。

「ははは、諦めたか!」

ユースィフは素早く額に指先を当てると、深く集中したように瞳を閉じる。

フ、とユースィフの身体から冷気の炎が湧き上がった。

「これで終いだ!」

三発目の雷が落ちる瞬間、ユースィフはカッと瞳を開く。

ユースィフがその指先を天に向けると、今まさに落ちようとしていた雷が天で蠢き、その姿を変え始めた。

「なに?!」

天では雷鳴が轟き、その蠢いている雷は次第に円覚の良く知っているもの……龍に姿を変える。

「な…!」

「今度は、こちらからいくぞ」

ユースィフが天に向けた指先を返し円覚へ向けると、雷龍が咆哮を上げながら空を突き進んだ。

「う、うわあああああ!!」

龍は脇目も振らずに円覚へと奔り、激しい光と轟音と共に彼を襲う。

円覚は、思わず目を瞑った。

ドォン!

激しく地面が揺れ、瞑ったままの目にも激しく光が映る。

ーー死んだな。

ぼんやりとそんな事を円覚は思った。

しかし、いつまで経っても痛みや熱さ、衝撃が来ないことに、円覚は恐る恐る目を開く。

見れば、雷龍は自分を避け、その足元を黒く焼け焦がし、地面を深く深く抉っていた。

「………」

円覚はへたりとその場に座り込む。

完敗だった。

自分の最高の技を、そっくりそのまま返された上、その技を更に完璧なまでに仕上げられたのだ。

円覚は、しかしなぜか悔しさよりも清々しさが勝っていることに気づく。

「ふ…はははは…はははははは!!」

「な、なんだこいつ」

突然笑い出した円覚に、ハーシムが眉根を寄せる。

「おれの完敗だ。ここまでとは…!」

円覚はひとしきり笑うと腰を上げ、ユースィフに近づく。

「いや、流石だ。おれの幻獣を倒したのはまぐれでは無かった」

円覚はそう言うと、懐から羊桂英の遺灰を出した。

「ほら、約束のものだ。偽物なんかではないから、安心しろ」

「恩に着る」

「それはこちらの台詞だ。良い経験ができた。おれはまだまだだ」

かかか、と豪快に笑うと円覚は遺灰をユースィフへ渡す。

「名を、聞いても良いか?」

円覚の言葉に、ユースィフは屈託なく笑った。

「勿論だ。おれはユースィフ。こちらの人間は柚世富なんで呼ぶ」

ユースィフの言葉に円覚は頷き、はたと気がついたように空を眺める。

「おっと、いかん。寺の朝は早い。まだ夜は明けぬが、そろそろ朝の修行の者が起きてくる時刻だ…」

円覚がそう言うと、ユースィフは周りを見渡す。

これ以上余計なゴタゴタは避けたいところだ。

「もう少し進むと、そこに結界の綻びがある。そこから外に出ると良い」

円覚はそう言うとユースィフを見据えた。

「では柚世富。こんな事しておいて言うのもなんだが、今度はまた茶でも飲まないか」

円覚の言葉に、ユースィフは頷いた。

「ああ、そうさせて貰おう」

「では、ゆけ」

そうして、無事羊桂英の遺灰を手に入れたユースィフたちは、房の門扉が開くとすぐに永平房の平安寺へと向かった。

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