第27話 初な悪役令嬢


「よろしいわね、ミルティシア。大切なのは民を思う心。力ある者は、それを忘れてはなりません」


「はいっ、御姉様」


「そして努力は報われるものです。時々、息抜きをして鋭気を養いなさい。方法は何でも良いわ。辛くなったり苦しくなったら、好きな事をやって、自分を労りなさい」


「はいっ!」


 ハシュピリス辺境伯領に来るまで。そして来てから今まで。エカテリーナはあらゆるモノをミルティシアに見せ、やらせ、それに興じる楽しみかたや触れ合いかたを彼女に教えてきた。

 共にある彼女の若い側仕えや護衛らにも、匙加減を仕込みつつ、自分の侍従らに指導を頼んでおいた。


 ミルティシアを理解し、その行く手を阻まず、ここぞという時には苦言も呈せる。そんな従者となれるよう。

 

 ミルティシアのみならず、その周りをも教育し、エカテリーナは我知らず、ふっと小さく笑った。


 まだまだこれからだが、その基本は叩き込めたと思う。これからも共に学び、育ってゆけば、類稀な御令嬢に変貌するだろう。


 それには周囲の理解も必須だ。


 こうして側仕えらや護衛ら共々、教えるチャンスに恵まれた事を、エカテリーナは心の底から神に感謝した。


「春の卒業式までに間に合って良かったわ。これからも精進なさい。悪女は一日にしてならずよ」


「はいっ、御姉様っ!」


 王都に還れば卒業式とダンスパーティーが待っている。

 その最後に、今回の大騒動に対する慰労と報償の宴もあるらしく、例の増援を出さなかった諸侯への処罰も待っているらしい。


 いったい幾つの御家が潰されるかしら。まあ、自業自得だから仕方無いけれど。


 国の窮地に傍観を決め込む貴族など、百害あって一利無し。


 酷薄な冷笑を浮かべ、エカテリーナは窓の外に視線を振った。

 

 明日を最後に王都へ戻る。


 また堅苦しい日々の始まりね。後宮に賜るはずの離宮の改築は終わったかしら。早く御役後免になりたいものだわ。


 王宮の画策や王太子の心情を知らぬエカテリーナは、未だに自分を仮初めの王妃になるものだと思っていた。

 ラシールの入れ知恵で、王太子が地位を返上し、エカテリーナを女王に据えようとしている事も、それを国王夫妻のみならず、元王女殿下であるミルティシアの祖母が支援している事も、今のエカテリーナは全く知らない。


 


 翌日、隣領地からやってきたラシールと合流し、エカテリーナ達は、一路、王都を目指して出発した。


 行きと同様、道中を楽しみ、エカテリーナ達は帰還する。




「まだか?」


「早馬の知らせでは、一つ向こうの領地におられるとの事です」


「そうか」


 忙しなく足を動かし、フィルドアはトルソーに掛けられたドレスを見る。


 蒼のグラデーションがかかった見事なドレス。脚の付け根辺りから豪奢なドレープのスカートが広がり、複数の長さ違うスカートを幾重にも重ねたそれは、スカート生地の間に挟まれたレースによってフワリと華が咲くように広がっていた。

 上部は肩紐のみのシンプルな作り。その上にオーガンジーのボレロをはおるスタイル。

 ボレロは透けていて、二の腕半分あたりから長い花弁のようなフリルがついている。


 ドレスもボレロも裾の刺繍や差し色は金。


 王妃とネル婆様、渾身の作。


 今時の主流なドレスにネル婆様による監修の入ったモノだ。


 これに揃いの靴と、アクセサリー。

 アクセサリーも金を土台にしたサファイアの見事な逸品。

 繊細な浮かし彫りに煌めく見事なサファイア。


 エカテリーナの帰郷中、この一式を揃えるため、フィルドアは全力を尽くした。


 女性の装いなど全く分からない彼は、王妃に頭を下げ、ネル婆様に土下座し、間違いなくエカテリーナの好むであろうドレスやアクセサリーを選んで貰ったのだ。


「今時はリーナの趣味ではないよ、たぶん。アレは慎ましやかな娘だ」


「以前は超前衛的なドレスでしたけど、新年舞踏会では確かに落ち着いた装いでしたわね。参考にしましょ」


 あーでもない、こーでもないとデザインをやり直し、ようやく出来上がった一揃い。

 フィルドアが指定したのは色のみだった。

 基本色は青で。差し色は金で。

 ただこれだけなのだが、辛口な家族が呆れたかのように生温い笑みを浮かべたので、思わず、そっと顔を逸らしたフィルドアである。


「男の性かね」


「独占欲より、まずはリーナに釣り合う努力をなさいな」


 耳まで真っ赤にするフィルドアに二人の身内は容赦なくトドメをさした。


 分かっておりますっ!


 頬に走る朱を拳で隠して、悶絶しつつも、色のグラデや差し色の配置をしっかりと指示するフィルドアだった。


 


 そうして出来上がった一式を眺めて、フィルドアの鼓動が駆け足を始める。


 エカテリーナは気に入ってくれるだろうか。

 気に入らなくても、きっと身につけてはくれるだろう。でも気に入ってくれたら嬉しい。


 ぽややんと色々な妄想を脳裏に描きつつ、あらゆるエカテリーナ反応をフィルドアがシミュレートしていた頃。


 夜営中で、大きな焚き火を囲み和んでいたエカテリーナ一行。

 僅かに酒を嗜んだエカテリーナは、夜風に当たりに天幕を出た。

 まだ寒さの残る春頭。火照った顔を擽る冷たい風が心地好い。

 天幕から離れ、馬車の方へ向かうエカテリーナを眼にとめ、夜番の護衛が付き添おうとしたが、それをラシールが片手を翳して止めた。


「私が行きます」


 ならばとラシールに任せ、護衛は夜番を続ける。


「リーナ」


「あら、ラシール」


 軽く息を切らせてやってきたラシールを見て、リーナは、ほにゃりと笑みを浮かべた。

 酒気をおびて微かに上気した頬や目尻。たったそれだけなのに、惚れた欲目も有り余るラシールには、えらく扇情的に映り、眼のやり場に困ってしまう。


「いや、夜も更けた。あまり天幕から出ない方が良い」


「ん~っ、固いこと言わないで。そんなの城の侍女らだけで沢山よ」


 ひらひらと手を振り、エカテリーナはラシールから眼を背けた。

 その細い指先を摘まみ、ラシールはそっと彼女の手を取る。そしてその掌を上向けると、少し躊躇いながら、華やかなレースで出来た何かをエカテリーナの手に握らせた。


 それを見てエカテリーナは、ぼっと顔を赤らめる。


「その....... ダンスパーティーでは王太子のエスコートがあるだろう? 装いもそれに倣うはずだよな? だから、これ...... 着けて?」


「これって....... ガーターベルトよね? どうして貴方が?」


 掌の中には柔らかく上質なレースで飾られたガーターベルト。淑女の必需品だが、殿方が手に入れるのは至難の技なアンダーウェアだった。

 中央のベルト部分は紫で、そのまわりを彩るレースは萌葱色。

 エカテリーナの瞳とラシールの髪の色である。二人の象徴的な色目のそれは、明らかに艶っぽい意味を持つ贈り物だった。

 これを着けるということは、婚約者である王太子に対する秘め事である。心だけとは言え不貞行為。

 その凄まじい背徳感に、エカテリーナは、ぞわぞわと背筋を這い上る悪寒を止められない。


 え? これをどうしろと? 着ける? 着けるの? ドレスの下に?


 込められた情を正しく察し、エカテリーナは茹で蛸みたいに耳から首まで赤く染まる。


「.......着けて? な?」


 ラシールの脆く淡い瞳に浮かぶ懇願。祈るように呟かれた言葉に、エカテリーナは口から心臓が飛び出しそうだった。


 ラシールの美貌には全く動じない彼女だが、こんな直接的な行動には何時も面食らう。

 時折見るラシールの劣情に、未だ慣れない。エカテリーナの経験値が足りない。ぶっちゃけ免疫がない。


 ああああっ、もうーっ、勘弁してちょうだいっ!


 社交であれば、幾らでも狡猾に見つめ、囁き、左右へ流す極悪令嬢。野獣を切り裂き、戦場を駆け抜ける歴戦の強者。

 しかしその実、色事にはド素人である。

 悪役令嬢の鉄壁な鎧が虫除けとなり、そういった対象と見られた事もなく、艶めいたアプローチを受けたのはラシールが初めてだった。


 実のところ、エカテリーナに憧れ憧憬の眼差しを向ける者は多い。

 本人は気づいていないが、それと気づかれる前に、そういった不埒な輩はラシールが排除していた。

 妹溺愛なブラザーズも参戦し、彼女の気づかぬ間に、フラグらしいフラグは全てヘシ折られていたのである。


 結果、純粋培養な悪役令嬢、一丁あがり。


 ラシールは柔らかく細いエカテリーナの指を包み、そっと口付け、上目遣いに彼女を見た。


「着けて? 俺は待ってるから」


 睫毛ビシバシの潤んだ瞳。


 壮絶な色気に当てられ、エカテリーナは喉の奥が焼ける。声を出そうとしても、熱さで口の中がヒリついて言葉を紡げない。


 あんたって奴はーっ!


 頭から湯気を吹き出しつつ、エカテリーナは力なく頷いた。

 そんな彼女に、ラシールは華もかくやという笑みを浮かべる。心底嬉しいと物語る蕩けた笑顔。

 

 これに抗える御令嬢はいるのかしら。


 今さらながら、己が幼馴染みの狂暴な情に翻弄され、エカテリーナは、向けられた真摯な愛情が不快でない事に気づく。

 

 まあねぇ。知らぬ仲でもないし、超優良物件だし、この先の正室交代な未来を思えば........ 確約の愛情を示してくれるラシールの存在は有り難いわよね?


 今は振り回されてる感が強いが、これが心地好くもある。


 だけど恥ずかしい事には変わり

ない。


 ラシールに包まれている手の中が、さらに熱を帯び、何とも複雑な心境のエカテリーナである。


 何にも動じない豪胆なイメージのエカテリーナが、ラシールの掌の熱さに右往左往しているなどと、王宮で彼女の到着を待つフィルドアは全く知らなかった。

 

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