第11話 悪役令嬢とネル婆様 ~3~


「良い御令嬢を捕まえたじゃないか」


 晩餐会も終わり、それぞれが控えの間で舞踏会を待つ頃。王族専用の間では、御満悦なネル婆が国王夫妻と同じテーブルでお茶を飲んでいた。


 揺らめく紅茶の中に件の令嬢が浮かぶ。


 真後ろから声をかけたにも関わらず、彼の御令嬢は狼狽えた様子もなく、ゆったりと振り返ると見事なカーテシーで微笑んだ。


 淑女は、ああでなくてはいけない。


 物怖じせず、物欲しがらず、暑さ寒さも口にせず、飢えも渇きも味方につけ、ただたゆとう水面のように淑やかでゆったりとあれ。常に凛とした華であれ。


 古い言い回しだが、淑女とはそういうものだ。


 物怖じせず、物欲しがらずにいるには、常に満たされていなくてはならない。作法や礼儀はいうに及ばず、知識、情報、教養。すべてにおいて常に最先端でなくてはならない。

 でなくば狼狽え、羞恥を覚え、妬みと嫉妬に溺れる。

 それらを満たし、毅然と立つには計り知れない努力が必要だ。

 どんな状況でも清しく佇み、不満を覚えず微笑み続ける。王侯貴族が担う重責に耐え、民に決して不安を抱かせてはいけない。


 ネル婆が王女であった頃は、それらが当たり前だった。


 それが今じゃどうだ。


 ぬるい躾に足りない知識。晩餐会においても、かろうじて及第点だったのは国王一家と辺境伯のみ。

 話題はゴシップに限り無く近い噂話や当たり障りのない風刺。

 唯一まともな話題は辺境伯からの樹海の微かな異変や、エカテリーナの学園生徒会の仕組みの見直しだけだった。


 ああいった話題こそが晩餐会本来の目的なはずなのに。


 上っ面な貴族を排し、国の要人が政の話題を忌憚なく話せる場所が宮廷晩餐会である。

 一年の節目に見直したい部分を話し合い、後日議会で調整し、議題とする。通常は議題にあげられない事や、どんな些細な事でも口にして良い場所。それが宮廷晩餐会だった。


 父王の頃から趣が変わりつつあったが、今やたんなるステータスに成り下がり始めている。


 長く平穏が続いているせいもあるのだろう。


 王侯貴族の義務も責務も忘れ、ただ安穏と過ぎていく日々に危機感もなく、贅沢を甘受し享楽に耽る臣下達。


 このままでは民の重荷になるだけだ。


 しかし、どうすれば良いのか、ネル婆にも皆目見当がつかなかった。

 このままではいけないと思いつつも、具体的な案はない。


 そんな中に一つの朗報。それがエカテリーナである。


 彼女が正妃となるならば、少なくとも後宮は正しく維持されるだろう。次代の王の教育にも期待が持てる。

 さらには次代が貴族らに影響を与え、真っ当な選民を育めるかもしれない。


 淡い期待にほくそ笑むネル婆に、国王夫妻は隠しておけないと判断し、しどろもどろながら件の契約の話をした。


 全てを聞き終えたネル婆は瞠目し、次には地を這うような声音で呟く。


「すると何かい? あんたらボンクラは慰謝料と責任追求から逃れるため、辺境伯令嬢を飾り物にするって事かい?」


 信じられない愚考に、しばしネル婆はこめかみを押さえる。そして長らく守ってきた淑女の仮面をかなぐり捨てた。


「たわけがっ、ようやく一端の男になったと思っていたのに、このていたらくかっ!! 両親も同罪だよっ、王太子を諌めるや止めるの話じゃないっ、そういった結果になる事を予測出来ない時点で、王子の教育が足りなかった事丸わかりじゃないかっ!!」


 ネル婆から般若のような顔で辛辣に罵られ、国王一家は返す言葉もない。

 ひとしきり叫ぶと、ネル婆は肩で息をしながら天井を仰いだ。

 たぶんエカテリーナは全てを解っているのだろう。王太子のやらかしも、辺境伯の怒りも、自身の未来も。

 全てを丸くおさめるために彼の御令嬢が奮闘した姿が眼に見えるようだ。

 きっと辺境伯もエカテリーナも慰謝料などには固執していない。ひょっとしたらエカテリーナ自身は王太子のやらかしすらどうでも良いのかもしれない。

 彼女を罵り大嫌いだと宣言した男に愛想も尽きた事だろう。淑女の鑑たるエカテリーナであれば、無駄な労力は使わず、さっくりと切り捨てる。


 たぶん収まらないのは娘を侮辱された辺境伯だ。全てをつまびらかにし、王太子に鉄槌を下したい。その気持ちは同じ子を持つ親として良く解る。


 それを窘め、エカテリーナが契約とやらで収めてくれた。しばしの年月を後宮で過ごし、全てを無かった事にしてくれると。


「全く....これじゃどちらが王族がわからないね。庇護すべき家臣に擁護されて、どんな気分だい? フィルドア」


 幾分疲れた顔で険しく見つめられ、王太子は唇を噛み締めた。

 全てが自分の失態である。不本意なれど婚約者に迎えるならば最低限の敬意を持つべきだった。

 うわべだけでも繕い、いよいよとなるまでは本心を口にすべきではなかった。

 今の彼女なら妃に相応しい。いや、他に正妃は考えられない。

 自分の浅はかな短慮が、契約という形になり、彼女との正しい婚姻を絶望的にした。


 後悔しきりな王太子だが、前提が間違っている事を彼は知らない。


 エカテリーナは妃になどなりたくなかったのだから、もし王太子が礼儀を尽くし妻と望んでも、婚約破棄に持ち込むため、さらなる悪役令嬢ぶりに拍車がかかった事だろう。

 逆説的ではあるが、王太子との正しい婚姻が結ばれない契約があるからこそ、エカテリーナは悪役令嬢をやめたのである。


 つまり、どんなに足掻いても結果は同じだったのだ。


 多少の語弊はあれど、ほぼ正しくエカテリーナの思惑を看破して沈痛な面持ちのネル婆には申し訳ないが、正直、御愁傷様としか言い様がないのである。


 ぬか喜びだったのか、はたまた泡沫の夢か。なるようにしかならないねぇ、これは。


 一抹の希望を抱きつつ、ネル婆は孫娘達の晴れ舞台を拝みに、国王夫妻と舞踏会会場の大広間へ向かう。


 ネル婆にしては珍しく、その足取りは重かった。

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