第6話 王太子の決断


「初めまして王太子様。エカテリーナ・ハシュピリスです」


 優雅なカーテシーを決め、にっこり微笑む幼女。


 派手なドレスに豪奢な巻き髪。重そうな宝石をジャラジャラさせ、噎せかえるような香水の臭いがフィルドア・アズハイルの意識を遠退かせる。


 第一印象は最悪。しかし、指先まで神経の行き届いた所作に、フィルドアの眼は吸い付いた。


 この年齢で大したものだ。相当の努力が垣間見える。


 王太子の想像は正しい。しかし、エカテリーナのそれは、淑女としての努力ではなく、悪役令嬢としての努力だった。

 エカテリーナにとって悪役令嬢とは完璧でなくてはならない。他の追随を許さず、完璧であるからこそ思うがままに傍若無人に振る舞える。それがエカテリーナの思い描く悪役令嬢だった。


 結果、皮肉な事に、エカテリーナは淑女としても完璧な御令嬢となる。本人の意図とは関わらずに。




「エカテリーナ。そなた、もっと人に優しくは出来ぬのか?」


 苦虫を噛み潰したかのような顔で王太子はエカテリーナに苦言を呈す。

 それを扇の影から見据え、彼女は残忍な微笑みを浮かべた。


「御言葉ですが王太子様。あのようにはしたなく殿方にすり寄るなど、淑女としてあるまじき行いですわ。幼いからこそ、正しく導かねばなりません」


 王太子は言葉に詰まる。エカテリーナの言い分は正しい。


 先ほどの御令嬢らは不躾にも王太子のテーブルに無許可で座り、パートナーのエカテリーナを差し置いてお茶や菓子を勧めてきた。

 結果、エカテリーナの逆鱗に触れ、盛りのついた雌猫だと散々罵られたのである。


 確かに言い分は正しい。しかし、あんなに悪し様に罵られては、御令嬢らの立場もないしエカテリーナの評判にも差し障る。


「もっと言い方があったであろう。そなた本当に性格が悪いなっ」


「それは褒め言葉ですわね。嬉しいですわ」


 如何にも至福と言わんばかりに恍惚とした少女の笑みに、王太子は身震いした。


 こんな苛烈な御令嬢をフィルドアは見た事がない。


 エカテリーナ本人が嗜みに優れ完璧な礼儀作法を身に付けているがゆえに、どれだけ罵られても御令嬢らは反論出来なかった。

 派手なドレスも過剰な装飾も、中身が伴えば非難する事は出来ない。子供が本物の宝石をジャラジャラ着けていても、中身がそれに見合う淑女なのだ。


 大人らも、エカテリーナの優雅な所作に見惚れていた。


 手荒に扇で相手を打っても、それすらが計算された舞のように美しく、打たれた御令嬢すら絶句する有り様で、周囲が口を挟む余地もない。


 しかし人の口に戸は立てられず、見ていた人々はエカテリーナの陰口を叩くだろう。


 王太子は悔しげに唇を噛み締めた。


 それからもエカテリーナの行動は過激さを増し、ある日、とうとう一人の御令嬢を泉に突き落とす。

 自らをも巻き込み、突き落とした御令嬢を罵り、さらに突き飛ばして泉の中に尻餅をつかせ、至近距離から脅すように何かを囁いていた。


 囁やかれた御令嬢は真っ青な顔で逃げ出し、それを眺めながら、エカテリーナは扇の下で大きく溜め息をつく。


 王太子は、どちらに声をかけるか迷ったあげく、被害者である御令嬢を追いかけた。


 御令嬢は馬車に乗り込む寸前で、追い付いた王太子はエカテリーナの非礼を詫びる。

 しかし、御令嬢は顔を真っ赤にして、左右に首を振った。後で厳しく叱っておくからと言う王太子に、御令嬢は暫し考え込んでから、小さく呟いた。

 それを聞いて王太子は軽く瞠目し、慌ててエカテリーナの元へ向かう。


 エカテリーナは主催の屋敷で一室を借り、びしょ濡れになった髪を洗いドレスを着替えていた。

 濡れて巻きの緩くなった髪。着替えたドレスは借り物でシンプルな物。身体を洗ったのと着替えたのとで、近寄りがたい香水の匂いも失せていた。


「こんなお見苦しい粗末な格好で申し訳ありません」


 綺麗なカーテシーでエカテリーナはお茶会を辞すると王太子に伝える。

 言うか言わぬか迷いながらも、王太子は被害者から聞いた事を口にした。


「御令嬢が、ありがとうと....そなた、遣り方がおかしいだろう? 何故にあんな遣り方がしか出来ぬのだ?」


 件の御令嬢のスカートには小さなシミが見えた。まだ目立つものではなかったが、このまま茶会で椅子に座り続けていたら、確実に広がるシミである。

 あの御令嬢は月のものが来ているのに気づいていなかったのだ。

 エカテリーナは暫し無言で王太子を見ていた。そして無邪気に微笑むと、全く悪びれる様子もなく平然と悪態をつく。


「だって、あの御令嬢、チラチラと王太子様をうかがっていたのですよ。まったく恥知らずな。だから泉に突き落としてやりましたの。月のものの話をすれば文句も言えずに逃げると思いまして。スッキリいたしましたわ」


 王太子は唖然とエカテリーナを見つめた。


 悪魔か、こいつは。


「そんな事で? そなた、本当に底意地が悪いのだなっ!!」


「王太子様に近寄る女はネコであろうと蹴散らしますわ」


 しゅっと背筋を伸ばし、エカテリーナは優雅に一礼すると部屋から出ていった。

 そして残された王太子は彼女の言葉を反芻する。


 自分に近寄る御令嬢にエカテリーナは容赦がない。今までも、ずっとそうだった。

 彼女を止めるには婚約者候補から外す他はない。そうせねば、エカテリーナの行動は更に過激になり、悪評があとをたたなくなるだろう。

 完璧な淑女なのに、自分に情を寄せているせいでエカテリーナの評判が地に落ちる。

 幼い頃からエカテリーナの完璧な淑女としての努力を見てきた王太子には、彼女の花開く未来が閉ざされるのは我慢ならなかった。

 こんな事になるなら、婚約者などいらない。あんなままではエカテリーナは妃になどなれない。傲慢で嫉妬深く容赦ない女など妃に迎えられる訳ないではないか。

 エカテリーナは妃に不適合だ。まだ傷が浅いうちに解放してやらねば。


 そう意気込み、両親である国王夫妻に何度も懇願した王太子だが、その全ては無駄に終わった。 

 如何にエカテリーナが傲慢で悪態をつき妃に相応しくないと訴えても、両親は口を濁し、良い返事をしてはくれなかった。


 そうこうするうちに卒業ダンスパーティー当日。


 この頃には国王夫妻もエカテリーナの極悪ぶりに溜め息をつき、ようよう他の婚約者候補を妃に迎えるよう王太子に薦めていた。


 何て無責任な。あれほど説明してお願いした時には首を振らなかった癖に、今になって掌を返すとは。

 あれからもエカテリーナの行動は過激さを増し、王太子の予想通り彼女の評判は地に落ちた。

 危惧していた未来が、ここに確定してしまった。

 あの突き抜けた傲慢っぷりでは他に縁談は望めまい。側室に迎える手もあるが、プライドの高い彼女が正室と揉めるのは眼に見えている。

 エカテリーナ自身は完璧なのに.....あの嫉妬深さと派手で傲慢な性格さえなくば.....特に俺が他の御令嬢と関わると、エカテリーナは人が変わるからな。


 そこまで考えて、王太子は自嘲した。


 なんで揉め事しか起こさないあんな女の事を考えているんだか。両親の言う通り、宰相の孫娘を婚約者に指名すれば良い。


 壇上に上がった王太子は、自分を見つめる大勢の衆目の中にエカテリーナを見つけた。

 何時ものように悠然と佇み仄かに口角を上げた完璧な令嬢の姿。これで高飛車な傲慢さがなくば、誰も文句のつけようもない妃候補だったのに。


 そしてふっと悪魔が囁く。


 後宮に閉じ込めて社交や公務に関わらせなければ、エカテリーナも落ち着くのではないか?


 王太子に関わる女性に敵愾心剥き出しなのだ。正室として後宮に迎えたら満足して、本来の彼女に戻るかもしれない。


 それでダメなら、後宮に閉じ込めて、側室を迎えるしかないが、試すぐらいはしても良かろう。

 両親を説き伏せられなかった責任もある。


 こうして王太子はエカテリーナを婚約者に選び、現在に至った。




 憑き物が落ちたかのように淑やかに佇む彼女を眼にしながら、自分の判断が間違っていなかったと安堵して、王太子は満足気にお茶を啜る。


 ただ、彼はまだ自身の気持ちに気づいていない。何故、ずっとエカテリーナを見つめ、誰よりも彼女の本質を見抜いていたのか。

 全く無自覚なまま王太子は、いずれ側室に迎えるであろう御令嬢を誰にするか想いを馳せる。


 出来ればエカテリーナと仲良く出来る者が良いな。そうすれば、エカテリーナを正室においたまま穏やかな後宮を維持出来るかもしれない。


 ここまで考えていても、未だに自覚が芽生えない、お馬鹿な王太子様だった。

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