悪役令嬢は決闘する

 アンネは焦っていた。

 入学してから一ヶ月は過ぎたというのに思うように攻略が進んでいないのだ。その証拠に、未だ自分の周りには誰一人として攻略対象者がいない。


 痺れを切らしたアンネは現状を打破する為、乙女ゲームの知識を活かし、とあるアイテムを使うことにした。

 とはいえ、この世界に好感度を上げる課金アイテムなど存在しない。

 用意できそうなのは『食べ物』くらいだ。その中でも一番容易に手に入れる事が出来たもの、それが『手作りクッキー』だった。

 このアイテムが有効となる相手は騎士を目指しているカイ・ヴェルナー。ヴェルナー男爵家は爵位こそ低いが数百年も前から近衛騎士として王を守り続けている歴史あるお家柄だ。


 アンネはクッキーを片手に、カイを呼び出した裏庭へと早足で向かう。そこには、すでに到着していたカイがソワソワした様子で待っていた。


「カイ様」


 アンネが名前を呼ぶとビクリと身体を揺らした。ゆっくりとカイが振り向く。


「お待たせしてすみません」

「い、いや。それで……用事とはなんだろうか」

「これをカイ様にお渡ししたくて」


 アンネが可愛くラッピングしたクッキーを差し出す。


「これは、クッキーか。何故俺に」


 カイは受け取ったクッキーとアンネの顔を見て、戸惑いながら尋ねた。アンネは首を傾げ、寂しそうに微笑んだ。


「カイ様とお友達になりたくて作ってきたんです。私は……まだ、カイ様以外の方には避けられているようなので……」


 アンネは昔飼っていたハムスターが亡くなった時の事を思い出しながら俯いた。


「私とお友達になってくださいませんか?」


 狙い通り瞳をウルウルさせ、カイを見上げる。効果覿面だったらしくカイが顔を真っ赤にしながら頷く。


「今、食べてもいいか」

「はい、どうぞ」

「うん、上手い。チョコ味のクッキーだな!」

「いえ、それは普通のバタークッキーです」

「そ、そうか。こんな上手いバタークッキーを作れるなんてアンネ嬢は料理上手なのだな!」


 カイは手元のバタークッキーを口に詰め込みながらアンネを褒めた。アンネは「そんなこと」と謙遜しつつも満更ではない表情を浮かべる。


「あの、カイ様。よければ、相談にのってくれませんか?」

「それはかまわないが、どうしたんだ?」

「実は、気のせいかもしれないんですけど……私いじめられてるんです」

「何?! 誰にだ?!」


 アンネはポロポロと涙を流しながら語った。ユーリの悪事を無いこと無いことカイに語って聞かせた。

 アンネの話を最後まで聞き終えたカイは憤慨した様子で「俺に任せろ!」と言ってその場から走り去る。その後ろ姿をしばらくの間黙って見ていたアンネはニヤリと笑みを浮かべた。



————————



 ユーリは目の前の人物が何を言っているのか理解出来ず、思わず隣のレオンを見た。レオンは取り合う必要はないと首を横に振る。そうしたいのはやまやまなのだが、目の前の男は簡単には諦めてくれそうにない。ユーリはどうしたものかと悩んだ。


「おい! 聞いているのかユーリ・シュミーデル!」


 ユーリとレオンがお茶をしている場所にまでわざわざ来て喚き散らしているカイ。レオンは目の前の男に内心苛立ちを募らせていた。しかも、内容は『ユーリがアンネをいじめている』というものでいじめの詳細はどれも言いがかりのようなものばかり。

 アンネの魂胆が安易に透けて見える。その策略にまんまとはまっている目の前の男。コイツは将来使えないなと判断した。


「だいたい、女が剣を使うのが間違っているんだ。どうせ剣聖に次ぐ実力っていう噂も自分で流したんだろ。それとも、剣聖もたいした腕ではないのか?」


 バキッ、とが折れた音がした。

 カイとレオンの視線がユーリの手に吸い寄せられる。淑女の手では到底折れそうもない扇子が見事半分に折り曲げられていた。


「私のことはいい。だがな。今のは聞き流す訳にはいかない。がヴェルナー家の総意なのか?」


 ユーリがゆらりと立ち上がり鋭い視線をカイにぶつける。自分の行き過ぎた発言に気づいたカイは青ざめるが今更取り消すことなどできない。口を開閉させるだけで精一杯だ。


「ユーリ、落ち着け。今のはカイ、お前個人の意見だな?」


「そうだろう?」とレオンが問いかければコクコクとカイが頷く。それでもユーリの表情は変わらない。そして、レオンも少なからずカイの発言に怒りを感じていた。


「ならば、その目で確かめてみるといい」

「え?」

「私が決闘を認めるから、ユーリの腕を確かめてみろと言っているんだ」


 こうして、ユーリとカイの決闘はレオン立ち会いの元、行われることになった。




 ユーリ達は教室からグラウンドへと場所を移していた。本来この時間の授業を担当していた教師が付添い、Sクラスも全員揃って見届けることになった。レオンとノリのよい学園長のおかげでこの非公式な決闘が実現したのである。

 教師が刃を潰した模擬刀を二人に渡す。ユーリは模擬刀を手に取り、眉根を寄せた。


「ユーリ、ダメだよ。こっちにしておきなさい」


 突如気配なく現れたニコラスがユーリの手から模擬刀を奪い、代わりの木刀を渡す。周囲の生徒達が驚きの声を上げた。


「さすがに学園で人を殺しちゃまずいからね。とはいえ、シュミーデル家を侮られたままではいけない。だから、適度に半殺しね?」


 微笑みを浮かべるニコラス。だが、その目は一切笑っていない。 

 『これだから腹黒は』とレオンが心の中で呟いたタイミングで、ニコラスの視線がレオンに向けられる。レオンは内心冷や汗をかきながらも、何食わぬ顔で話しかけた。


 聞けば、ニコラスはを耳にして、ユーリのセーブ役として許可をもらい、わざわざ授業を抜けだしてきたらしい。模擬刀を教師に返すとレオンの隣に立つ。最後まで見届ける姿勢だ。レオンは諦めて、対峙している二人を見た。


「あー、それではやるぞ」


 レオンの掛け声にユーリとカイが剣を構えて向き合う。

 カイはプレッシャーを感じてはいるものの、ユーリに勝てるという自信があるようで余裕の笑みを浮かべていた。

 一方、闘うことに集中しているユーリの顔からは表情が抜け落ちていた。ユーリが発する静かな闘気はカイにも届いたようで、カイの表情から笑みが消える。


「始め!」


 レオンの声と共に先に踏み込んだのはユーリだ。一瞬で間合いを詰め、木刀で腕を叩く。

 突如襲った痛みにカイは思わず手にしていた模擬刀を落とした。次の打撃を予想し、腕で己を庇ったが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。

 恐る恐る目を開くと、ユーリが感情の読めない目で己を見据えていた。女性にしては低い声で告げる。


「剣を取れ」

「っ。馬鹿にしやがって! くそっ! っらぁあ!」


 カイは殺る気で剣を振り上げた。その隙をユーリが見過ごすはずもない。力強く踏み込み勢いのまま、胴に木刀を叩き入れた。防具も付けていないカイの身体から骨が折れるような鈍い音が鳴る。呻き声がカイの口から漏れる。膝をついたまま、痛みで立ち上がれそうもなかった。


「これで先程の発言はなかったことにしてやろう。だが、次また同じことを言うのであれば、今度は手加減などしない」


 冷めた目でカイを見下ろした後、ユーリは着替える為校舎へと戻って行った。

 ユーリが去ったグラウンドではユーリの圧倒的な強さを目にした女子生徒達が黄色い声をあげ、男子生徒達は剣聖の娘の実力を間近で見れたことに興奮していた。


 そんな中、アンネは教師の手によって運ばれていくカイに駆け寄るでもなく、ただ呆然とユーリの背中を見ていた。見慣れたジャージ姿に凛々しい言動。

 

「嘘でしょ。ユーリ様とユーリ・シュミーデルが同一人物なんて」


 呆然と呟いた言葉は誰の耳にも届かなかった。

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