第16話 鍋を食べよう

 私が選んだ桃のお酒は口当たりは本当に桃の炭酸ジュースと言う感じだけれど、化学的な苦味が後味に残りやはりお酒なんだと認識させられる。だけど意外といけるかも。ゴクリと飲み込むと喉の奥がカーっと熱くなった。


 鍋の蓋の蒸気穴から勢いよく湯気が一直線に噴き出すのを見て私は声をかけた。


「蓋開けますよ?」

 私が蓋を取ろうとすると、

 

「あ、危ないから僕がやるよ」と小平君が私の代わりに蓋を開けてくれた。

 なかなかさりげないじゃないか。


 蓋を開けると一気に湯気が立ち上り鍋から50センチほど上空でキノコ雲の様に広がりやがて霧散した。


「おおお!」

「おいしそう」

 見た目はね。あとは味だけれど、いつも通りやったから問題無いはず。


「はい、ポン酢」と朱美さんが小平君に渡すと、ありがとうと言って小鉢に注いだ。


 全員にポン酢が行き渡り、

「いただきます!」と言ってみんなで手を合わせた。


「美味しい!」

「うん、生姜が効いてて美味しいね!」

「うまいよお」

 みんなの評判も上々で私もほくほく顔である。もっと褒めて。


「ちょっと恵梨香さん、このツクネ何入れたの? なんかすごく香ばしいんだけど」

「ゴマ?」

「ゴマかあ!」

「うん、すりごまといりごまを入れてあるよ」

「いりごまは見えてるけど、すりごまも入っているんだ」


 小平君は早くも二本目のビールに手を伸ばしている。


 しかし、5月である。8畳一間のワンルームに4人が入り鍋を突く。鍋からも湯気が盛んに立ち上っていて暑くないわけがない。


「さっくん、エアコン付けよう、暑いよ」と小平君がナイスな提案。

「そうだねえ」とさっくんも同意した。


 鳥団子に生姜がたっぷりと入っていて、体温も急上昇である。じんわりと汗が滲み、私も羽織っているシャツを脱いでTシャツになった。アルコールも手伝ってか顔も熱い。パタパタと掌で顔を扇ぎ涼を求める。


「さっくん、次何飲む?」と小平君が立ち上がり冷蔵庫へ向かう。

「ビールでえ」とさっくんが答えると、

「朱美ちゃんと恵梨香ちゃんは? まだいけるよね?」と訊いてきた。


「わたしレモンでー」と真っ赤な顔をした朱美さんが片手を上げた。

 ちょっと朱美さん、大丈夫?


「恵梨香ちゃんは?」

 ちょっと迷う。今まで1本飲み切った事も無いのに、2本目はヤバくないだろうか。だけれど、暑さもあってかもう1本くらいなら大丈夫かなと思い、


「何味があります?」と聞いた。


「えっと、桃、レモン、グレープフルーツ」

「じゃあグレープフルーツで」


 お酒を受け取りプルタブを開け口に含む。ああ、これも美味しい。火照った体にしみ込むわ。


 いっぱいに作った鍋もあらかた食べつくし、しなびたネギがゆらゆらと漂う程度になってきた。 

 さっくんは自分で買ったウインナーを袋ごとポリポリと食べている。


「英語Iのさ、ほら山内センセのさ、ほらほら、あの発音さ」

「ウゥライッとかいうヤツでしょ、わかるーははははは」

「そうそう、舌をどんだけ巻いてんだよって感じの」

「あはははは」


 私達はお互いの恋バナや高校時代の事、講師の愚痴や講義の事などの話題で結構盛り上がり、アルコールの所為でタガが外れた私達は更にアルコールを求め、もう殆ど味も分からないチューハイを惰性で飲み続けてしまった。


 時折、微睡みそうになりながらもなんとか会話に参加し、クラクラする頭で相槌を打つ。


「朱美ちゃんや恵梨香ちゃんは彼氏いるの?」

「いないでーす、あはは、募集中でーす」

 朱美さん、もうやばいんじゃ……


「恵梨香ちゃんは?」

「いないでーす、募集は……」

 していない……のかな。本当はどうなんだろう。きっと恋はしたいんだけど、臆病になっているんだ。傷付かない恋愛ならしたい。だけどあの人は言った。「50パーセントの確率で傷付く」

 この数字が高いのか低いのか判らないけれど、本当にそんな確率なら恋なんてしないよ。


「失恋ってした事ある?」

 聞かれた質問に質問で返してしまった。


「僕は失恋しかした事ないよお、ずっと片想いだったかな、ははは」とさっくんが自虐的に言う。

「僕は、実は無いんだ。フラれた事が」と小平君があぐらをかいて腕組みをしながら言った。

 そうだろうね。カッコいいし、さわやかで、優しそうだもん。


「聞いて聞いてー、私はね、高校の時にすっごく大好きだった先輩がいたんだけど、2学期の終業式の日に告白したの、あはははは」

 どこに笑うポイントがあったのか解らなかったけれど朱美さんの次の言葉を待った。


「教室まで行って、クリスマスプレゼントまで買ってだよ、んで、ええと……なんだっけ?」

「先輩の教室行って?」

「そうそう、『好きです、付き合って下さい』って言ったの。そしたらさ、『ごめん、彼女いるから』って、あはははは」

 いや、笑えないし、散々もったいぶって話す内容だったかこれ。


「朱美さん、付き合っている人にフラれた事は?」

「ないー、付き合った人は一人だけだったけど、まだ中学生だったし、なんか勝手に自然消滅した。全然悲しくなかった」

「そうなんや」

 朱美さんが経験した失恋は私の失恋とは少し違う。欲しいものが手に入らなかった悲しみと、手に入れたものを失う悲しみではどちらが大きいのだろうか。


「恵梨香ちゃんはあるの?」

 小平君が訊いてきた。


「去年の夏にフラれたんです」

「ふうん」

「へえ」

「そう」

 え? なにそのどうでもいい感じ。まあ、あまり思い出したく無かったし興味がないなら話さなくていいし丁度よいけど。


「恵梨香さーん、それってー、あの花火の時の人?」

 朱美さんには葛谷さんの事を話した際にフラれた事を言ってある。


「なになに? 花火の日にフラれたの?」

 食いついた小平君が聞いてくるので簡単にあの日の事を説明した。


「それで、あの人が代わりに彼氏の振りして唐揚げを食べたんだ?」

 あの人というのは葛谷さんの事だろう。


「そうなんです。葛谷さんって言って私と同じ苗字の人なんですけど」


「なんか小説みたいな話だよねえ」

「うんうん、小説ならそのまま恋に発展したんだろうね」

 葛谷さんがもう少しマトモな人だったらあり得たのだろうか。


「よし、とにかく今日は飲もう! 飲もう飲もう!」

 完全に出来上がっちゃった朱美さんが酒を催促した。


 

 


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