第12話 痕跡を捜せ!

「とりあえず準備は終わりました」

「そうか、では君もここに来て座れ、何もしないから」

 最後のセリフ言う必要あった? 余計に意識しちゃうんだけど。確かに、座る所はそこしかない。でもちょっと近すぎない? 私は何かやり残していないかキッチンを覗うのだけれど、とにかくご飯が炊けるまではやる事は無い。


 私はおずおずと3人掛けのソファーの反対側にちょこんと腰かけた。


 私は部屋を観察した。特に飾り気の無い部屋。壁にも何も貼られていないし、調度品の類もない。部屋も小奇麗にされていて男の人の独り暮らしにしては清潔すぎない? 誰か掃除に来る人がいるのだろうか。


「部屋、綺麗ですね」

「汚いのは嫌いだからな」

 まあ神経質そうだもんね。


「毎日掃除されるんですか?」

「するわけないだろう」


 私はさっき感じたささくれの原因の欠片を探るように部屋を観察するけれど部屋にはそれらしい物は無さそうだ。

 床を凝視して髪の毛一本見逃さない目つきでそれを探すも見つからない。


「ちょっとお手洗いお借りします」

「そこだ」


 一応、用を済ませ洗面台で手を洗いながら歯ブラシや整髪料などを物色するも見当たらない。


 洗面所からキッチンに戻り戸棚や引き出し、シンク下の扉などを開けて更に物色する。もしそれらが出入りするならばあるであろうアッサムやアールグレイの類。あ! そうだ! 箸立て。しかしそこを見てもそれらしい箸はない。あ! そうだ! こういう時は定番のマグカップだ。どこかにある筈。再度、戸棚やキャビネットをこれでもかと物色するも……ない。ないないない。

 四つん這いになり床に顔を近づけ髪の毛を探す。うーん……ないな。


「おい」

 ちょっと話し掛けないでよ。お取込み中。

 茶碗や湯飲み等も探すけれど、ないじゃん。


「おい」

「ないやん」

「君は猟犬か?」

「おかしいですやん」

「何がだ?」

 言われてはたと気付く。あ……私今何してました? 夢中になってしまってました。

 私は服の埃を払う仕草をしながら立ち上がり、さほど長くもない髪を両手で後ろに流すように整えながら、

「あ、いえ……なんでもありません」と答えた。

「君の趣味は変わっているな」

 趣味じゃないです。


「寝室だ」

 唐突に言われてビクっとした。


「え?」

「君のお目当ての物なら恐らく寝室にある」


 は! そうだ! そこが大事だった。私はダッシュで寝室に飛び込むとベッドの掛け布団を勢いよく捲る。あれ? 枕は一つだ。シーツの上を本当に猟犬のように顔を近付け物的証拠を探すのだけれどない。

 タンス! 私はタンスを開けハンガーにかけられた何着もの黒い背広の間を掻き分けて痕跡を探す。ない。

 衣装ケース! 私はしゃがんでケースの一番上を引っ張り出した。

「そこだ!」

「ここか!」


 そこには男物のトランクスが沢山入っていた。なにこれ? 私はその一枚を引っ張り出し両手で広げてみる。薄い浅葱地に白や薄紫と言った縞々のトランクスというよりは、さるまた……

 って、これ葛谷さんの下着じゃん! そこだってなにがここだ?


 私は我に返って掴んでいた葛谷さんのトランクス、いいや、さるまたを放り投げた。

 それはまるでアメリカ海軍の士官学校の卒業式で、生徒が最後に帽子を空へ向かって投げた時の様に放物線を描き、フワっと宙を舞い、葛谷さんの頭の上にパサっと乗った。


「へんな物見せないでください!」

 恥ずかしい。これじゃあ完全に変態女じゃん。


「君が勝手に探し始めたんだろう」

 前髪の代わりに猿股の隙間から片目だけ出して葛谷さんが言う。


「さっき寝室だって助言したのは何やったんですか!」

「君がそれを探しているかと思ったのだ」

 んな訳ねーだろ! って今さら否定しても完全に誤解されてるなこれ。


「ちゃちゃちゃ、ちゃうんですよ、これはあの、ええと、その……」

「君は他人ひとの家で何をしてるんだ?」


「いや……あの……その……」

 ほんと何してんだろ、私。

 でも正直に女の痕跡探してましたなんて言えないし。てか、それよりなんで私そんな物を探し始めた? 男の一人暮らしにしては綺麗だなって思ったからだ。そこから何故に女の痕跡を探す事になる?

 ほんとどうかしてたわ私。私はおずおずとソファーに戻り、真っ赤な顔をして腰掛けた。


「僕は何もしないと言ったが君の方が挙動不審だぞ」

「ほんと、すんません……」

 ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。今こそおむすびになりたい。


「ほんとに部屋、綺麗ですね」

「君の部屋が汚いんだ」

 見た事無いよね? なんでわかんだ。


「いや、男の人の独り暮らしにしては綺麗だなと」

「これでも綺麗好きでな」


「ところで、なんで私を寝室に誘導したんですか?」

「君のお目当ての物があるかと思ったからだ」

「私のお目当てって?」

「僕の靴下だろう?」

 んなわけねーだろ!


「ちゃいますよ!」

 どんだけ私が変態だと思っているんだ。


「葛谷さんと一緒にせんといてください!」

「はっはっはっはっは」

「もう! 揶揄わんとってください」

 ああ、恥ずかしい。もう死にたい。


 あれ? 今気付いたけど、葛谷さん、黒い細身のジーンズにクレーの薄手のVネックのニットだ。

 スーツのイメージしか無かったからちょっと新鮮。こういう普段着を着ると年相応に見えるのね。少し腕まくりした袖から見える筋張った腕に浮き出る血管。細くて長い指。その器用そうな指を見て何故かドキリとしてしまう。


 ソファーに深く腰掛け前方に投げ出された両足。私も同じような体勢にして足を伸ばすのだけれど長さの差は歴然だ。それにこの尖った柑橘系の香り。急に心拍数が上がったのを感じた。


 この人、見た目だけなら絶対彼女いる筈。見た目だけならを強調して言いたい。


「ねえ、葛谷さん」

 あれ? なんか胸が内側から圧迫されてるようで声を出すのが困難だ。


「なんだ?」


「あの時、失恋は時間薬やみたいに慰めてくれたやないですか?」

「そうだったか?」

「はい」

 忘れたのね。


「そういう経験があるんですか?」

「ない」

 え……


「ないんですか?」

「恋愛の経験も勿論失恋の経験もない」

 無いのにあんなクサイセリフを言ったの?


「経験があるみたいな言い方でしたよ?」

「受け売りだ」


「まるで恋の達人みたいやったのに?」

 いや、それは言い過ぎか。


「話を聞く限りでは恋など面倒くさいだけであろう」

「そうかなあ」


「人を喜ばせたり悲しませたり、心配したり安堵したり、泣いたり笑ったり、嫉妬して人を憎んだり。そんな物に振り回されたくはない」

 まあ確かに。


「でも知らんうちに好きになってまう事もあるやないですか」

「それは意識的に好きになったんだろう」

 そうなの?


「出会っていきなり好きになるか? きっと相手を好きになろうと時間を工面して相手に接し、好きになる可能性や相手の良い所を無意識に探していく。この時点で意図的に好きになろうとしている。違うか?」

 やっぱこの人偏屈だわ。普通そんな難しい事考えないよ。


「わかりません」

「いずれにせよ50パーセントの確率で傷付くんだ。あほらしい」

「50パーセント?」

「そのまま一生添い遂げるか否かだ」

 そんな単純じゃないでしょう。この人とは恋愛の価値観合わないわ。

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