第二章 ムトとコルドリア

第九話 ムト、旅立ちます

 夏休み中の部活は、初日の午前中から始まった。

 気温は上昇を続け、お昼前には30℃を越えた。

 そんな中、わたしも、のぞみんも、いたって元気だ。


「おまえたち、全然バテないのな」


 午前の練習が終わり昼食休憩に入るとき、男子部長が、感心したような、あきれているような、そんな力のない声をかけてくる。


「まだまだたっぷり動けますよ!」


 のぞみんが腕を曲げ、出もしない力こぶを見せる素振りをする。


「無理すんなよ……」


 男子部長に続き、高橋が死にそうな顔で声をかけてくる。


「高橋の方が、誰よりも無理してる顔してるよ?」


 わたしは、息もえといった高橋に苦笑で返す。


「午後は35℃までいくってさ、風も無いし、体育館の中だともっと暑く感じるかもな」


 山岸も顔を手であおぎながら言う。

 わたしたち一年の四人は、同じクラスということもあって、ひとかたまりになることが多かった。

 午前中、高温の中でも『チョクレイ』によって効果的な身体機能が発揮はっきされ、素のテクニックも含め、わたしとのぞみんは絶好調だ。

 それでも、瞬発力や筋力といった男女の差はやはりあなどれない。

 男子は男子なりにわたしたちに対応し、結果として、それはとてもいいトレーニングになった。

 それでもまだ、女子対男子では一度も負けてないけどね。ふふん。


 体育館の外、木陰こかげの下でお昼を食べる。

 お母さんのお弁当、今日はいろどりあざやかなサンドイッチ。

 そう言えば、お父さんの朝食も同じだって言ってたっけ。

 もう少しで忙しい仕事が終わるって聞いてるけど、昨日も徹夜で仕事をしていたらしい。

 深夜、トイレに起きた際、窓から見える、音の聞こえない工場の窓からこぼれるあかりがまぶしく感じた。


「むーちゃんはどうする?」


 のぞみんに話しかけられて我に返る。


「え、なんだっけ?」


「週末のサッカーだよー、スタジアムまでどうやって行くの?」


 高橋と山岸が、地元のプロサッカーチームのホームゲームチケットを、部員全員分用意してくれて、週末のナイトゲームを見に行く話だ。


「あ、えっと、お母さんに送ってもらう」


 実のところ、ずっと忙しそうにしてる両親に、まだこの計画は話してない。

 お母さんですら、ちゃんと寝てるか怪しい感じで、遊びに行くから送迎してよ、ってなんか言いづらい。


「そっかー、もしよかったらウチが送り迎えするから言ってね?」


 のぞみんは何かを察してくれたのか、そんなふうに柔らかく笑って言ってくれた。


「あ、俺も乗っけてくんない? 親が用事があるって言うんだよ」


「残念、ウチの車、女性専用車なの」


 高橋の図々ずうずうしい提案に、両手の人差し指でバツ印をつくり、のぞみんは無情にげる。初めて聞いた、女性専用車。


「ちぇっ、しゃーない、チャリで行くか」


「そうそう、夏バテ予防に体力をつけるといいよ」


 そんな雰囲気だから、わたしも自然と軽口かるくちが言えた。

 

 もうすっかり馴染なじんだ生活になった。

 楽しい夏休みになればいいな。

 きっとそうなる、その時は本当にそう思っていたし、普通、誰だってあんなことに巻き込まれるなんて思いもしない。



―――――


 

 帰宅する頃には、夕立の気配が、雲の広がりと共に濃厚に感じる。

 黒い雲の中に時折、黄金の雷光。

 音はまだ聞こえない。

 降られたときに備え、学校指定の体育着のままだったけど、なんとか雨が降り出す前に帰宅できてホッとしながら、バッグを肩に掛け直し、工場のドアを開ける。

 天井の照明が、雷雲に染められる屋外よりも、室内を明るく照らしてる。

 帰宅報告をするために、きょろきょろと、お父さんを探す。

 トイレかな?

 入口から入って左側は、簡易キッチンとトイレ、最奥には更衣室がある。

 更衣室と言っても、従業員がいるわけじゃないから、普段は物置として使ってるみたいだけど。


 トイレにもいない。

 母屋の方かな?

 とりあえず工場を出ようとすると、更衣室から気配を感じる。

 なんだろう。

 音がするとかじゃないけど、気配としか言いようのない雰囲気に興味を持ち、フラフラと近づく。

 更衣室のドアには曇りガラスがはめ込んであり、室内は見えない。

 照明は点いていないはずなのに、柔らかい光が少しずつ満ちてる?

 思い切ってドアを開ける。

 六畳ほどの広さの部屋は正面にブラインドのかかった窓があり、左側の壁に着替え用のロッカーが四つ。

 右の壁には物置として使ってる本棚。

 そして、真ん中あたりの床に白い光。

 まるでライトを当てているような丸い光。

 

 わたしは思わず天井を見て光源を探したけど、そこには点いてない蛍光灯と暗い天井。

 もう一度床に目をやると、光は更に広がり、その明るさも強くなってる。


「なに、これ?」


 ふと、肩に掛けたバッグの中、何かがふるえたように感じる。

 なぜだかすぐにそれを確認しなくちゃとジッパーを開ける。

 そこには、おおわれた巾着袋を透過とうかするように光があふれてた。


 光源は『思石しせき』だ。

 取り出してみると、今までに見たこともない、白く強い光。

 ただまぶしくはなく、それ自体が触れられそうな濃厚な光。

 床の光と『思石しせき』の光がまるでかれあうように引き合う。


 わたしはそれにみちびかれるように床の光の中心に歩を進めた。

 まずいまずいまずい、これはなんかヘンだ!

 頭の中でわたしの理性が大きく叫んでいる。

 それと同時に、に行かなきゃいけない! って気もする。

 

 って、なんだろう?


 光の中心で立ち止まると、床から広がる光が、そのまま上に向かって円柱状に伸びる。

 視界が全て光に包まれ、同時に体が浮き上がる。

 めまいと共に自分の輪郭りんかくすらあやふやに感じ、実際に光に溶け込んでしまったんじゃないかって思った。

 でも、柔らかく暖かな光に包まれてると、なんだかとても安心し、涙が出そうなほど幸せな気分になった。

 わたしは、そのまま眠りに落ちるように、意識を手放した。


―――――


 気が付くと、脚が地に着く感覚。

 立ってることを思い出し、ちゃんと脚に力を入れる。

 すると視界をめていた光が薄れ始め、自分のいる場所が明らかになる。


 そこは、工場の更衣室じゃなかった。

 わたしは呆然あぜんとしながら周りを見回す。

 ずり落ちそうになるバッグを肩に掛け直し、手に持った『思石しせき』を握り直す。

 ハッとして『思石しせき』を見ると、いつものような虹色のマーブル模様がグネグネと動いてた。

 

 あらためて周囲を見回す。

 明るい室内は、天井が半球状の空間。一番高い場所は5メートルくらい。

 床も壁も天井も硬そうな石っぽい感じ。

 石の表面はそんなにつるつるとしておらず、かといってざらざらでもない。

 照明も窓も無いのに明るく感じるのは、壁や天井の石が光ってるみたい。

 全体的に白く、金色の装飾そうしょく? っていうのかな、美術館や教会って言葉が浮かぶ。


 そして正面に白い両開きの扉。

 それはおそらく木製で、複雑な模様が彫られてて、でもそれを観察する前に、扉は大きくこちらに開いた。

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