大陸の皇太子

平良中

プロローグ

-第零一話- 北辺の街、宝地

 華歴二三一年、現皇帝の御世となって二十四年目の春。

 大陸を治める大帝国「華」の北辺都市であるここ宝地においても、春の訪れ、桃の花が咲き誇る頃を祝う「春花祭」が行われていた。


 うんぐっ、うぐっ、うんぐっ……ぷっはぁ~っ!


 「どうだ!斧使い!酒を飲むのと体格は関係ぇねぇってことがわかったか?!」

 「やかましい!小刀使い!いつもの戦闘みたいにチョコチョコ飲んでるんじゃねぇ!男ならがっっと行け!ガァッと!」

 「なんだとう!負けたくせに、ごちゃごちゃと煩い大木野郎だな!……なら、次の大杯で勝負を決める、それで文句はねぇな?!」

 「おうぅ!望むところよ!」

 「もう……止めなよ?リンツ……呑みすぎだよ?」


 宝地の外れ、城壁にもほど近い一角。

 桃の大木が一本だけ植えられている広場、その広場に運び込まれた多くの机。その机の上には、決して贅沢な代物ではないが、溢れんばかりの食べものや飲み物が所狭しと並べられている。


 小刀使いと呼ばれた少年と、斧使いと呼ばれた青年は、互いに直径が一尺は有るであろう大杯を手に、飲み比べに興じていた。


 「止めるなよ?マル坊、俺には誇りってもんがあるんだ。態々国元から黄金を求めて東の端までやってきた、この冒険者としての誇りってもんがな!」

 「もうっ!私はマル坊じゃない!マルグリット!ちゃんと名前で呼んでよね?!……って、それは良いとして、本当に飲みすぎだよ?」

 「がははは!気にするなお嬢!今日は一年一回の春花祭だ!華の民にとっちゃ、この日に酔っぱらわないでいつ酔っぱらうというんだ?ってなもんよ!」

 「……なんで、こうなっちゃったかな?……いつもは豪さんがリンツの暴走を止めているっていうのにな……」


 そう嘆く少女、年の頃は十七ぐらいであろうか、同年代の少年と共に、宝地、いや、華帝国では珍しい黄金色の髪と白い肌、瞳は青みがかった緑緑色をしている。彼女たちはいわゆる西方人。

 人の身では越えること敵わぬ天山山脈と大灼熱砂漠、大寒高原で別けられた、大陸西側の人間の特徴を有している。


 比して、斧使いと呼ばれた青年を初めとする、宝地で多く見かける民、この華帝国のある大陸東側の人間は黒髪黒目、肌は黄みが強いという特徴を持つ。


 「……心配するな、お嬢ちゃん。……ひっく。……豪のやつもリンツの坊主も、最低限の節度は守って飲んでおるさ。……タブンな」

 「それ本当?師匠?……今日は春花祭だから休む気ではいたけれど、明日は製鉄工房の採掘士さん達の護衛で北の鉱山に入る予定だっていうのに……本当に大丈夫かな?」

 「かっかっか。大丈夫、大丈夫じゃ。採掘士の毛むくじゃら共なら、今頃は儂ら以上に酒樽に溺れておるわい。明日の採掘?無理、無理!かぁっ~かっかかっか!」

 「……もうっ!この街の人達って本当に適当!いいもんっ!絶対に予定の日数での依頼料に加えて、割り増し料金もちゃんと請求してやるんだからっ!」

 「おうおぅ、それが良い、それが良いぞ。嬢ちゃんや!かぁっ~かっかかっか!」


 西方人の少年少女と東方人の青年と老人。

 彼らは冒険者という名のなんでも屋であり、ここ宝地だけでなく、華帝国のある程度の規模の都市になら、何百人といる職業の者達だ。


 冒険者に必要なのはある程度の腕っぷしと度胸だけ。もちろん、最低限の学が無いと依頼料をけちられるし、仲介屋に必要以上の額を中抜きされる。

 しかし、やはり一番に必要とされる能力は腕力という世界だ。


 「げふぅっ……さぁて、儂は一通り飲んだし、旨い食い物も頂いたことだしな。これ以上、宴席にいては飲み過ぎで、眠りこけてしまいそうじゃしな。……それでは、暖かくなってきたとはいえ風邪を引いてしまうわい。風邪は万病の元、特に儂のような老人にはな……ということで、儂は宿屋の部屋に戻っておるぞ?」

 「あ、はぁい……はぁっ、この二人の面倒を見るとか気が重い……」

 「かぁっ~かっかかっか!大丈夫、大丈夫。こやつらも一応は冒険者の端くれじゃ。自分で部屋に戻れるぐらいの理性は残っておることじゃろうて」


 本当かな?という面持ちで少年と青年を見やる少女。


 「くそぉ……引き分けか……」

 「ふんっ。素直に負けを認めれば許してやるぞ?」

 「んだとぉ?そいつはこっちのセリフだ!次行くぞ!次ぃ!」

 「おうよ!」


 あ、駄目だ……そう直感で感じた少女である。


 「もうさ、師匠が刀で二人を殴って気絶させちゃった方が良いような気がする」

 「おぉぉぉ!お嬢ちゃんもこの数年で、だいぶ冒険者の考えに染まったのぉ……だが、今日は春花祭じゃ。たまの祝日ぐらい、羽を伸ばさせてやろうではないかの?ほれ、解毒剤の材料を置いて行くでの。二人が飲み潰れたあと、軽い睡眠から目が覚めたら煎じて飲ませてやるがよい。多少の頭痛は残るであろうが、身体の方は動くようになるじゃろうてな」

 「はぁ~い!わかりました、師匠」


 よっこいせ、との言葉と共に身を起こす老人。

 老人は懐より、紙に包まれた薬草を机の上に置き、自分は宿の方へと歩いて行った。


 「師匠は刀も薬もなんでも出来ちゃう人なのに、どうしても、こういう面倒なことは弟子の私に押し付けるよね。依頼時の交渉とかさ……まぁ、こうして師匠に出会わなかったら、西方からの船で密航してきた私たちが、今日まで無事に生き延びることは難しかったのかも知れないけど……」


 大陸の西方と東方、陸路での行き来は困難を極め、大規模商隊を組まない限り、陸路ではほぼ横断不可能ではあるが、これが海路でとなるならば、実はそれほど困難というものではない。

 定期便とまでは行かないが、華帝国の港湾都市で、西方諸国の旗をはためかせた商船を見ることはそんなに稀なことではなく、新天地を目指す商人達や地元から逃げ出してきたであろう若者達、そんな西方人の姿は港湾都市の日常風景のひとつともいえる。


 「はぁ……二人の為に、すり鉢とすり棒を部屋から取ってきますかね……」


 少女が飲み比べを続けている少年と青年をため息交じりで見つめ、仕方なしとばかりに椅子から腰を上げた時、その音が街中に鳴り響いた。


 かんかんっかんっかん!

 かんかんっかんっかん!

 かんかんっかんっかん!


 「え?なに?なに?なに?」


 少女はこれまでに聞いたこともないような、鐘の大音量に混乱した。


 少女が知っている宝地で聞く鐘の音など、朝と昼、そして夕方を知らせる日に三回の、中央寺院で鳴らされるものだけだ。

 それが、今回は城壁の上、街の四方の鐘楼から、何の規則性も感じられぬほどに、けたたましく鳴らされている。


 「マル坊!急いで薬を煎じてくれ!なんか、こいつはヤバイ!」

 「ああ、嬢ちゃん頼む!……うぷぅ」

 「え?……ああ、うんわかった!」


 少年と青年にそう言われ、少女は今自分がやるべきことを理解した。

 人間が混乱に陥った時、その混乱から立ち直れるのは何かしらの行動指針が示された時という物である。


 少女は走り出した。


 桃の木を囲んだ他の卓で祭りの宴席を楽しんでいた人達も、この鐘の音に驚き、立ちすくむもの、不安に苛まれて隣の者と抱き合っている者、また、急ぎ自宅へ帰る用意をする者など、それぞれがそれぞれの行動をしている。


 「はい、ごっめんね!はい、ごっめんね!……ちょっと通りますよ!」


 少女は東方に来てから学んだ身のこなしを十全に使用して、人ごみを掻き分け、宿屋の自室まで駆け戻った。


 伝説の薬師と自称する老人、その老人の一の弟子を自負する少女は、愛用の道具箱を棚から取り出し、もう一度、人ごみを掻き分けて少年たちの下に向かう。


 「おお!嬢ちゃん戻ったか?!早速、さっき儂が置いて行った薬をすり潰してくれ!儂は台所から借りて来た湯で、元薬の準備を進めておくでな!」

 「は、はいっ!」


 いつの間に戻ってきていたのだろうか。

 少女よりも先に、千鳥足を感じさせながら部屋に戻っていたはずの老人は、酔いなど微塵も感じさせない面持ちで薬湯の元となる元薬の作成に取り掛かっている。


 ぶつぶつぶつ……。


 まだ、少女は習っていない、呪い聖句を唱えながら老人は元薬の制作を始めている。


 (私も急がなくっちゃっ!)


 少女は道具箱からすり鉢とすり棒を取り出し、薬草を擂り始める。


 ごりっ、ごりっ、ごりっ。


 (でも、いつになったら私も聖句を教えて貰えるんだろう?

 早く聖句を教えて貰えれば、今以上にリンツの力に成れるのにな~)


 一種、呑気ともとれるような思いを浮かべつつ、少女は薬草を磨り潰していく。


 「まったく、宝地の街が襲撃を受けるなど……儂が生を受けてからこの方でも、とんと記憶にない出来事じゃわい!」

 「えっ?襲撃……」

 「ああ、嬢ちゃん……そう、怯えるでない。……確かに、この鐘の音は敵の襲来を告げる物じゃが、ここ宝地は、華帝国の北辺の要。守備兵も沢山おるし、儂らのように戦える者達も大勢おる。付近に住む蛮族が幾ら大挙して攻めてこようが、まずもって、奴等は街の中に入ってくることすら出来んじゃろうて。心配するでないわ」


 ぐりぐりぐり。


 老人はそう言って、やや強めに少女の頭を撫でまわす。


 「そ、そうですよね!師匠!心配は要らないですよね!……っと、出来ました!」

 「そうじゃ、そうじゃ。……よし、良い塩梅で擂られておるな。結構、結構」


 老人は少女が擂った薬草を眺めてそう言う。


 ぶつぶつぶつ。


 老人は薬草を元薬に入れ、再度聖句を唱える。


 「このまま五分ほど冷ましたら、中身を綺麗に半分ずつ、二人に残さず飲ますが良い。儂は……ちいっと所用で席を外すでな。夜には宿に戻るので心配はするでない」

 「は、はい!」


 かんかんっかんっかん!

 かんかんっかんっかん!

 かんかんっかんっかん!


 少女の動揺は収まりつつあるものの、依然として気味の悪い鐘の音は街上に鳴り響いている。

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