Ⅱ 吹雪

 セツが命を集めている間に、太陽は遠くの低いところに下り、焚く火は金色に変わっていた。北西の方からは、冷たい風が吹いてくる。もうじき夜が来る。


 リスの命を刈り取ってから、セツはキツネ一匹、スズメ二羽の命しか集められていない。サボっていた訳ではないが、カジガ婆は納得してくれないだろう。


 一瞬、風の勢いが増す。カジガ婆が帰ってきたようだ。風は獣の唸り声のような音を立てながら渦を巻き、ぼろきれを纏った老婆の姿に変わる。


「どんなもんだい? 春は呼べそうかい?」


 カジガ婆は頭に生えた狼の耳を茶色い爪で掻きながら、セツに尋ねる。


 セツは首を横に振り、袋の中をカジガ婆に見せる。カジガ婆はしげしげとそれを眺め、溜め息を漏らした。


「リスとキツネが一匹ずつと、スズメが二羽かい……まぁ、そんなもんだろう」


 それを聴いたセツは、ホッとすると同時に、どうしてカジガ婆が文句を言わないのか疑問に思った。だが、余計な事を聴いたら怒られる気がしたので、口をつぐんでいることにした。


「西の山脈の方はどうだったの?」


 セツの問いに、カジガ婆は眉をひそめる。


「向こうも春が呼べそうな程の命は集まってなかった。西の山脈のヤガラ婆は命を分けてやれないかわりに、手伝いをよこしたよ」


 カジガ婆は振り返って、「シン、レイ! 出ておいで!」と呼ぶ。その声がこだまとして帰ってくると、二人の見ない顔の雪の精霊が、それぞれ雪ノ尾に跨って現れた。二人はセツと目も合わせようとせず、雪ノ尾のうなじに目を落として黙っている。感じの悪い連中だ……セツは胸中に吐き捨てた。


「さ、あんたたちは丘の北の方をやっとくれ」


 カジガ婆が杖を振り回すと、シンとレイは逃げるように言われた方へ駆けていった。


 カジガ婆は杖で雪をほじくり返しながら、ぶつくさと話す。


「ここ十年の間で、人間の医術はすっかり進歩してしまったねぇ……六十年も七十年も、無駄に長く生きる人間がわんさかいる。命が集まんないもんだから、冬は長引き、埋め合わせをするように夏も長くなる。良くないねぇ、こりゃ……」


 苛立ちをぶつけるように、カジガ婆は杖で地面を叩く。すると、一層強く冷たい風が吹き始めた。空はみるみる曇っていき、鼠色の雪が頭の上に重く落ちてくる。


「あんまりやりたかないんだけどね、命の流れを止めないためには、荒療治が必要な時もあるんだよ……」


 カジガ婆が杖を地面に叩きつける度に、風は強くなり、雪は勢いを増していく。たちまち、像の頭の形の丘の周りは吹雪になった。風で舞い上がった雪が降ってきた雪と混じり合い、十歩先は白く塗りつぶされて何も見えない。


「さ、これで少しは命を集めやすくなったろ? お前も仕事に戻りな」


 セツの太股の辺りを、カジガ婆の杖が打つ。セツは「痛えな、クソババア!」と悪態をつきつつ、ヒョウガに跨る。


「命の臭いが濃くなった! フクロウやミツバチが、今にも息絶えそうだ!」

「僕たちが食べる精気は残ってるかな? 早く行こう!」


 ヒョウガとギンガが、口々に吠える。セツはヒョウガの首をさすり、命の臭いのする方へ走らせた。


 カジガ婆が起こした吹雪のおかげか、面白いように命が集まっていく。びゅうびゅうとなる風の間から、「カラスがいたよ!」「モグラは虫の息だ!」と叫ぶシンやレイの声が聴こえる。セツもミツバチの巣や洞の中のフクロウから命を刈り取っていき、日が沈むころには袋はずっしり重くなっていた。


 夜が深まるにつれて、カジガ婆が起こした吹雪はさらに激しくなっていった。渦を巻く吹雪を見て、セツはさすがにやりすぎだと思った。いくら春を呼ぶのに命が足りていないとはいえ、こんな猛吹雪を起こせば逆に均衡が崩れるかもしれない……


 その時、セツは唸る風の中に人の声を聴いた。かき消されてしまいそうなその声は、女の子の泣き声らしい。


 女の子の声を聴いていると、何だか胸の中をぐちゃぐちゃとかき乱されるような気がした。何か悪い事をしたわけでもないのに、頭ごなしに叱られ、責められているような気分だ。セツは思わず耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。


「どうしたの?」


 心配そうな顔のギンガが、湿った鼻をセツの頬につけてくる。


「なんだろう、この声……嫌だ……怖い……!」


 肩を抱き、セツはギンガの首のあたりの毛に顔を埋める。それでも、女の子の声は容赦なくセツの耳を引っ掻き、心の中に手を突っ込んでくる。


 こんなにも不快な声なのに、セツはその声の主の元へ行きたい、行かなければいけないという衝動に駆られた。そこへ行けばこの声が止むと思ったのか、それとも声の主の正体が知りたかっただけなのかは解らない。とにかく、セツは居ても立っても居られなかった。


「……行かなきゃ!」


 セツはギンガの肩を支えにして立ち上がると、ヒョウガの背中に跨る。


「声のする方へ行って!」


 ヒョウガはぐんとバネのように身体を縮め、一気に吹雪の中に飛び上がる。風になって木々の間を縫い、ヒョウガは丘の裾から続く道の途中にやってきた。


「あっ……!」


 雪の中に、セツは赤いマントの女の子がうずくまっているのを見つける。女の子の足は雪に埋まっていて、両手をついて起き上がろうとしている。だが、起き上がろうともがくほど、吹き付ける雪が身体にまとわりつき、風に突き倒されてしまう。何度も何度も雪の上に倒されて、女の子は泣いていた。


 セツはヒョウガの背中を降りると、起き上がろうとする女の子の上に覆いかぶさる。そして、真っ赤になった女の子の耳元に、そっと囁く。


「マントを被って、俯けになってなさい。じっと、吹雪が止むのを待ってなさい……」


 だから、もう泣かないで……セツは言外に付け足すが、女の子はまだ泣き止まない。遠くからはカジガ婆のしゃがれた喚き声が近づいてくる。女の子を見つければ、カジガ婆はきっとその命を刈り取ってしまうだろう。セツは女の子にマントのフードをかぶせてやって、その上からそっと頭を撫でる。


「大丈夫、見逃してあげるから。明日の朝まで眠ってなさい」


 セツが優しく語りかけると、女の子は泣くのを止め、わずかに頷いたように見えた。泣き声が聴こえなくなると、セツの心のざわめきも収まっていく。安堵したセツはフッと息をつき、地面を掘る振りをして女の子の身体に雪をかけてやった。


 マントの赤い色は雪の中では目立つ。カジガ婆から隠れるには、雪に埋めてしまうのが良い。幸い、雪はさらさら乾いていて、融けて身体が濡れることはないだろう。


「ほらほら、どんどん集めるんだよ! 怠けちゃ承知しないよ!」


 セツが女の子を見逃そうとしている向こうで、カジガ婆は相変わらず喚いていた。


 何してるんだろう、私? セツは自分の行動の意味が解らず、自問する。それでも、女の子に雪をかける手は止まらなかった。


――つづく――

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