10:プレイ準備

 次の水曜日、サックスのレッスンでまた音楽教室に来ていた。


「今日はいつも通りだね」

「先週だけの特別だったんだな」


 音楽教室のドアを開けて、よく見る人たちがいることに少しほっとする私。

 あっ、そうだ。


「私がGROSKのリーダーになったってこと、先生に言わないと。それって私の先生でいいのかな?」


 先週教えてもらったのは志音しおんが教わっている先生なので、その先生に言わないといけないと思ったからだ。


「音葉の方の先生でもいいんじゃね? 六年全員グループ組んでんだから、音葉の先生も分かってるだろ」

「そっか、確かに」


 今週からは、今までどおりの個人レッスンと、グループでの合奏レッスンを一週間おきにするらしい。今日は個人レッスンである。

 十分後、「はいみんな、移動してくださーい」と声がかかり、練習室Aに入るとレッスンがスタートした。


音葉おとはちゃん、今日もやっていこうか」

「よろしくお願いします」


 背負っていたサックスのケースを下ろし、先生に浅くおじぎをする。

 ケースを開けてアルトサックスの本体を取り出したところで、つい十分前のことを思い出す。


「先生、先週組んだグループなんですが、私がリーダーに――」

「あっ、知ってるよ。昨日だっけ、ちがう、おとといだ。ドラムの律歌りっかちゃんがぼくにも言ってくれたから」

「えっ、先生にもですか?」

「律歌ちゃんを教えてる先生に、音葉ちゃんがどの先生に教わってるのか聞いたんだって。それで、僕のところに来て『うちらのグループのリーダー、おとになったんですよ! ぜひ次におとが来た時、応援おうえんしてあげてほしいんです』って言ってきて」


 なるほど……うん、律歌言いそ〜。


「だから、僕からも応援するよ。頑張がんばってね」

「はい、頑張ります……!」


 リーダーでもいいよって言っちゃったけど、やっぱり不安。自分がメロディーなわけだし、ミスったらすぐバレちゃうし。


「それじゃあ、音出おとだししていいよ」


 先生の指示で、私はマウスピースに――かぶせているキャップを外してサックスをき始めた。


 今日は、先週に合奏した時のミスを修正していった。

 まずは、出だしは合わせられるものの、そのあとどんどんズレていってしまうというものから。


「練習の時、ちゃんとメトロノームつけてやってる?」

「やってます」

「それなら今やってみようか」


 先生のイスの後ろにあったメトロノームが、小さいテーブルの上に置かれた。

 何か緊張きんちょうする。いつも家でやってることをやるだけなのに。


 カチ、カチ、カチ、カチ……


 他の部屋から聞こえる楽器の音をBGMに、メトロノームの無機質な音が続いている。

 先生が人差し指ではくをとる。


「いくよー、一、二、三、四」


 先生のカウントで、私は『シ』の音が出るようにキィをさえ、『トゥー』とタンギングを入れて息を吹きこんだ。


「うん、できてるね。先週は練習が足りなかったかな?」


 ひとまず、拍にしっかり合わせられているらしいのでホッとする。


「でも、先週も家では出来てたと思うんです」

「そっか……。他に考えられるのはあれかな。ドラムと一緒いっしょに合わせるのが初めてで、戸惑とまどったかな」

「それもあるかもしれないです」


 先生によると、メトロノームは一種類の音しか鳴っていないけれど、ドラムは色んな種類の太鼓たいこやシンバルをたたくから、どれに合わせればいいのか分からなくなっちゃったんじゃないか、だって。


 それに、自分がメロディーなんだと意識しすぎて、緊張してたからね。うんうん、に落ちた。


「これも慣れかなぁ。先週で『ドラムはこんな感じなんだ』って分かったでしょ? だから来週はできると思うよ」


 私は先生の言葉に素直にうなずき、「はい」と言う。

 改めて思う。私の先生、優しい先生でよかった! 学校にはいるんだよね、こういう時にただおこる先生。


 三十分後、『修正』の個人レッスンが終わった。



 ◆  ◇  ◆



「よし、ボクのアンドロイド、たのむね」


 ログインが少ない深夜、『オルビス』の世界の案内ねこは、こっそりと仕事をけ出そうとしている。

 昼間なら多くのプレイヤーが行き交うこの交差点。いつもここで案内猫の仕事をしているのだが、今は誰一人通っていない。というより、誰もいない。


 ラックスは自分とほぼそっくりのアンドロイドを、どこからともなく取り出して、置いた。

 それと同時に、体をすっぽりおおう、フードつきの真っ黒なコートに一瞬いっしゅん着替きがえる。しっぽは自分のデータをいじって色番号『#000000』に変える。これで自分の白い見た目が目立たない。


 これからスパイをしようとしているのだ。ちなみに『コート』というコードネームは、この格好からきている。


 足を深く曲げて体を低くし、勢いをつけて飛び上がった。ふわっと体がき、十階建てのビルの屋上に着地する。

 瞳孔どうこうを開き、辺りを見回す。


「この前は見事でしたなぁ。ついに大量虐殺ぎゃくさつに成功しましたねぇ」

「次は、どのプレイヤーを投入します?」


 普通ふつうの人間なら到底とうてい聞こえるはずもないほど遠くから、物騒ぶっそうな会話が聞こえてきた。その声がする方向に走り出す。

 ビルからビルに飛び乗り、時にはビルのかべって利用する。


「このリストを見る限りは……こいつがまだ出たことありませんねぇ」

「それなら次はこいつにしましょう」


 会話する声がどんどん大きくなっていく。背の高いビルどうしの間を飛びえた時、ビルの間に人影ひとかげが見えた。


「ん? 何か今上を……」


 下をのぞこうとしたコートの動きが止まる。


「なぁに、鳥ですよ」

「でも夜ですよね?」

「黒かったし、コウモリか何かだと思いますが」


 どうやらバレなかったようだ。

 声をたどっているまでの会話でも、今日は十分な収穫しゅうかくができた。まず、誰かが指示をして事件を起こしていること。そして、事件を起こす人はリストというものから選ばれることを。


(やっぱり単独犯の犯行じゃなかった。となると、やっぱりボク一ぴきじゃムリだ)


 コートは天をあおぐ。

 あの日、あの五人と別れてから、色々な情報を集められた。しかし、あの五人は現実世界の人である。しょっちゅうこちらに呼び出すわけにもいかない。


(いや、それなら五人がログアウトしている時に、それぞれのアバターに協力してもらうとか?)


 現実世界の人間と同じ自我を持ったアバターに、ボクが協力をお願いする……。

 しかしコートはすぐに首をふった。


(そもそも記憶きおくは共有してるのか? 同じ自我を持ってるとはいえ、それはアバターを作った時のものじゃないのか?)


 また新たな疑問が浮かんでしまう。状況じょうきょうが進んだら呼ぶと言ったものの、これではまたあれこれツッコまれてしまう。


(記憶を共有してるなら、わざわざ現実世界の人間に手伝ってもらわなくても済むことだからね。これが分からないことにはどうしようもない)


 コートは足音一つ立てずに走り出し、ビルの屋上を転々としてその場から去った。


 ◆  ◇  ◆

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