第33話 朱塗りの太刀

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 仙里の投げた太刀がクルクルと回転しながら空を渡る。朱塗りに蒔絵の施された雅やかな姿はあの人形と戦った時に手にしていたものだった。 仙里の気っ風に当てられたハルは意図せず両手を広げて太刀を迎え入れてしまう。


「やっぱり、ここへも来てしまうんだ」

 目を落としハルは太刀に語りかけた。


「ハル様?」

「あ、いやいや、何でもないよ。それよりも真子、無理しちゃ駄目だよ、ここは黒麻呂さんが何とかしてくれるからね」

 満面の笑顔を作って黒麻呂に目配せをする。


「はあ? なんで俺が!」

「そんなの決まってるじゃないですか。強いから、あなたが頼れる方だからです」

「……呆れたやつだな。だが、先ほども言ったが、数で来られたら守り切れんぞ。お前達の身の保証などは出来ん」

「それはまぁ、僕もこうして武器を手にしたわけだし、あとは覇気だかを込めてやってみることにします。当たるんでしょ? 気合いってのを込めれば」

「お、おお、多分な」

「それでも、鞘のまま殴っても敵をやっつけることが出来るかどうか……。本当はこの太刀を抜くことが出来ればいいんですけどね」

「……ハル様」

 真子が心配そうに目を向けてくる。黒麻呂はハルの手にする太刀を訝しんでみていた。


「その朱塗りの刀、何やら曰くがあるようだが……。いや待てよ、その朱塗りの妖刀、どこかで見たことがあるような……」

 ブツブツと呟く黒麻呂が何かを思い出そうとしながら目を細めた。


「御託はもういいか、そろそろ呆けていた敵が動くぞ」

 眺めるように様子を見ていた仙里が不敵に笑った。


「仙里様は?」

 助けてくれることなど期待していなかったが試しに尋ねてみた。


「ここでやることなどないな、これは私には関係のない戦いだ」

「やっぱりそう言いますか。でも、この太刀が使えなかったら、やられちゃうんですけど」

「知らん。その太刀の声が聞けぬならば死ぬだけだ。死ぬと決まれば何をどうしても変わらぬ。お前の命だ、後は抗うなり何なり好きにすればいい」

「これはまた厳しいですね」

「ここには相応の覚悟を持って来ているのだろう? それに免じてわざわざ得物を運んできてやったのだ。覚悟を見せろ、ならばお前が死ぬまで見ていてやる」

「死ぬまでかぁ、まだ死ぬわけにはいかないんだけどなぁ」

 おどけて見せた。仙里が側にいてくれるだけで安心感があった。口では助けないと断言しているが、きっと本当に危なくなった時には助けてくれるのだろう。それはこれまでの彼女の行動が示している。ならば、やるだけのことはやってみるさと開き直った。


「これはどうしたことだ。随分と余裕をみせるじゃないか」

 腕組みをしながら目を細める仙里がニヤリと笑った。


「まさか、余裕なんてありませんよ。そうですねぇ、僕はこれまでにも散々なめにあってきた。死にかけてきた。だからもう慣れた。そういうことかもしれません」

「慣れ、か。まぁいい好きにするがいいさ。しかしそうだな、景気づけに一つだけ教えておいてやろう」

「一つだけ? それは?」

「聞いた話ではあるがな。その太刀、たしそうな美女らしいぞ。女好きのお前には相応しかろう。美女を抱いて死ぬのならば、それこそ本望だろう」

「お、女好きって」

「フン、違わないだろう。では精々頑張ることだ」


 会話を終えた直後、様子を覗っていた野狐の一矢が戦端を開く。敵が一斉に動いた。戦場に視線を走らせ素早く状況の整理をする。ジタバタしても仕方がないと腹をくくっていたので冷静でいられた。心の内には妙な高揚感もあった。

 下に犬神の群れ、木の上に狐の化け物、狐の動きを見てハルは前に飛び出した。

 殺気をはらむ矢の雨を見る。一本、二本、三、四、五……。


「ハル様!」

 驚く真子の声を後ろに聞く。


「お前……」

 続けて訝しむ黒麻呂の声を聞いた。


「あ、ああ、これね、これはまぐれだよ。この前の人形の攻撃に比べたら、たいした早さでも無いなと思ってさ」

「しかしハル様、それでも矢を、それも複数の矢を一度に打ち払うなどと……」

「いやいや、次は出来るかどうかわかんない。残念だけどね」

 ハルは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


「ハル様、後ろです! 来ます!」

「うわっ!」

 声を上げながら体勢を整える。振り向くと一頭の犬神が突進して来るのが見えた。ハルはその犬の牙をすんでのところで躱した。


「ハル様、次です! まだ来ます!」

「なんだよ、まったくもう」

 いいながら身体を反転させ太刀を構えた。向かってくる獲物を見定めると、ハルは牙を剥く敵を目掛けバットを振るようにして太刀を打ち付けた。途端に敵が黒い霧となって消滅する。大ぶりの打撃は会心の一撃となった。


「お、おお! 当たればなんとかなるもんだな」

「おい小僧! なんだそれは! まったく、なんてデタラメな」

「結果良しですよ。それにまぁ、なんていうか、犬とは以前にも戦ってるし、こいつらは、あの鬼よりも遅い。ついでに言うと、もっと凄い攻撃も経験してるんです」

「人間が、簡単に言いやがって」

「黒麻呂さん、そんなことよりも、次が来ますよ」


 再び頭上から無数の矢が降ってきた。

「黒麻呂さん」

「フン!」

 黒麻呂が咆哮によって矢の群れを一掃する。


「黒麻呂さん、上はお願い出来ますか? 僕は飛べません」

「俺に指図するのか」

「指図ではありません。この通り、お願いしているのです」

「随分と都合の良い。だがこの際だ引き受けてやろう」

 鼻を鳴らした黒麻呂がステップを踏むようにして宙に駆け上がる。


「当たれば何とかなる、と言ってはみたもののどうしようか……」

 ハルは次を見た。黒い毛皮を逆立てる犬、鼻先を低くして今にも飛びかからんとする犬、唸るように威嚇をしてくる犬。ハルの修羅場はいつの間にか犬に埋め尽くされていた。多勢に無勢である。一斉に飛びかかられたのでは堪ったものではない。助けを期待して仙里の方を見るが、どうやら助ける気持ちはないようだった。

 大きな木に背を預けてこちらを見ている仙里は、時折虫でも払うよにして犬を始末していた。その合間に目を合わせたのだが、彼女は涼しげに笑むだけで動こうとはしなかった。


「動けるかい? 真子」

「は、はい」

「ならば、こっちへ、とりあえず向こうへ行くよ」

 周囲にある木や建物との距離を確認してハルは真子に声を掛けた。その後、真子をその背に庇いながら犬どもを牽制しつつ位置取りをする。

 辿り着いたハルは朽ちかけた社に真子を押し込んみ開いた格子戸の前に立った。犬どもが物体をすり抜けて来るならば後ろも安全ではない。だがここは狛神の社である。主のテリトリーにおいては犬神とて易々と建物をすり抜けてくることはないだろうと予測を立てていた。


「ハル様……」

「大丈夫、ここなら四方からの攻撃は来ないと思う。精々が三方、入り口で迎え打てば一対一だ。あとは持ちこたえるだけだ」


 かくしてハルは賭けに勝った。犬神どもが社をすり抜けてくることはなかった。視野の外から来る攻撃はもう来ない。一方からの攻めならば容易く対応することが出来る。向かってくる敵に向けて振り上げた太刀を上から打ち付けた。横から来る敵に対しては振り回して払いのけた。間に合わないと思ったときには突き飛ばした。

 普通の棒ではこうもいかないだろう。だが、手にしているのは仙里が持ってきた曰くの付きの武器である。

 ハルの抵抗と黒麻呂の奮迅を受け敵がその数を減らしていく。

 粗方の敵を屠ってしまった黒麻呂が社殿の前で仁王立ちを見せると頭上から笛の音のような音が響いた。その音を合図にして敵の動きが一斉に止まる。


「真子、大丈夫かい?」

 敵が引いていく様をみてハルは後ろに声を掛けた。


「どうやら、ここまでのようだな」

「黒麻呂さん、あれだけの数を相手にしてまったく疲れ知らずですか」

「造作もない、所詮は雑魚だ。とはいえ、そこの猫の手伝いがあれば、もう少し手早く片付いたのだがな」

 黒麻呂はチラリと仙里に目をやった。その視線に仙里は鼻を鳴らして答えた。


「ハル様」

「もう大丈夫、終わったよ。それにしても、まったく無茶してさ、死んじゃったらどうするんだよ」

「……申し訳もござりませぬ」

 ハルは側に歩み寄り真子の頭を撫でた。


「おい、小僧に猫よ、お前らはいったい何者なのだ」

 黒麻呂が値踏みをするように睨み上げる。


「そうだな、私のことも含めて子細は順々に整理をせねばならないのだが」

 仙里が背を預けていた木から離れてこちらに歩み寄ってきた。


「猫よ子細とは何だ?」

「私はある目的を持ってここに来た。私は疑義を抱いている」

「疑義?」

「そうだ。幸いにしてここには当事者が集まっている。あの娘はおらぬようだが、それはそれで都合がよいかもしれぬ」

「話が見えぬな」

「急くな右方の者よ、順々にといったはずだ」

 仙里が手を突き出して静止する。うむ、と低く唸った黒麻呂は厳しい目をしながら了承の意を示した。


「まず先ほどの敵襲のこと、それから神器のこと、右方の事情と左方の事情と古き戦の話、そして『雨』のこと、最後に蒼樹あおき真菰まこものこともだ」

「真菰って!」

「そうだ、お前の妹の話だ」

「なんで、仙里様が」

「私が知ったのは成り行きでしかない。子細はそこの真神の姫に聞けばいい」

「真子が? でもなんで……」

「ことは簡単な話ではない。逸るなよ、互いの事情を好きに語っていては話が見えなくなる」

 突き刺すような視線を受けてハルは言葉を飲み込んだ。


「真神よ、お前もだ。怒りに身を任せてでは話にならん。それにその傷、一先ずは蒼樹ハルの影で休め。そこからでも聞けるだろう、語れるだろう」

「……わかりました」

 真子は不承不承といった感じであった。


「では狛神よ、まずは人払いをしてもらいたい。あの戦から八百年を経て、今なぜか時局がめまぐるしく動き出してている。先ほど襲ってきた輩の正体は不明であるが、こちらの動きを快く思わない者達がいると思えば分かりやすい。ならば、ご丁寧に我らの話をきかせてやることはないだろう。隔離をしたい。ここは貴殿の社だ、お願い出来るか」

「わかった、ならば我が里にご案内する」


 雨の陰陽師にまつわる様々な謎と仙里の事情、学校で起きている連続殺人との関連は定かではないが、全てのことが雨の陰陽師絡みで繋がっていることはもう確実のようだ。それに、死んだ妹の名まで飛び出した上に、ここまで深く関わりを持ってしまっていることを踏まえれば、一連の出来事から自分の存在を除外する方が難しい事のようにも思えてくる。疑問符が心を埋め尽くす。深淵を臨むハルは不穏な予感に押しつぶされそうになっていた。


「なんでこんなことに……」

 言葉が口から零れ出たその時、ハルの心に訴えかけるように太刀が振るえた。

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