第25話 伝説の太刀

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 暗がりの中を走りながら昼間の光景を思い出していた。――まだ本堂に置いてあったはずだ。ハルは昼間に日本刀を見ていた。

 太刀を持参し尚仁に除霊を頼んでいったのは意外にも少年だった。その少年はハルに対して村上むらかみしゅうと名乗り、同じ学校の同級生だと話したがハルは少年のことを知らなかった。

 入学してから幾分か時は過ぎていたが未だに同級生全員の顔と名前は分からない。だから知らない顔もあって然るべきなのだが、その少年については知らなくても当たり前などと言えなかった。あからさまに異様な雰囲気を放つ少年に気付かぬことなどあり得ないと思った。

 

 その日、帰宅したハルは教師から配られた保護者宛の書類を手に本堂へと向かった。


「尚仁さん、入りますよ」


 入り口に差し掛かり人の気配を感じて襖に手を掛ける。叔父の名を呼びながら畳敷きの外陣げじんへ進むと、尚仁は広さ三十畳あまりの外陣の中央で客と向き合っていた。その場面を見た瞬間になぜだか背筋を伸ばしていた。ハッと気を取り直し再び二人の様子を見る。この時、妙な違和感の正体に気付いた。ハルは入室するまで来客の気配に気付けていなかった。

 内陣に安置された本尊が柔和な笑みを湛えて二人を見つめている。少年と尚仁は何やら話し込んでいた。

 

「実は、これなのですが」

 少年は厳かな所作で布に包まれた長い棒のような物を差し出した。

 

「それは、もしかして日本刀かい?」

 尚仁は興味深げに太刀を眺めた。直ぐに視線に応じて少年が頷く。

 

「これは家に代々伝わっている一振りで、銘を『安綱やすつな』といいます」

「安綱ねぇ、『名物めいぶつ童子切どうじきり』かぁ、でもそれ、さすがに本物ってことはないよね」

「真贋についてはどうでしょうか」

「いやさ、こう見えても僕は、日本刀にはちょっとうるさくてさ、童子切安綱といえば鬼丸おにまる国綱くにつなと並ぶ天下五剣のうちの一振り、本物はたしか……現在は国立博物館に所蔵されているはずなんだけどねぇ」

 尚仁は腕を組んだまま意味深に言った。

 

鬼切丸おにきりまるといっても複数があり、様々な逸話とともに各所に伝わっていることが知られています。そのうちの最も真たるものが安綱と呼ばれておりますが」

「ほう、詳しいじゃないか」

「美術品として最上級のものは確かにこれではない。しかし当家では、これこそが正真正銘の本物であると伝えられています。よければその手に取ってご覧下さい」

「良いのかい?」

「どうぞ、どうせこちらに寄進させて頂くためにお持ちしたのですから」

「寄進かぁ……。こんな稀少を思わせるお宝をねぇ、奇特なことだよねぇ、いまどき」

 

 尚仁はニンマリと笑った。

 それにしても、尚仁が骨董の刀に興味を示すとは思いもよらぬことであった。


「喜んで頂けているようで恐縮ですが……」

「ああ、ごめん、ごめん。これの除霊も兼ねているってことだったね。まったく、今日という日は何だかおかしな日だねぇ。除霊だのなんだのってのが二件も」

「二件ですか、そうですか」

 しってか知らずか少年は内陣脇にある脇檀の方へと顔を向けた。


「あれですか? 美しいですね」

「そうなんだよね。どこにでもあるものなんだけどね、どうしちゃったのかなぁ」

「何か曰くでも?」

 もの珍しそうに少年が目を細めた。

 

「曰くかぁ……まぁ、曰くって言っても持ち込まれた方の娘さんが大事にしていたものというくらいで、それ以外には特に何もないんだよね……。ほらあのような物には付き物のさ、髪が伸び続けるとか、爪が伸びるだとかそんなワイドショー的な面白みは一切ないんだよ」

「そうですか」

 尚仁の言葉を聞いて、少年は不思議そうにちょこんと首を傾げた。


「それよりもさ、今はこれだね」

「そうですね。当家と致しましても、その太刀の除霊をして頂かねばおちおちとしていられませんので」

 少年は顔色を変えずに淡々と言葉を並べた。

 

「そうだったね。除霊だったね。でもこれも、特に危ないとも思えないんだけどねぇ」


 そんな軽い調子でいいのか。ハルは、あまりにもいい加減な尚仁の口ぶりに呆れた。といっても、普通の人間に穢れの有無を判別することなど出来ない。だから持ち込まれた除霊の対象を稀少なお宝としてしか見られない尚仁の態度も理解出来るような気がするのだが。


「そうですか、和尚様のお見立てではそうなのですか。それならば良いのです」

 少年はニコリと笑った。どうやら尚仁の言葉を真に受けたようであった。


 ――おい、そんな簡単なことでいいのか。

 ハルは首を傾げた。


「それでは和尚様、後はお願い致します」

 軽く会釈をして立ち上がると、少年はそのまま出口であるこちらの方へと向かってきた。廊下に出るところで、ハルは少年と鉢合わせした。彼はハルと目を合わせると直ぐに微笑みを見せ穏やかな口調で言葉をかけてきた。

 

「君が蒼樹ハル君か、なるほど。僕の名は村上驟、君と同じ学校の同級生です。以後どうぞお見知りおきを」

「お見知りおき? なんだか変な話し方をするんだね」

 ハルは警戒心を抱いていた。それは不安と似たような感覚でもあった。


「そうでしょうか」

 少年はさらりと答えた。


「君はなんで家の寺に?」

「それは、いま聞いていたのでは?」


 言葉を返してきた少年の態度は飄々としていて掴み所がなかった。

 

「刀の除霊、それにその刀をうちに寄進するとか何とか」

「そうですよ。その通りですが何か?」

「簡単すぎやしないか?」

「簡単、ですか?」

「あの刀、安綱とか何とかっていってたけど。わざわざ尋ねてきたというわりには簡単過ぎないか? 除霊だろ? なにか忌み事でもあったのじゃないのか? あの刀、何か雰囲気は感じるけど、本当のところ危ないものではないんだろ?」

「そう見えましたか。いやぁ、流石ですねえ」


 少年は目を細めて笑った。

 

「僕が見たんじゃない。住職の言葉を聞いていただけだ。もっとも、危険の有無に関しては刀欲しさに言ってみただけのことかもしれないけど。それにしてもおかしいじゃないか」

「おかしい?」

「あれは高価な物なんだろ? あのなんとか安綱って刀は君の家にとって家宝と言ってもいい代物じゃないのか? それをすんなりと置いて立ち去る。まるでなにか含みがあるようじゃないか。何なんだ? 何が目的なんだ? あのなんとかって刀を――」

「童子切安綱です」

「名前なんてどうでも良いんだ。僕は住職と違って刀に興味なんて持たない」

「興味が無い。そうですか……、それは困りましたね」

「はあ?」

「あれは、俗には鬼切と呼ばれている刀のうちの一振りですが、その名は、鬼切りでも童子切安綱でもない。かの者の真名まなは」

「ま、真名!」

 少年が発した単語には聞き覚えがあった。


「ん? どうかしましたか?」

「あ、い、いや」

「それにしても、これはどうしたものか……。あれはその昔、大江山に住んでいた鬼を退治した謂われを持つ歴とした神器なのですよ。興味が無いとは困りましたねぇ」

「謂われとかそんなこと言われても知らない。とにかく持って帰ってくれないか、そんな気味の悪い――」

「知っていますか? いや、知ることになる、といっておきましょうか」

「はあ? あのさ、さっきから会話がかみ合ってないんだけど、僕はあの刀を――」

「太刀は人を選ぶのです。君には、このことだけは覚えておていてもらいたいものです。そしてあの太刀は……。まぁ今はそんなことはいいか」

「何を一人でブツブツと」

「そんなことよりも、お伝えしておかなければいけなかったことがありました」

「もういいよ。僕は刀のことになんて興味ない。取ってきてやるから持って帰ってくれ――」

 

 と言ったところで、少年が掌を突き出しハルの言葉を遮った。その後、少年は目を細めて微笑むと一呼吸の間を置いて話し始めた。


吉野よしのけやきという娘の母親です。あれを持ち込んだのは。一応、知らせておきますね」

「え? 吉野なんだって」

 話の脈絡が見えずに聞き返すと少年は僅かに眉を持ち上げニタリと笑みを見せた。


「なんなんだよ君は! その子が、その母親がって言われてもわかんないよ! さっきから何なんだ。何を言ってるんだよ君は訳がわかんな――」

「これは、大切なことですよ」

 

 念押しされて言葉に詰まる。村上驟と名乗った少年はこちらの言い分を聞くようでまったく聞かない。そんな自分の言い分ばかりを並べ立てる相手に段々と嫌気が差してきた。

 

「そんなに怒らないで下さい。悪気はないのです」

「君は、いったい何者なんだ」

「何って? 普通に高校生ですが、何か?」

「……もういいよ。君と話していると頭が痛くなる」

 ハルは額に手を当て俯いた。


「呪いです。この事はあなたが今探っている呪いの事件に繋がっている」


 少年のその言葉を聞いてビクリと肩が震えた。ハルはゆっくりと顔を上げた。

 目を合わせた少年は細い目を更に細め、顔から表情を消した。そうしてゆっくりと話し出した。

 

「蒼樹ハル、いよいよ君は踏み込んでしまった。悟られ、動き出した。だからあれが必要になる。気を緩めてはなりませんよ。もう君の直ぐ側にまで近づいてきている。どうかご武運を」

 

 言い終えると村上驟は口角を上げた。その表情は普通の笑みとは違っていた。ハルは、こちらを試すような、または愉しんでいるような感情を彼の笑みから感じ取った。その不気味さに圧倒され術を無くしたハルは寺を去る少年の背中を無言で見送ることになってしまった。


 ――暗い廊下を突き抜けて本堂に辿り着く。本尊の横、脇檀の上にあの少年が持ち込んだ太刀がみえた。朱塗りに蒔絵の施された優美な姿は闇の中で光を放つように見えていた。急いで駆け寄り太刀を手にする。ハルは直ぐにきびすを返し真子が待つ庭へ向かった。

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