2章 怪異

第5話 怪談

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 この春、高校生になった。思い描く甘い学校生活、潤いのある充実した毎日を過ごすために必要なことがある。彼女を作ることがハルの第一目標であった。


 桜が散り始めた頃、ひょんなことから仙里と出会いえにしを持つこととなった。これで機会は得られた。彼女は申し分なく美しい。だが相手は人ではない。今は同じ制服を着て同じ空間で過ごすこともあるが、色恋とはほど遠いところに彼女は存在している。果たして妖怪と付き合うことなど出来るのだろうか。ハルは難題を突きつけられていた。

 

 雨の日はバス通学をしていた。車内は充満する湿気のせいでどこか息苦しかった。

 雨が嫌いなハルは、その日も窓辺に肘をつきぼんやりと車窓を流れる雨模様を眺めていた。

 流れていく景色。彼女を持つという目標が、どんどん遠ざかっている気がする。学校前に到着するまでにはまだ少し時間があり、溜め息を繰り返すばかり。そんな憂鬱を持て余していた時だった。耳が奇妙な話を拾った。小声で話していたのは同じ学校に通う女生徒達だった。


「――呪いなんだって」


 最初に捉えたその声は、すし詰めのバスの中に湧いた雑音の一つでしかなかった。気になったというよりも、ごく自然に耳に入ってくるTVやラジオの音声のようだった。雑多に集まる人の群れの中では特に珍しくもない雑音。普段ならばありふれた効果音でしかない他人の話し声。


「マジ? ねえ、それってマジなの?」

「その話、誰かが面白がって作ってるんじゃないの?」

「でも……あれば怖くない? やっぱ怖いよね」


 聞きたくもないのに無理やりに耳に入ってくる。嫌気が差して景色に注意を向けた。だが、わずらわしさを覚えているのに何故だかこの時は聞くことを拒めなかった。とりとめのない噂話に引きつけられる。これは、既に妖怪を認知しているためだろうか、それとも以前に生徒玄関でおかしな経験をしたためだろうか。ハルはあの雨の日のことを思い出した。……そういえば、あれから一度もあの生徒手帳を落とした少女には会えていない。彼女はずっと登校していなかった。落とし物はいつでも渡せるようにとポケットの中に入れて持ち歩いているのだが。


 怪談を乗せてバスは走る。普段通りに幾つもの停留所を越えて先へ進んでいく。


「何かに関係している子らしいよ。その子達が一人、また一人と殺されていく……」


 殺された? 一瞬、耳を疑った。リアルと繋がるオカルトなどありえるのだろうか。ハルは聞き逃すまいとして聞き耳を立てしまっていた。


「えー、だって事故でしょう? やめてよ」

「本当だって」

「偶然だよ。ありえないよー、もう、ちょっと止めてよ、朝から怖すぎるよー」


 彼女達の会話は、まるで昨夜見たドラマの話をするかのように軽妙であった。人の死を面白おかしく話す彼女達に呆れるが、そのようなことよりも話が妙に生々しすぎることが気になった。これは本当の話なのだろうか。


「マジだって……。何人かいるらしいよ、学校内でお化けを見てる人が」

「ああ、その話なら私も聞いたよ、誰だっけ? たしか同じ中学の同じクラスの女子で……」

「そうそう。でもね、なんであの子らが? って同じ中学出身の子に聞いても誰も何も言いたがらないんだよね……だからさ」

「呪いだっていうの? でも昨日のは事故でしょ。たまたまだよ、ないない」


 かしましい声には時より笑い声さえ混じる。それはフィクションを語っているかのようだった。


 呪いとして語られている出来事が起きたのは昨日のこと。その一件で死んだ女生徒がどうやら一人目の犠牲者であるという。自分と同じ高校の女子生徒が交通事故で死亡した。部活動を終え校門を出た直後の事だったらしい。

 耳を塞ぎたくなるような悲話に心が痛んだ。ハルは軽々しく呪いだなんだと話している光景に不快感を持った。


「でもさぁ、いくらなんでも呪いだなんてそんなふうに噂したら駄目じゃない? 人が亡くなっているんだよ」


 女生徒の一人が窘めるように言った。

 ハルは辟易としながら溜め息をつき車窓から視線を遠く投げた。馬鹿げた話から意識を遠ざけようとした。

 ――しかし。

 彼女達の話は更にオカルトを含みながら続く。


「でもさ……」

「でも? でもなに?」

「あのね、これは聞いた話なんだけどね。その子もふざけていて道に飛び出したとか、そういうんじゃないんだって、それに……」

「それに?」

「その子も、最近様子がおかしかったんだって、何かに怯えていたっていうか、学校でも突然騒ぎ出したり、何処かを見て怯えたり……」

「え、ええ! それってもうリアルじゃん」

「だからさ、ほら、ね、怖くない? それって怖いよね……」

「もう、ちょっと止めてよー」

「何かに殺されたんじゃないかって、噂だけど」

「殺されたって、マジ?」

「嘘じゃないらしいよ。事故を見てた子が言ってるんだもん。本当だよ。それに見たのはその子だけじゃないんだ。一緒に帰ろうとしていた友達が何人も見てたんだって。それで、その子が言うにはさ、事故に遭った子が急に何かに怯えるように走り出して――」

「何か? 何かって何よ」

「分かんない。とにかく、何かを見て、怯えて、逃げたんだって」

「で? それで?」

「何か訳の分からない事を言って逃げ出したその女の子はとにかく校門の外まで走ったんだって」

「それで、事故に?」

「……」

「え? じゃないの?」

「その子は、確かに焦っていたけど道には飛び出さなかったの」

「え? じゃあなんで?」

「………………」

「え? なになに?」

「……押されたんだって」


 女生徒が発したその言葉にハルは目を剥いた。直後、その言葉が脳裏にある場面を想起させる。あの雨の日に後ろからぶつかってきた女生徒がいた。名前は……確か……。


「だからぁ、道淵で立ち止まったその子は、そこで何かに押されるようにして道に飛び出したんだって……」

「うわっ、怖い! 何それ! それって本当にヤバい話じゃん!」


 頬が強ばる。――あの時も。そういえば、あの時もそうだった……。

 彼女は何かから逃げていた。



 

 終業の鐘が鳴るのも、終わりのホームルームに担任が話す言葉も耳には入ってこなかった。授業もそっちのけで考えていたのは今朝耳にした呪いの話。


 ハルには気になっている事が二つあった。

 一つは仙里と出会った時に見た藁人形。もう一つはあの落とし物の持ち主である宮本円香のこと。気になって昼休みに聞いて回ると、亡くなった生徒は宮本円香ではなく別の女生徒だった。

 机に突っ伏したままで溜め息をつく。もしもあの事故が噂どおり呪いの仕業であるならば……もしも妖怪が関わっているとしたら……。ハルは銀杏の木の前で佇む仙里の姿を思い浮かべた。


「私がどうしたというのだ?」

「あ、ほらね、あの雨の日に、確かに呪いの人形を見つめていたけど、だからといって仙里様が呪いで人を殺すだなんてあるのかな……って、仙里様! なんで!」

 不意の登場に驚く。唖然としたまま口が塞がらない。クラスの空気と同化するように存在しているが彼女は滅多に姿を見せることがなかった。普段から、勝手気ままに動く仙里の動きは掴めなかった。


「まったく、なぜ、なぜと煩いやつだな。私がここにいては可笑しいか」

「仙里様、もしかして僕の心を……」

 確信を持って尋ねると仙里がニヤリと笑った。これも契約とやらの影響なのか、どうやら彼女に思考を読まれているようである。


「これは老婆心であるが、ひとつ忠告してやろう」

「……忠告?」

「関わるな」

「へ?」

「これは、只人にどうこう出来る事態ではない。首を突っ込むなと教えてやっているのだ」

「ま、まさか、仙里さまが関わっているのですか?」

「お前には関係ない。話す必要もない」

「でも!」


 ハルは食い下がった。自分とこの妖怪は契約を結んでいる。もしも仙里が人を殺しているのなら止めねばならない。契約者である自分はもう部外者では無いのだから。


「お前、死ぬぞ」

 一言告げると、仙里は煙のように姿を消した。いっそ死んでくれれば都合が良いのだがな、と言い残した彼女の笑みがハルの心を冷やす。死を突きつけられて確信した。仙里は関係者であり、この呪いの事件は実在する出来事なのだと。

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