十六

「美沢さん、ずっと……こんな部屋で生活してたの……?」


 私を見下ろしてそう投げ掛けてきた先輩の顔は、驚愕と、おそらくは恐怖に歪んでいた。

 私は何が何だかわからなくて、ただ困惑顔を晒す。

 大体からして、あのストーカー霊がどうなったのかも私には確証が持てない。

 けれど、曲がりなりにもあの霊が消えた今となっては、私の視界に映っているのは見慣れたいつもの光景だ。

 私たち美沢母子みさわおやこが新居とした、三○二号室。

 もしかしたらあのニートの男のことが先輩にも見えているのかとも思ったけれど、それだけでそんな疑問が口をついて出るだろうか。

 さすがに最近は掃除が行き届いていないかもしれないけれど、十分見られる空間のはず……。


「どう、したんですか?」

「ナニカが、いる……何人も……」

「っ!」


 そんな、奥歯を噛み締めるようにして危機感をあらわに言われては、脳裏によぎるのはさっきのストーカー霊。

 喉から悲鳴のような嗚咽が漏れる。

 まさか、私に視えなくなって、先輩に視えるようになったっていうこと……?

 でも、何人もって……。

 ところが先輩は、私の貧弱な想像力を裏切るように言う。


「たぶん、女の人」


 その可能性を示されて初めて、私はそのことに思い至る。

 そうだ……。

 この部屋では、過去にここに住んだ女性が四人、不審な死を遂げているんだった。

 それがまさか……、ずっと、この部屋に居たっていうこと……?

 瞬間、全身を蛆虫うじむしが這いずり回っているかのような悪寒に襲われた。

 そんな部屋で、私はずっと……!?


「こいつらも消しておかないとダメか」


 この場には不釣り合いなほど平坦な声で、ニート男。

 しかし――。


「ゆい姉! いるのか!? ゆい姉!!」


 玄関口から室内に向かってそう声を荒げたのは先輩だった。

 その顔は危機感と恐怖に歪んでいるのかと思ったけれど、私はその中にそれらとは別の感情を垣間見たような気がした。

 辛苦しんく

 …………そうか。

 何となくだけど、いくつかの点が線で繋がったような気がした。

 過去にこの部屋で亡くなった住人の中に、いたんだと思う。

 先輩に近しい間柄の人間が。

 

「バカ! 不用意にこいつらの気を引くようなことすんな!」


 リビングの入り口に立っていたニート男が先輩を怒鳴り付けた。

 いや、でもニート男の言葉も姿も先輩には――。


「な……んなんですか! あなたは! 一体いつからそこに――」


 視えている!? 

 声が聞こえているのみならず、先輩の視線の先を追ってみると、それは間違いなくニート男を捉えていて視線を交錯させていた。

 何で今になって!?


「いいから大人しく静かにしてろ! 今すぐ片付けるから!」

「! 何をするつもりなんだ!」

「ここをこのままにしておけるわけないだろ! こいつら放っといたらどうなるのかくらい…………わかんないよなぁ!」


 ニート男は頭を抱えた。

 確かにわからない。わからないけど恐いのは確かだし、こんな部屋で生活できないことくらいはわかる。

 でも……。


「やめろ! やめてくれ!」

 

 先輩はニート男に飛びかかったものの、その身体は空しくニート男をすり抜けた。

 そしてニート男は勢い余って床に手をついた先輩に目もくれず、全身に絡み付きそこから延びた鎖を揺らめかせ――。


「やめてください!」


 ぴたりと、鎖が中空で制止した。

 肩越しに私に流し目を送ったニート男の顔は、どこか睨むようでさえあった。

 私は気後れしそうになる平常心を叱咤して声を絞り出す。


「少しも、猶予はありませんか?」


 私の目には何の変哲もないように見えるリビング。

 しかし私の目には像を結んでいないナニカがいるであろうリビングを油断なく注視しながら、ニート男は言った。


「まぁ、少しだけなら。忠告しておくけど、絶対にに触れるなよ」


 そんな厚情に賜りながら、私は先輩に向けて首肯した。

 やや呆けていたような先輩が慌ててそれに応えて、リビングの中へと踏み行っていった。

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