六(2/3)

 男はこちらに軽く目配せしただけで一言も発することなく、すぐに視線を逸らしてしまった。

 私は構わずに本題を切り出す。


「今日は訊きたいことがあって来たんです。ウチが入ることになった、あの部屋のことなんですけど」


 その内容の端を口にすると、男は一瞬だけこちらに視線を合わせたものの、やっぱりすぐに背けてしまう。

 まるで関わり合いになりたくないと言わんばかりの雰囲気。

 ここで折れちゃダメだ。

 実生活がおびやかされているんだから。


「あの部屋って何かあるんですか?」

「何かって?」


 この人は何かとまともに他人のことを相手にしないので言動以外の一挙一動から何か読み取ろうと思っていたのに、意外にも即レスが返ってきて意表を突かれてしまった。

 私は慌てて平静を取り繕って補足する。


「たとえば……前に話したとき、あなたはなぜかあの部屋のことに詳しかったですよね。家賃のこととか」


 同じアパートの住人なら知っていてもおかしくない。

 問題は、なぜウチの部屋が他の部屋と比べて安いのか、ということ。

 さほど間を置かずして返ってきたのは、


「不動産屋に知り合いがいるんだよ」


 という、私が求めていたものとはやや的を外した答え。

 嘘くさい、と思った。

 私も人見知りだけど、それどころか人付き合い自体を敬遠していそうなこの人からそんな返答が出てきたことが。

 ……どっちでもいいか。

 私が知りたいのはそこじゃない。


「その不動産屋さんは何か言ってませんでしたか? あの部屋のこと」

「いや別に。変わったことは何も」


 食い気味と言っていいくらいの即答からは、まるで早く会話を切り上げたいとでもいうようなニュアンスが伝わってくる。

 その返答の真偽も私には判断がつかない。


「あなた自身は……」

「さぁ? 俺、この辺に住んでるわけじゃないし」

「え? そうなんですか?」


 この人はいつもここにいるから、てっきりこの近くに住んでいるのだと思っていた。そうじゃないということは、わざわざ遠方からここまで来ているってことなのかな。


「まぁそう遠くもないけど。何でそんなこと訊くの?」

「……いえ、ちょっと……あの部屋で妙なことがあって」


 向こうからの質問は予期していなかったせいで一瞬返答に窮したけれど、私は包み隠さず打ち明けることにした。

 玄関を執拗に誰かに叩かれるような目に遭ったこと。

 ドアノブが傷つけられていたこと。

 留守中に部屋が物色されていたこと。


「あ、そう。そりゃ災難」


 果たして返ってきた反応は他人事だという心情を隠そうともしない、ろくでもないものだった。しかしそれでいてその面持ちは、何かの失態を犯してしまったかのような、今にも舌打ちが聞こえてきそうなほどにしかめられていた。


「だから、何か知ってることがあったら教えてほしいんです」

「残念だけど、何も知らない。力になれなくて悪いね」


 そう言う男の人に悪びれた様子は微塵もない。

 まさに取り付く島もないといった態度。

 きっともうあの部屋に関することは何を訊いても無駄だろうと判断した私は、「いえ」とだけ返してその話を打ち切り、代わりに今まで気になっていたことを訊ねてみることにした。


「ところで、どうして毎日ここにいるんですか?」

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