第2話 銀浪洞神社の翁

 オレは、もう、バカみたいに自転車けったのペダルをこいで、こいで、こいで、遠くに見えるあの山へと走らせた。


 街を抜けて、住宅街を抜けて、田園地帯を抜けて、丘を越えて………。


 そして、曲がりくねった山道を登っていく。


 空は夕焼け。

 カラスが鳴いて、人はおろか走る車さえもほとんどない山道を、どこまでも、どこまでも、オレは自転車けったを走らせた。


 やがて辺りはすっかり暗くなって、道を照らす照明灯のあかりを頼りに山道を進んで行く。


 額から流れる汗が目に染みる。

 もう、身体中汗だくだ。


 ついにオレは力尽き、自転車けったを止めた。


「はあっ、はあっ、はあっ………」


 自転車けったから降りて、そのまま地べたに座り込む。


 籠から、ミネラルウォーターを取り出して、がぶがぶと飲んだ。


 オーバーヒートしたオレの身体は、その体温を下げるため、一気に汗を放出する。


 滝のように流れる汗、久しぶりの感覚だ。いつ以来だろうか。


「は、腹減った……」


 そういえば、と思い出して缶コーヒーと厚切りロースカツサンドを取り出した。


 厚切りロースカツサンドのパックを開けて、ひとくち齧る。


 ソースと刻みキャベツと厚さの割にさくっと切れる柔らかなロースカツ。


 咀嚼すれば、パンとそれらの味が渾然一体となって、オレの口のなかに広がっていく。


 プシッと缶コーヒーのプルトップを立て、ひとくち含んだ。


「くぅー!うまっ」


 オレは、厚切りロースカツサンドを咀嚼しては缶コーヒーを流し込み、咀嚼しては流し込みを繰り返し、かなり遅い昼飯をたいらげた。


 ポシェットからタバコとジッポを出して、タバコを咥えて火をつけた。


「ふぅー。………で、いったい、ここはどこなんだ?」


 自転車をひたすら走らせ続けて、こんなとこに辿り着いた。


 紫煙をくゆらせながら空を見上げれば、いつもより大きめの丸い月が昇っている。

 近くに照明灯も無いためか、澄んだ夜空にきらめく星がはっきり見えた。


 風が吹いて木の葉がさらさらと鳴り、あちらこちらから虫の鳴き声が聞こえてくる。


 ふと、茂みの方に視線を移した。

 獣道と言うには、やや幅の広い道が奥へと延びている。


 どういうワケか、その先に何があるのか気になった。


 ………。


 ――イヤ、イヤ。あの先は、さすがにヤバいでしょ。


 獣道を行く、か……。


 なんとなく、そういうのに惹かれてしまう自分がいる。


 誰も行かない獣道を分け入って、その先にあるものを手にしたい。


 オレは立ち上がった。


 ポシェットから携帯灰皿を出して吸殻を放り込み、獣道が延びる方へと歩き出す。


 獣道の脇にはオレの胸の高さほどの熊笹やら、雑草やらが覆い被さるように生えていた。


 その熊笹や雑草やらをかき分け、オレは月明かりに照らされた獣道を進んでいく。


 途中、木の根に足を取られたり、石の上に乗ってしまって転倒しそうになりながらも、先へ先へと歩いた。


 しばらく進んで行くと、開けた場所に出た。


「ここは……、神社?」


 少し大きめの祠の隣に立つ苔むして傾いた石標には「銀浪洞ぎんろうどう神社」と彫られている。

 ただ神社というには、控え目なモノだった。


 満月の明かりに照らされた境内は、どこか異なる世界のように見えた。


 境内には、何のためかわからないが、リクライニングベッドの様な長方形の石が南北を指すように並んでいる。

 その石の北側は、ちょうど枕のよう形をしていた。


「……石舞台古墳みたいな形だな」


 祠の前に大きな賽銭箱が、その側にはおみくじコーナーまで設けられている。


 祠の奥には、高さ約300㎝、幅約250㎝ほどある鉄の観音扉を囲うようにして、鳥居が建てられていた。


 観音扉は、まるで来訪者をその先へ誘うように開いている。


 オレは、おそるおそる観音扉の方へと近づいてみた。


「ここは、洞窟……、なのか?」


 洞窟の中を覗いてみると、薄暗くひんやりとした洞窟の奥へ向かって朱塗しゅぬり千本鳥居せんぼんとりいが連なり立っている。


「この先に、いったい何があるんだろう?」


 ………。


 どうするか? せっかくだから、この先へいってみるか?


 洞窟の奥の方を眺めながら、オレは迷っていた。


 気になる。気になるが、この先は行かない方がいい気もする。


 うーん……。


 迷うなぁ……。


 でもなぁ………。


 どうしよう………。


「ほれっ。何をしておる。さっさと入らんか!」


 びっくうぅ!!


「どわあああっ!」


 突然、背中越しに声をかけられ総毛立った。心臓が大きくバウンドしている。

 口のなかもぶわっと熱くなって、変な味の唾液が出た。


 ――どどどど、どういうことだ!?

 なぜ、こんなところに人がいる?


 振り返ると、そこに真っ白な長髪をした老人が杖をついて立っていた。

 長く白い眉毛で瞳が隠れてしまい、長いあご鬚がヘソの辺りまで伸びている。


 なんというか、いかにも仙人といった外見だが、どこか胡散臭い爺さんだ。


「ほれ、ついてくるがよい」


 そう言うと、爺さんは薄暗い洞窟内に建てられた千本鳥居のトンネルを進んでいく。オレはきょろきょろと周りを見渡しながら、この爺さんの後をついて行った。


 やがて、奥の方から柔らかな蒼白い光が見えてきた。


 そして、洞窟内全体がほのかに蒼白く光る広い場所に出た。


 「す、すげぇ……」

 

 「ここは、星河洞せいがどうという。朱の千本鳥居が誘う場所ぢゃ」


 ここは洞窟の中だった筈だ。

 それなのに、見上げれば、まるで満天の星が煌めく不思議な場所。


 天井の右から左下へと、小さな光の粒がサラサラと流れ落ちている。その粒の幾つかが、キラキラ輝いて消えたかと思うと、別の粒の幾つかが、キラキラする。


オレは、星河洞と呼ばれるこの洞窟の光景に見惚れていた。


「ほれ。こっちぢゃ。早よう来い」


「あ、あぁ……」


 この場所には、社殿が建っていた。

 神殿と呼ぶのがいいのかもしれない。


 爺さんが神殿の前でオレを手招きする。

 オレは、爺さんの手招きに促されて神殿の方へと歩いていく。


 そしてオレと爺さんは、神殿の階段を昇り拝殿に入った。


 この後オレは、爺さんの壮大な暇つぶしに付き合う羽目になる。

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