12月 4日 きりこの望んだこと
「今日は200字書けたよー」
「今日は400字だった……私、天才かな?!」
「一週間たって見直したら、ないなーってなって書き直しました……マイナス100字……」
「今日は、450字くらい」
「今日はなんかね、調子がよくてね1000字も書けたんだ。でも、本筋とはちょっと離れるから、おまけ編みたいな感じかな」
「そろそろ佳境なんだよねえ……どうしよっかな」
10月の半ばごろから、ゆいかは徐々に物語を書き始めた。
ゆいかだけの物語。ゆいか自身の物語。
課題とか、ゲームもあるから、本格的に書けるのは土日だけみたいだから。ゆっくり、ゆっくり物語は出来上がる。
一章が出来た時点で、見せてもらってそれを母さんに一緒に見せに行った。
そんなのも、もう半月以上前のこと。
進捗を聞く限り、第二章の物語も着々と仕上がっているはずだ。
ゆいか曰く、二章でとりあえずの一区切りらしい。
一章が出来たペース的に言えば、今年中には出来上がるのだろうか。小説の執筆ペースとかは、よくわかんないけれど。
ゆいかは着実に前に進んでる。ちょっとずつ変わっていく。
まるでいつかのけいかみたいに、独りぼっちだった彼女が少しずつ人の輪を広げて、自分自身の力を得て確かに変わり始めてる。
物語の中の、独りぼっちの小さな子どもは、今や、自分の足で立って生きていけるほどになった。
私は、ふうっと長く息を吐いた。
今日は土曜日でゆいかは午後からは物語を書き始めるから、一緒に過ごすことはできない。
ゆいかが物語を作り始めてから、私だけの時間が少しずつ増え始めていた。
ざわざわと落ち着かない想いが、胸の中に確かに住み着いてる。
どこかで誰かの声がする。いつかの私の声がする。
もう二度と間違うんじゃないぞ。もう二度と逃げるんじゃないぞ。
変わりゆくけいかから逃げ出したあの時みたいには、もうならない。
今、まさに変わろうとしているゆいかから逃げ出したりは、もうしない。
そう、歯噛みをして意思を固めた。私にできることはあまりない、ただ待つだけだ。
待つだけなのに、胸が痛く、胃がじわじわと痛みだす。何をしているわけでもないのに、異様に疲れた感じさえする。
まあ、原因はゆいかのことだけじゃないんだけど。
勉強机の上にぽつんと置かれた一枚の紙がある。
『進路調査』と書かれたそれを。
私は、何とも言えず見つめていた。
まだ、何も書けていない。
※
とまあ、そんな風に微妙に頭を悩ませていたのが午前中のこと。
午後になって、私は何故か少し遠くの河まで来ていた。
何故だろう、私も知らない。
車の免許を取ったから試し乗りに付き合えと言われて、兄貴に無理やり連れてこられた。
道中も、特に喋ることがあるわけでもなく、ただ漫然とただ漠然と、私はあまり見られない河までやってきて、車は止まった。
だいぶ上流まで登ってきたからか、随分と流れは綺麗で辺りも荘厳な感じがするけれど、あと半年くらい前に訪れたかった場所だった。冬場に来るにはちょっとばかり吹きおろしの風が寒すぎる。
肝心の兄貴はもっこもっこにジャンパーを着こんでおっきめのリュックを背負ったまま、川沿いの岩の上をアスレチックみたいにぴょんぴょんと飛び越えて私を置いていく。
一体、どこまで行く気だよと若干呆れながら、兄貴の後ろを着いていく。
一応、家を出るときに暖かい恰好をしてきたけれど、それでも寒さに身を震わせながら、激流の隣の岩肌を越えていく。
私より大きな岩を踏みしめて、岩のくぼみに必死に道を探しては前に向かって進んでいく。
で、吐き出す息が白くなって、私の頬を撫でていく。
荒れる息を感じながら前に進む。
ああ、全く、こんなことしてる場合なのかな。
迷いながら、惑いながら……進めるほど、岩肌は丁寧に道を創ってくれていなくて。
私は嘆息しながら、一旦思考を振り払って、兄貴の後ろを着いていく。
必死に、必死に、ただ、必死に。
流れる水の音がする、落ちたら今の時期じゃあ低体温症で死んじゃうかな。それ以前に、溺れるか。
岩肌に指を掛ける。
服が木の枝に引っかからないように気を付けながら前に進む。
息が荒れる。
足が痛む。
指先が震える。
でも、前に進む。
ああ、あのクソ兄貴。
ちっとも追いつけやしない。
どうすれば、追いつけるだろう。
できるだけ、できるだけ、前に、速く、でも怪我しない程度に足と手を動かした。
遠く向こう、岩肌を三つか四つ越えたところで兄貴の背中がひょこひょこひょこ揺れている。
私は兄貴が時間をかけた大岩をそっと迂回した。うん、こっちのほうがきっと速い。
私は兄貴が躓いた石を避けて通った。ここでぐらついて、兄貴は時間を食っていた。
兄貴が見つけられなかった近道を、私はすっと通り抜けた。
そうしたら、兄貴はこっちをふっと振り返った。
「お、きり、追いついてきたか」
そう言って、どことなく嬉しそうに笑ってた。
「……うん」
「そこの石、思ったより揺れるから、気をつけろよ」
「うん、見てたから知ってる」
「おう、そうか」
兄貴はそう言って笑いながら、前を向いた。私はその後ろを着いていって、しばらくしたら隣に並んだ。
「もうちょっとでな、開けた滝つぼに出るんだ。そこで飯にしよう」
「おっけ」
私はそう返して、歩き出した。
後は、川と風の音だけがごうごうと響いていた。
※
「で、何持ってきたの? 私、昼ご飯食べてないんだけど」
「ダブチとチキンフィレオ」
「雰囲気に合わなーい」
「うるせえ、どっちがいい?」
「ダブチ」
「ん」
小さな、小さな滝つぼのほとり。
辺りは川と森と岩だけがあるそんな場所の平べったい岩の上で、私達は食事を始めていた。
兄貴がカバンから出してきたそれを、私は両手で受け取って。
「ん、冷めてないじゃん? 結構、登ってきたよね、私達」
「はは、工夫の賜物だな」
兄貴はカバンの中から暖かい飲み物らしきペットボトルと何個か固めたカイロを取り出しながら自慢げにそう口にした。
私は軽く笑いながら、飲み物とカイロを受け取る。
「寒かったんだから、カイロあるなら言ってよ」
「だぁめだ、きりが凍えることより、ハンバーガーが冷めることの方が困る」
「なんじゃ、そりゃ」
「っははは」
軽快に笑う兄貴にやれやれと肩をすくめながら、私はふうと息を吐いた。
それから、告げる。
何気なく、なんとなく。
大層なことなど一つもない風に。
「ありがと、兄貴」
こうきは隣で軽く笑った。
「何がだ? ハンバーガーのことか?」
「ううん、悩んでたから。連れ出してくれて助かった」
ほんのりと暖かいハンバーガーを受け取ったコーヒーで流し込みながら、そう告げる。
「ほおん、悩んでたのか。そいつは知らなかった。何に悩んでたんだ」
私の兄貴はそう嘯いて、自分もハンバーガーを頬張り始めた。
「ゆいかのこと、あと進路」
長いこと歩き続けた身体は火照っていて、暖かいものを食べているから、あまり寒くは感じなかった。
「ふうん、ゆいかちゃんのことねえ。何か悩むことあんのか? 相変わらず、仲良さそうじゃん」
「……最近ちょっとさ、ゆいかが、けいかにダブって見える時があるんだよね」
「……似てるか? あの二人が? 性格全然違うだろ」
「性格は……ね。ただ、なんていうか……最初は落ち込んで独りだったのに、段々といろんなことが自分でできるようになるとことかかな」
「…………」
「そんな風に変わっていくのに、私は置いてかれてく感覚がちょっと……似てる」
「…………」
「だから……また、やらかしちゃわないかなあ。って、ちょっと心配」
「…………また、っていうのは……なんだ、飛び降りたりとか、か?」
私はふむ……と考える。
「それやったら、多分、ゆいかは一緒に飛び降りてくるから、ダメかなあ」
言いながら、いつかそんなこと言われたなあって想い返す。そう、いつかの雨の日にそんなこと言われてた。
「おっもお……ああ、見えてどぎついこと言うなあ、ゆいかちゃん」
「そーだよ、あれで結構強いんだ、ゆいかは。……今も強くなってるし」
「……それで進路のことに繋がるわけか」
「うん……まあ、これは進路調査で渡されただけだけどさ。なんか、これに書けないと、私、ゆいかについていけない気がしてさ」
段々とみんなは先を見始めてる。何ができるか、何をしたいか、そんなことを段々と見据え始めてて、ゆいかはそれを現に創り始めた。
相変わらず、けいかが変わっていた時同じに、私だけはどこにも進めないでいる。
何も成長できていない……気がする。
「ほんとに、そうかあ?」
隣を見ると、さっさと食べ終わった兄貴は肩をすくめながら笑ってた。
「…………どういうこと?」
「お前は、俺がいつちゃんと進路を決めたか忘れたのか?」
「…………ああ、……ああ~~……」
そういや、この兄貴が進路を決めたのは、一回目の受験に失敗した時だっけ。あまりにも急な進路変更で、当時はそれはもう、お父さんやお母さんと兄貴で大喧嘩が勃発したものだった。
お母さんは当然、ブチ切れ。兄貴も兄貴で一度決めたら、頑固だから、「これ以外に俺の道はない」ってガンと譲らなかったっけ。お父さんはなんとか、話を決着にもっていきたかったけど、結局まとまらなくて、家は随分と険悪な雰囲気になったのを覚えている。
私もまだ、けいかのことで悩み始めてこそいたけれど、そこまで深刻じゃなかった、そんな頃の話だ。
「気ぃ付いたら、あれももう二年弱前の話だな」
「あの頃は酷かったよ……色々」
「はは、悪いな。……でも、お前は味方してくれたじゃないか」
「…………そーだっけ」
「そーだよ、今思い出しても面白かったよ。夕食の席で、唐突にお前がキレ出すんだからな」
「…………」
自分が、怒った話をされるのは……バツが悪い。
「俺も、母さんも、親父もポカーンだ。お前がキレるのなんて珍しかったし、何より当事者じゃないはずのお前がなんでか一番、真剣に怒ってた」
「………………」
「今でも覚えてるよ。『兄貴は、唐突に変なこと言いすぎ!! そりゃあお母さんたちも困惑するよ!! もっと前もって話さないといけないに決まってんじゃん!!』」
「……」
「……『お母さんたちは、心配なのも不安なのも分かるけど。一回だけ認めてあげたら? だって兄貴の人生でしょ? 成功しても失敗しても、結局、全部背負うのは兄貴じゃん。私、兄貴が絵に真剣なのは知ってるからさ。だから、やらせてあげてよ、私の分の学費も使っていいからさ』ってな」
「……やめてよ……てか、そんなこと言ったっけ?」
「言ってた。後にも先にも、お前が家族のことでブチ切れたのはそれだけだからな。よーく覚えてる。その後、親父がお前に対して、『学費の心配はすんな!』ってキレたこともな……親父が本気でキレたのも、あんときだけか、よく考えたら」
「……」
「まあ、あの日だけで全部変わったわけじゃない。そっからはゆっくりだ、現実的に俺に何が出来て、幾らまでなら金が工面出来て、どこまでなら認められるか。そんなことを親父たちとゆっくりと話してった……まあ、でも、どう考えてもあの日が転換点だった。きりが言った言葉が俺と親父たちの分岐点だったよ。あっこがなかったら、多分、俺は家を出てたし。フリーターになって絵でも描いてたかもな」
「…………多分、それでも兄貴はそれなりにやってたよ」
「……かもな。……でもまあ、進路なんてそんなもんだろ。今、書けないからって何になるよ、じっくり考えて決めりゃあいいさ。大学入ってから迷ってる奴だって山ほどいる、他人の言葉は気にするな」
「……それ言いだしたら、兄貴の言葉もあてにならなくない?」
「っぷっはははは、違いないなあ!」
兄貴と私はそうやって、誰もいない滝つぼで二人して笑ってた。
※
今の私は何もできないーーーってわけでもきっとないけど、人に胸を張ってこれができます! って言えるようなものは何もない。
友だち関係に悩んで、自殺して、引きこもって、復帰して。
ゲームのウデマエは程々で、学校の成績は中の中。運動もそこそこで、創作関連の才能はとんとない。ただ、人と話すのとか、人を観察するのはそこそこ得意。
私という人間ができるのはまあ精々、それくらい。
あと強いてあげるなら、ゆいかの隣にいれるくらいかな。
こんな私に、できることがあるかなあ。
帰りの岩場を歩いて居たら、ふと、一つ思い立った。
それは溺れながら掴んだ藁かな。
それとも地獄で見つけた蜘蛛の糸かな。……て、あれも最後は切れちゃうんだっけ。
まあ、何でもいいや。掴んでみたら答えは出るかな。
ゆいかはちょっとずつ変わってる。
それに置いてかれないようにって、必死に考えてみたけれど。
結局のところ、私は、私のペースでしか進まない。進めない。
それはちょっと、残念だけど。それは大分、夢のない話だけれど。
まあ、いっか。これが、こんなのが私だもんねえ。
とりあえず、折角見つけた蜘蛛の糸だ。引っ張て、登ってみましょう。
どこかで叩き落されるかもしれないし、いきつく先は極楽じゃないかもしれないけれど。
それでも、この場所で何もしないよりはきっといい。
「ねえ、兄貴」
前を行く、私のお兄ちゃんに声をかける。
彼は私の少し前で立ち止まってこっちを振り向いた。
「なんだよ」
「私ね、一個だけ思いついたーーーやりたいこと」
「……へえ、何すんだ?」
兄貴が楽しそうに笑ったから、私もそっと笑顔を返した。
「ーーーーーとか、どうかな?」
私はちょっと胸の奥が震えるのを感じながら、そう言った。
兄貴はちょっと驚いたような顔をしたけれど、ニヤリと笑って私を見なおした。
「ああ、いいんじゃねえか。やるだけやってみろよ、お前の人生なんだから」
兄貴はそう言うと、前を向いて歩き始めた。
私も胸が暖かくなるのを感じながら、前を向いた。
うん、今の私なら、もうちょっとだけ歩いていける、気がしてる。
ゆいかの隣で、きっと、ちゃんと。
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