9月19日 ゆいかのある日の休日

 かくてやってきたのは日曜日。


 私が学校に復帰して2週間ばかりが経過した頃。


 未だに部活にも入っていない私ときりこに当然予定もなく、新しくできた友人たちと遊びに行ったりということもまだない頃で。


 本当に、久しぶりに何の予定もない、そんな晴れた日和。


 折角の日曜日だけど、朝に起こす身体が連日の疲労で少しだけ鈍い。ぐいっと起こそうとした身体がこてっと布団に帰還して、長年の相棒が私の身体を抱き直す。


 疲れてるなあ、そりゃそうだけど。


 でもまあ、いっか。だって今日は日曜日。


 誰に急かされることもなく、誰に望まれることもない、そんな日だ。


 ちょっと疲れていても誰一人だって気にもしない。


 そんなことを感じていると、ふと久しぶりに、独りになりたい気がしてきた。


 だって、よくよく考えれば、1年半まるっと独りきりで過ごしていた私が、今では毎日何人もの騒がしい人たちに囲まれているのだ。ちょっと気疲れをするのも当然のこと。きりこやあいに散々、気は使ってもらっているけれど、それはそれとしてやっぱり少しだけ独りになって肩の力を抜きたいのだ。前は独りになるのが当たり前だったから、すっかり忘れていたけれど。


 引きこもる前の学校では頻繁に感じていたはずの気持ちだったね。


 まあ、あの時とは随分と感じていることは違うけれど。


 なので、独りで部屋の中でぼーっとして。お昼前くらいに気が滅入ったから、ふらりと外に出てみることにした。


 まだ秋の日差しが熱いそんな頃、簡単な外行きの服に着替えて、独り、部屋の外へ。


 久しぶりに、きりこと一緒ですらない、そんな外の世界に私は向かう。


 携帯すら持たないで、水が入ったペットボトルと自転車の鍵だけを手に握って。ドアを開けて誰もいないマンションの階段を下りていく。


 かつん、かつんと、コンクリートの建物が足音を響かせる。どこか遠くで、部屋の掃除をする音がしている。駐車場の近くでは、ここらに住んでいる小さな子どもの声がする。


 そんな音たちを感じながら。二段飛ばしに階段を駆け下りて、駐輪場に向かっていった。音は方々から、それとなく聞こえてくるけれど、不思議と誰とも出会わない。でもそんな不思議が今の私にはちょうどよかった。


 自転車にカギを差して、ストッパーを外して漕ぎ始める。きりこの自転車は依然、隣に止めてあって。どうやら今日はお出かけしてないみたい。


 そういえば、きりこと一緒にいない休日っていつ振りなんだろう。私独りでこうして外に出ることなんて、それこそいったい、いつ以来なんだろう。


 随分と久しぶりなはずなのに、あんまりに抵抗がなく私の足は動いていく。


 がたん、がたんと自転車のペダルを回していく。


 まあ、こんな日があってもいいと想う。


 ずっとだれかと一緒だったわけだしね、偶に誰だって息抜きが必要なんだよ。


 なにせ、最近はずっと新しいことに触れてばかりだったのだから。


 きっとこんな日があってもいいんだよ。


 きっと、誰だって、きっとね。


 がたん、がたんとペダルが鳴る。真夏みたいに照りつけるような日差しが、私の首筋をじっと照らしてる。


 そんな中をただ独り、別にどこに向かうでもなく、あてもなく。


 私はそっと街へと漕ぎ出した。


 いつ帰るかも決めてない。




 ※




 川の横を通り過ぎた時、少しだけ涼しい風の流れが、ごうと私の隣を通り過ぎた。


 遠くで遊ぶ誰かの声を聴きながら、私はひたすらにペダルを漕ぐ。


 照り付ける日差しが引きこもってばかりの色素の薄い身体を照らしてくる。服の内側が少しだけ暑さに汗ばんだ。


 かたん、かたんとペダルが前に進む音だけが、規則的に私の身体を運んでいく。


 坂を登って、図書館の隣を抜けた。


 坂を下って、川沿いに神社の前を通り過ぎる。


 信号を曲がって、ショッピングモールを横目に見ながら、また坂を登る。


 それから大きく迂回して、踏切を越えたら途中の公園で、私は独り息をついた。


 いい加減、ちょっと暑かったし。休憩したかったのだ。


 自転車を止めて、日差しから逃げるように公園のひさしの中へ。


 少し荒れる息と、じわっと蒸れる身体の感覚を感じながら、ベンチでふうと息を吐いて持ってきた水を口に含んだ。


 水道水のすえた匂いを感じながら、あまり冷えていない水を喉の奥に流し込む。


 ごぼりごぼりと、胃の奥に水が溜まる感覚を感じながら、私はふうともう一度、息を吐いた。誰もいない公園に目星をつけたから当たり前だけど、住宅街の中の公園は随分と静かで。まるで、私以外の人類がみんないなくなった世界で独りで旅をしているみたいだった。


 もちろん、そんなことはないのだけれど。


 ゆっくりと長く息を吐いて、少し高台にあるその公園から見える街を見下ろした。


 私達がいつも通う駅が見える。いつだったか、きりこと行ったショッピングモールも見えた。プールも見えるし、色々と走り回った街も見える。それから少し遠くの方に私達が住むマンションも見えた。


 そう言えば、いろんなところに行ったっけ。


 どこに行っても、きりこと一緒にいた記憶しかないけれど。


 いつしかきりこと一緒にいるのが当たり前になっていたからなあ。


 もう随分と昔のことみたいに思えるけど、私は四月のあの日まで、ずっと独りだったんだっけ。


 辛かったし、苦しかった。ずっとずっと、底のない闇に染まった洞窟の中にいたんだった。


 きりこと出会うあの日まで。


 それから、二人でいろんなことをしたけれど。


 でもでも、よく考えたら、私人付き合いって、かなり苦手じゃなかったっけ。


 夏にゲーム大会に誘われた時に、それをなんとなく想いだして。学校に行き始めて改めて、認識したけれど。


 私は正直、たくさんの人と付き合うのが苦手だ。たくさんの声が、たくさんの気持ちが私の周りにあって、それに晒され続けるのが苦手なんだ。きりこは平気そうだけど、本当によくやってるよ。


 あいも、そらも、みおも、れいも、きっと他のみんなも。


 悪い人だったり、私を蔑ろにする人じゃないって言うのは分かってる。わかっていても、こっちとしても気を遣っちゃうし、喋らなきゃ、空気を悪くしないようにしなきゃって考えると、ちょっと、やっぱり疲れる。


 それが毎日、続くとなればなおのこと。


 もともと、割と私はそう言う質だった。それに疲れて、どうしたのって追及されるのが落ち着かなくて、結局中学生ごろの私は人付き合いの波から逃げてしまったわけだけど。


 今度はちゃんと、向き合っていけるのかなあ。


 中学生の頃と違って、きりこやあいがいるから、少しはましだと想いたいけど。


 どうなるかは正直、わかんないわけで。


 お母さんの言葉が薄く遠くで響いている気もしてる。


 また、どうせ逃げる、って。


 はあ、とため息をついてから、硬くてごつごつしたベンチの上で、ごろんと身体を寝ころばせた。そしたら、頭にごりっとコンクリートこすれる感覚が響いてくる。うう、いてえ。でも、寝転がって気持ちはちょっと楽になる。


 というか改めて想うけど、私、この四か月くらいずっときりこと一緒にいたよね。


 引きこもる前だったら多分、考えられなかった。特定の誰かとずっと四六時中、朝も夜も一緒にいるなんて。


 しかも他の誰からでもなく、私の側からずっといようとするなんて。


 よくよく考えれば、大分異常なことしてたなあ。


 私、そもそも友達とうまく付き合いきれなくて、ちゃんとしっかりと仲良くなれたことも少ないって言うのにさ。


 きりこ以外の誰かと付き合うことで、そんなことを今更思いだしたというか、何というか。


 ごろんと身体を転がして、ごてんと心を手放した。


 大丈夫、きっと今は誰にも見られてなどいないから。


 誰も知らない休日の空の下、私は独り寝転がる。


 ぼーっとしながら、光を遮るひさしを見ていた。そしたら、ごうと風が吹いて、私の髪をぐしゃぐしゃにして去っていく。


 でもまあ、それすら今の心地では気にならない。


 まとまっていない思考も、まだら模様の感情もそのままに、私はそっと眼を閉じた。


 そうすればあとはもう、聞こえるのは風の音と鳥の声だけだから。


 私。


 きりこ。


 みんな。


 声。


 声。


 声。


 音。


 微睡んだ頭と、緩んだ眼球はそのままに。


 私はそっと休日に公園で、独りお昼寝だ。


 たまにはこんな時間も、必要だから。


 でも。


 眼を閉じて、落ち着いたら。


 部屋に戻って、きりこのところに顔を出そうっと。


 そう心の奥で呟いた。


















 ※




 そうして、昼過ぎには部屋に戻ってきた。


 そしたら、玄関前で出かける準備をしていたきりこと、ばったり出くわすことになった。


 奇遇だねえと私が軽く手を上げる。


 するときりこは驚いたような、不満げなような、怒ったような、安心したような、なんだかよくわからない形に表情を百変化させてから、ドアをガバっと開けると部屋の中に向けて思いっきり叫んだ。



 「ゆいか、いたー!!!」



 え? と私が思わず呆けている間に。部屋の中から、同じく外出用の格好をしたきりこのお母さんが、やれやれと言った感じで、顔を出す。


 「だから言ったでしょ、多分なにもないって」


 「だってさー、今までこんなことなかったじゃんー」


 「はいはい、じゃ、私、ちょっとお茶行ってくるから。あ、ゆいかちゃん、ご飯用意してるから、よかったら食べていってね」


 「……あ、はい」


 私が事情もよくわからないままに呆けていると、きりこのお母さんは素知らぬ顔で、そのまま軽く手を振りながら私の隣を通り過ぎていった。


 首を傾げて、きりこをみると、彼女はちょっとバツが悪そうに目を逸らしながら口をすぼめていた。


 「……で、ゆいか、ごはん食べる?」


 私は微妙に表情の意図が読めないまま、軽く返事をする。というか、きりこもお出かけの途中じゃなかったんだろうか。


 「う、うん。ちょっと自転車の鍵だけ置いてくるよ」


 「あ……うん」


 きりこはちょっと恥ずかしげな表情のまま頷くと、そのまま部屋に戻ってしまった。微妙に腑に落ちない私はそのまま部屋に戻って、自転車の鍵とペットボトルを置いてから、ふと部屋に置きっぱなしだったスマホを手に取った。


 ちらっと画面を開いて、ふと想う。


 そういえば、最近、ずっとスマホを持ちっぱなしだったよね。というか、部屋の中で引きこもっているから手放しようがないわけで。学校でも別に禁止されていないから、ずっと持っているわけだけど。


 こんなにスマホを手放していたのは随分と久しぶりかもしれない。


 電源をともしたスマホに浮かび上がるのは沢山の通知。


 電話。メッセージ。メッセージ。メッセージ。それに電話。


 最初は何気ない内容で、段々と心配げになっていて、とうとう我慢ならなくなって電話した。そんな感じの履歴たち。


 そう、そういえば。


 ずっと隣にいたのだから。


 きりこからの連絡を返し損ねたことなんて、寝落ちしたときくらいしかなかったよね。


 ふふ、と思わず笑った後、私はそっとベランダを飛び越えて、メッセージの送り主の元へと意気揚々と向かっていった。


 たまには一人になるのだって、悪くない。


 ちょっと落ち着けるし、気持ちの整理もできるし、気付けなかったことに気付けるから。


 あと、ついでに、君がちょっとだけ心配してくれたみたいだから。


 まあ、次は、ちゃんと出かけるよって伝えてからの方がいいだろうけれど。


 ベランダの向こうで私がにまって笑いを向けると、きりこはちょっと恥ずかしそうに赤くなって、そっと目を逸らしてた。

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