ブレンド・TS
ある日の放課後。図書委員の仕事がない今日、私は喫茶店でアルバイトをしていた。
「ブレンドコーヒー、ホットで」
「かしこまりました」
手元の伝票にオーダーを記入して、目を瞑り会釈してから店主のところに向かう。その最中で、また別のお客に声をかけられる。
「お姉さん、お水ちょうだい」
「少々お待ちください」
店主に先程のオーダーを渡してから、氷水の入った容器を持って先程のテーブルに戻ってお客のコップに注ぐ。すると、ベルの音と共に新しいお客が来店したので、そちらを向いていらっしゃいませと言う。
図書委員の仕事がない日の、学校が終わって帰宅してからの17時から22時まで、それが平日の私のシフトであった。
小さな喫茶店ではあるが、お客の人数は比較的多くて、狭い店内を歩き回らなければいけない。なるほど、これは定年を迎えた高齢には辛い仕事だろう。私を雇った理由もわかる。
テーブルの隙間を忙しなく行き来する私に対して、店主はカウンターの中でコーヒー豆を挽いたり、お湯を注いだりという仕事に集中している。コーヒーを淹れるその表情はとても楽しげで、頬に刻まれているシワがいつもより深い。
店内を流れる穏やかな曲調のクラシックのリズムにあわせて、靴を鳴らして店内を歩く。意図的に足を動かしているのではなく、気がついたら自然とそうなる、という感じだ。
そんな仕事が5時間ほど続いて、もう22時。未成年が働けるのはここまで、あとは店主が一人で、店内はバーに変わる。
「美咲ちゃん、今日もお疲れ」
「お疲れさまです、じゃあまた、土日に」
「うん」
店内の照明が、すこしだけ絞られる。先程よりも暗くなった店内の、カウンターの向こうにある棚だけが相対的に明るく照らされ、そこに並べられた酒瓶が輝く。あと数年立てばまたあれが飲めるのだと思うと少しだけわくわくする。
そんなアルバイトを続けていたある日のこと。
知り合いがこの店に来店した。
「あ」
「……いらっしゃいませ」
航平、ではなく彼と同じ剣道部の山本陸斗であった。私と同じで、前世と今の性別が逆になっている少年。中三のときに私は彼に告白をされている、まあ、あれを告白と言ってよいのかはわからないが。
山本くんとは同じ高校に進んだが、クラスは別々なので最近はあまり会っていなかった。久しぶりに顔をみた山本くんを席に案内して、お水を提供する。不幸なことに、今は山本くん以外のお客がいなかったので、彼の相手をせざるを得ない。別に山本くんが嫌いなわけではないのだが。
「桜田さん、ここでバイトしてたんだね」
「知ってて来たんじゃないの?」
「いや、たまたま。気分転換に入ろうと思っただけ」
「そう、ご注文は?」
「じゃあ、ブレンドコーヒーで」
「ホット? アイス?」
「ホットで」
彼以外にお客はいないので、カウンターにいる店主までオーダーを口頭で伝えても良いのだが、居酒屋みたいなそれはこの店に相応しくないと思いカウンターまで歩く。
「お友達か?」
「はい、同じ高校の」
「そうか、休憩がてら彼と話してきてもいいぞ」
店主の提案を断るのもなんだか悪い気もするし、お客がいない今、やることもないので出来上がったコーヒーを持って山本くんの席に向かう。
「はい、ブレンドコーヒー」
「ありがとう」
「座っても?」
「仕事は?」
「休憩中」
「じゃあどうぞ」
山本くんと話すのは久しぶりである。対面の座席に座って何を話すべきか迷っていると、山本くんが口を開いた。
「航平とは最近どう?」
「順調、そっちは?」
「同じく、かな」
高校に入学する前の春に私が航平に告白したように、山本くんも同じくある女の子に告白して、現在その人物と恋仲になっている。
「陽菜ちゃんはやっぱりいい子だよ、付き合って良かった」
山本くんは陽菜と付き合っているのだ。突然、陽菜からLINEで山本くんと付き合うことになったと報告を聞いたときは驚いた。陽菜はかなりモテていたし、今まで色んな男子に告白されていたのを知っている。だが、どの男の子にもピンとこないと言い、中学生のころはついぞ誰とも付き合うことがなかったのだ。
そんな陽菜が、受験が終わってすぐに告白してきた山本くんと付き合うことになった。私にとっては予想外もいいところだった。山本くんが何を考えて陽菜に告白したのかもわからなかったし、陽菜が山本くんのどこにピンと来たのかもわからなかった。
「陽菜に酷いことしたら、本気で許さないから」
「しないしない、ていうか君は父親か」
笑いながら否定する山本くんは、昔よりもやや軽薄な印象で、そのため私の不安は拭えなかった。山本くんがコーヒーにミルクと砂糖を入れて、スプーンでゆっくりとかき混ぜる。コーヒーが平淡な色に変わったところでスプーンを抜き取り、その先端に残った滴をカップの内側に当てて落とす。
「そういう桜田さんこそ、どういうつもりなのさ」
「何が?」
「言ってただろ? 航平に告白されたとしても付き合わないって」
ああ、そんなことを言っていたかと思い出して、その頃とは色々と考えが変わったのだと言ってもよかったのだが、山本くんにそこまで説明するのも面倒くさかった。
「私から告白しないとは言ってなかったでしょ?」
「……屁理屈もいいところだね」
ため息をついて俯いた山本くんは、そのままコーヒーのカップに口をつけた。
「美味しいね」
「そう、良かった」
「ウェイトレスも可愛らしいし、いいねその制服」
「どうも」
ここでアルバイトをすると決めた時、気を利かしてくれた店主がなんと私のためにウェイトレスの制服をオーダーメイドで用意してくれたのだ。
白いシャツに、黒色で無地のスカート。白と黒だけのシンプルな衣装だが、この店の雰囲気に合っていて、とても良い。着心地も悪くなく、私はかなり気に入っている。
山本くんと話していると、店の外から足音が聞こえた。この感じは来店する人間だと思い、席を立つ。
「じゃ、私は仕事に戻るから」
「頑張ってね」
ベルが鳴り扉が開く。お客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
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