高校一年生

喫茶店


 地元にある通いなれた喫茶店の中に入ると、扉の上部に取り付けられたベルが鳴った。

 その音に振り向いた店主が声をかけてくる。


「いらっしゃい、て美咲ちゃんか」

「お久しぶりです、キリマンジャロを一つください」


 カウンターに座って注文する。私の注文を聞くと、店主は綺麗に整えられた白髪の頭を垂れて、こう言った。


「相変わらず、俺のブレンドコーヒーは飲んでくれないのな」

「好きなんですよ、キリマンジャロ」

「前来たときはブルーマウンテンって言ってなかったか?」

「そうでしたっけ?」


 一応惚けてみる。年老いた店主はその見た目に似合わず記憶力が良いので、惚けたところで無駄なのだが。


「あと、持ち帰り用でキリマンジャロを200グラムお願いします」

「はいはい、というか個人の喫茶店に来てストレートの豆しか頼まないとか、ほとんど喧嘩売りに来てるようなもんだろ」


 呆れた様子の店主だったが、これもいつものやり取りだ。狭くて静かな店の雰囲気や店主の人柄が好きなので、中学生の頃からよく通っていた喫茶店である。家で飲むコーヒーの豆はだいたいここで購入していた。


 私は一種類の豆だけを使ったストレートのコーヒーが好きなので、店主のブレンドコーヒーを飲んだことが一度もない。なので店主にはよく、個人経営の喫茶店に来る意味がないと愚痴を言われる。そう愚痴を言われてしまうと、こちらにもポリシーのようなものが出来上がってしまうので、さらにブレンドコーヒーを注文するのが難しくなる。


「高校に上がったんだっけか?」

「はい、先月から高校生になりました」

「ほう、あの美咲ちゃんも高校生か、学校はどんな感じだ?」

「順調ですよ、航平も陽菜も同じ高校に入れたので良かったです」

「そりゃあいい。その時期の友達は一生の宝だからな」

「ええ、ほんとうに」


 店主がミルでコーヒー豆を挽いていく。手回し式のミルのハンドルを回すと、コーヒー豆が潰れる音が聞こえ、それと同時にコーヒーの香りが一気に広がった。

 注文してから豆を挽くので、当然出来上がるまでに時間がかかる。それを面倒に思う人間もいるだろうが、私は好きなので苦痛には思わない。むしろ心地よさすら感じる。


「部活は何にするか決めたのか?」

「陽菜がまた文芸部に入りたいって言ってたんですけど、文芸部が無かったんですよ」

「ほお、そりゃあ残念。それで?」

「調べたら、うちの高校は委員会と部活が同じように扱われてるんです。なので、陽菜と二人で図書委員会に入りました」

「よかったじゃねえか」

「ええ、今日の受付当番は陽菜なので、たぶんカウンターに座りながら小説書いてると思いますよ」


 陽菜が書く小説を私もたまに読ませてもらっているが、これが中々面白い。基本的に短編ばかりで、書きたいシーンだけを書くというものだが、それだけに陽菜のエネルギーがしっかりと原稿用紙にぶつけられていてその物語からは力を感じる。私は陽菜の書く小説がわりと好きだった。


「幼馴染の男はどうなんだ?」

「航平も剣道部で頑張ってますよ。今は二段になってます」


 豆を挽き終えた店主は、白いカップにドリッパーをはめて、その上にペーパーフィルターを置いた。小さなスプーンで粉になったばかりのキリマンジャロをフィルターのなかに入れていく。ちょうど良い量になったところで、ドリッパーを左右に小さく振って、粉末の表面を平らにする。


 平らな粉末にゆっくりとお湯が注がれていく。お湯のぶつかったときその場所がへこみ、すこし遅れてフィルターの下からコーヒーとなって出てきた。湯気にのってコーヒーの香ばしい匂いが私のところまで届く。

 粉末全体にお湯が通るように、ポットを回しながら均等にお湯が注がれる。カップがコーヒーで満たされた。


「はい、キリマンジャロ」

「ありがとうございます」


 カウンター越しに店主からカップの乗せられた小皿を受けとる。ミルクも砂糖もついていない。私が何も入れたりしないことはすでに覚えられている。


 猫舌で、出来立てのコーヒーをすぐに飲むことができないのでしばらく放置する。

 香りだけを楽しんでいると、店主が話しかけてきた。


「なあなあ美咲ちゃん」

「なんですか」

「最近、この店の客が増え始めたんだよ」

「よかったじゃないですか」


 この喫茶店が出来たのは私が中学生の頃だったか、確かにその頃に比べれば人が入っているのをよく見るようになった。


「でな、年寄り一人だと中々しんどくてな」

「おまけに、夜はバーもやってますもんね」


 このお店は夕方から夜までは喫茶店、夜から深夜にかけてはお酒を提供するバーとして経営されている。私はまだ子供なのでバーの時のこの店に来たことはないが、おそらくそちらのほうも客足は増えているのだろう。


「でな、バーの方はともかく、夕方からの喫茶店は人手を増やそうと思うんだ」


 そう説明してから、店主は私にこう提案してきた。


「美咲ちゃん、ここでバイトする気はないか?」

「……バイトですか」

「客の多い週末とか、祝日の日に人手が欲しいんだよ」


 ふむ、そういえば私もすでに高校生だ。アルバイトの一つくらい、始めてみてもいいかもしれない。確かうちの高校はよほど成績が悪くない限りはアルバイトが許可されていたはずだ。図書委員の仕事もさほど忙しいというわけでもなく、時間にも余裕がある。


 喫茶店でバイトか、いいかもしれない。そう思って私は店主に返事をした。


「わかりました、アルバイトやってみたいです」

「ありがとう、助かるわ」


 程よく冷めたコーヒーは今日もおいしかった。

 そこでふと、店主にあの事を話していなかったのを思い出した。まあ、別に話すほどのことでもないし、報告する義務があるわけでもないのだが、なんとなく、コーヒーを飲んだあとの寂しい口許からその言葉が漏れた。


「そういえば、言ってなかったんですけど」

「なんだ?」

「私、航平と付き合い始めたんですよ」

「ほう、おめでとさん」


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