クレープと木刀

 

 修学旅行が終わって翌日の火曜日。本来なら学校があるはずだが、代休のため三年生だけは休暇となっている。特に用事もないので、溜まった洗濯物を全て片付けてからゴロゴロすることにした。


 京都で買った木刀を抱き枕みたいにして、カーペットの上に転がる。木刀は硬いので抱き枕には適していないが、太ももに挟んだ木の冷たい感触が心地よいのでなんとなくこの格好になっているのだ。柄に彫られた金閣寺という文字の窪みをぼうっと見つめながら横たわっていると、もう一つのお土産があることを思い出した。


「クレープ生八ツ橋食べてなかった」


 ナマモノなので賞味期限が過ぎてしまわないうちに食べきらなければいけない。カーペットから体を起こして冷蔵庫に入れていた箱を取り出す。包装紙を破いて、真っ白な箱を開けると透明な袋に詰められた生八ツ橋が現れた。


 薄い黄色の生地からは中のクリームが透けて見える。一箱でチョコ、イチゴ、バナナの三種類の味が楽しめるのだ。コーヒーを淹れてから、フォークで生八ツ橋を小皿に取り出す。一人で全部食べるのは無理そうなので、余った分はクリップで留めて冷蔵庫に再び放り込んだ。開封してから二日以内には食べきらないといけない。


「いただきます」


 生八ツ橋にフォークを突き刺して持ち上げる。クリームのつまった部分を舌に乗せて、端っこの生地もまとめて頬張る。噛んで生地を破ると中からはチョコ味のクリームが飛び出してきて、八ツ橋特有の生地と混ざりあい非常に美味しい。クリームのどろりとした食感と、生地の粉っぽい食感がよく合う。


 うん、これを買って正解だった。もう一箱同じものを買っているので、これは単身赴任している父親の住所に送っておこう。


 コーヒーの苦味で舌をリセットして、今度はバナナ味のクレープ生八ツ橋にフォークを伸ばした。うむ、バナナ味も美味しい。イチゴはどうだろうかと思って食べると、これもまた美味しかった。

 皿にうつした分は食べきったので、残ったコーヒーを一気に啜る。


「ああ、美味しかった。ごちそうさま」




 おやつを食べた後も、小説を読んだり勉強したりしてゆっくりと過ごした。お昼の一時を回ったあたりで、なんとなく眠気が襲ってきたので、カーペットの上で昼寝を決め込むことにした。


 先ほどまで抱いていた木刀を再び抱えて、カーペットに横たわる。朝にコーヒーを飲んだはずなのにここまで瞼が重いのはきっと、修学旅行の疲れからだろう。頭をクッションに沈み込ませて、私は瞼を閉じた。







 違和感のある物音で意識が浮上する。


(なんの音……?)


 目が覚めたものの、一先ず瞼を閉じたまま周りの音を聞くことに集中する。ごそごそと、我が家の箪笥のほうから何かを漁っているような音だ。

 ひょっとすると父親が帰って来たのかと思ったが、それにしては何か変な感じがする。この違和感はおそらく、匂いだろう。赤の他人がこの家にいる時の匂いがするのだ。


 うっすらと目を開けて箪笥のほうを見る。

 知らない人間の背中が見えた。そのあと一瞬、ちらりと横顔も見たが、見覚えはなかった。その男の手には私の銀行通帳と印鑑が握られていた。それだけではまだ満足しないのか、男は別の引き出しを開けては、中を漁ってを繰り返す。


 どう考えても泥棒だった。

 寝たふりを続けたまま、どうするべきかを考える。最善策は起き上がってすぐに玄関まで走り、マンションの廊下に出て大声で助けを求めることだろう。それが一番安全で、確実な方法だ。泥棒に逃げられる可能性はあるが、外からドアを押しておけばヤツを閉じ込めることは可能だろう。


 けれども、私の通帳を奪おうとするあの泥棒に腹が立つのも事実だ。あの通帳には私が稼いだお金は入っていないが、父親が定期的に送ってくれる生活費が貯めてあるのだ。今も孤独に暮らしている父からの仕送りをあんな泥棒に盗まれるわけにはいかない。

 そんな怒りの感情が徐々に込み上げてきたとき、寝ている私がなにを抱き抱えていたかを思い出した。


(うん、この木刀でぶん殴って気絶させて、警察につきだそう)


 そう決意して、ゆっくりと、音を立てないように静かに起き上がる。木刀を床から離して、以前航平に教えられてように、柄をしっかりと握りしめ、先端を泥棒に向ける。

 泥棒はまだ箪笥の中を漁っていて、こちらに背を向けている。ゆっくりとその背中に近づいていき、木刀の届く距離まで詰める。


(よし、頭だ。頭を狙おう)


 大上段に構えた木刀を、私は泥棒の後頭部に向かって勢いよく振り下ろした。木刀は大きな音をたてて、泥棒の頭に炸裂した。

 当たった瞬間、ヤツの首はガクンと下がり、そのまま箪笥におでこをぶつけた。ざまあみろと思いながら目の前の男が気絶するのを期待する。

 しかし、泥棒は意識を保っていた。多少ふらついているものの、しっかりと二本の足で立ったままであったのだ。威力が足りなかったかと思い、もう一度木刀で泥棒の頭を殴り付ける。ボカリと、硬いもの同士がぶつかり合う鈍く低い音が部屋に響いた。しかしそれでも、目の前の男が気絶することはなかった。頭を抱えながらゆっくりとこちらを振り返った男の目は血走っていて、こちらに対する敵意がありありと見えた。


「てめぇこの野郎!!」


 こちらを威嚇してくるその目つきに一瞬だけ怯えながらも、再び木刀で殴りかからんとして構えたが、男は私に向かってタックルを仕掛けてきた。


「きゃっ!!!」


 木刀を振りかぶった大勢で、モロに男のタックルを食らってしまい、私はあっけなく吹き飛ばされた。体が宙に浮いたのではないかと思うほど吹き飛び、そのまま壁に激突する。背中を打ったせいで肺から空気が飛び出してきて、一時的に呼吸困難に陥る。それでも私は木刀を離さなかった。


「起きてたのかよクソが!!」


 頭を痛そうにさする男がこちらに近づいてくる。応戦しようと思い、両足に力を込めたが立ち上がることはできなかった。タックルの衝撃が思いのほか体に残っていて、まだ動けない。自分の体のひ弱さに嫌気がさした。


「こんなもんで殴りやがって、ぶっ殺すぞ!!」


 起き上がれない私の両手から木刀を取り上げた男は、それを遠くに放り投げた。武器がなくなってしまった。なにか次の策を考えねばと思ったが、どうすることもできない。


「おらっ!! おらっ!!」

「ぐっ!! ああああっ!!」


 床にへばり付いたままの私を、男は踏みつけるようになんども蹴ってきた。苦痛に耐えながらも急所を守るためには亀のように縮こまるしかなかった。男になんども踏みつけられる中で、私は気づいてしまったことがある。この体には、急所が多すぎるのだ。

 頭は当然急所なので守らなければいけない、胸を踏まれたら痛いし、下腹部を蹴られると恐怖する。脇腹に男の靴先がめり込んだ時は恐ろしかった。息ができないし、内臓は痛いし、男は未だにこちらを蹴り続けている。


「いっ!! いだい、やめてください!!!」

「先にやってきたのはそっちだろうがよ!!」


 人の家に無断で侵入したのはそちらなのに、と思ったが反論できるわけがない。最後に、ひときわ大きく足を振り上げてから、私を蹴り上げると男は満足したのか、攻撃をやめてくれた。

 頭を抱える腕の隙間から男の様子を見上げると、男はカバンからガムテープを取り出してきた。それを少しだけ切り取ってから、テープを持つのとは逆の手で私の髪の毛を掴み上げてきた。頭皮が引っ張られて痛む。己の惨めさに泣きそうになりながら、男の目を見る。目をギラつかせて不気味な笑みで私を睨む男は、手に持ったテープを私の口に貼り付けてきた。唇のまわりの感触が気持ち悪い。


 そのまま男は私に馬乗りになると、両手と両足もガムテープで拘束してきた。足首に巻かれたガムテープは私に歩くことを許さず、後手に縛られた両手では這うことすらできない。八方塞がりだった。どうしようもないほど、私は追い詰められている。


「しばらく大人しくしてろよ、クソガキ」


 そう言って下卑た目でこちらを見下ろしてから、再び箪笥を漁り始めた男を、私は見ていることしかできなかった。自分の情けなさが悔しくて仕方がなかった。これほどの恥を味わうくらいなら、いっその事死んでしまいたいとすら思ってしまう。


 肩や背中など、男に踏みつけられた部分がジンジンと痛む。少しでも痛みを感じないようにするために、私の体はピクリとも動こうとしない。動く気力もなかった。


(このまま放置されたら、餓死するかも)


 もしこの泥棒が、私をこのままにして出ていってしまうと、私は数日間はこの状態のままだろう。独り暮らしの恐ろしいところだ。


(いや、航平が気づいてくれるだろうし、大丈夫か)


 隣に住む私が行方不明であれば、航平はこの家を間違いなく訪ねてくるだろう。それがいつになるかはわからないが、それまで私は寝転がっているだけでいい。


 そんな風に考えていると、箪笥の引出しを全て調べ終わった男がこちらに近づいてくる。口角を上げて不気味に笑う男がとても気持ち悪い。


「よお、さっきはよくもぶん殴ってくれたなぁ、おい」

「…………」

「お前が独り暮らしってことはわかってんだ、だからよ、顔を見られた以上殺すのが最善ってわけだ」


 どうやら私はもう駄目らしい。航平が私に気づいた頃には、きっとそれは死体に変わっているのだろう。今世の人生もここまでか、惨めな死に方だなと心のなかで自虐的に笑う。


「どうせ殺すんなら、最後に楽しんでも構わねえだろ」


 そういうと男は、自分のベルトに手をかけてそれを外し始めた。カチャカチャと、ベルトの金属がぶつかり合う音が部屋に響く。その音を聞いて恐怖よりも懐かしさを感じてしまうあたり、私の精神はもう終わりかけているのだろう。


 ベルトを抜いた男が私のスカートに手をかけてくる。腕も足もガムテープて縛られていて、口も塞がれているので全く抵抗できない。


 そんな絶望で満たされたこの部屋に、インターホンの音が鳴り響いた。スカートから手を離した男が廊下の入り口を見る。

 インターホンが鳴ってからしばらく、部屋のドアが開く音がした。


「あれ、開いてる。美咲ー、なんかあったのかー?」


 その間延びした声は紛れもなく航平のものだった。さっき私が壁にぶつかったとき、その向こうの部屋にいる航平にも聞こえたのだろう。私に何かあったのかと心配して来てくれたのか。


 玄関から続く廊下の入り口のそばに、隠れて佇む泥棒がニヤリと笑った。すぐそばにある木刀を拾ったのだ。

 航平も殺すつもりらしい。


「んんんんんんぅっ!!!!」


 ガムテープで塞がれた口から必死に声を上げる。リビングに来てはいけない、廊下を出てすぐのところで泥棒は不意討ちを仕掛けるつもりだ。

 私が自分の愚かさで死ぬのは構わない。けれども、未来のある少年を巻き込むのは絶対に避けるべきだ。そう思って必死にくぐもった叫び声を上げて航平を止めようとするが、足音はどんどんこちらに近づいてくる。



 航平の姿が見えた。それと同時に、その真横で待ち伏せていた泥棒が木刀を振り下ろした。

 迷いなく振られたその木刀は航平の頭を狙っている。航平が殴られる姿を見たくなくて、反射的に目をつむる。


「おわっ!! 誰だお前!!」

「ちっ、糞が」


 木刀が人体に当たる音がしなかった。代わりに聞こえてきたのは航平と泥棒の声だった。

 目を開けると、そこには向かい合う航平と泥棒がいた。泥棒から木刀を向けられた航平は、どこか落ち着いているようにすら見えた。


 航平がこちらをチラリと振り返った。縛られて寝転ぶ私を見ると、全てを察したみたいな顔をして、泥棒と再び向き合った。


 航平も泥棒もお互いに動かない。静寂が場を支配する。

 先に動いたのは泥棒のほうだった。ヤツは手に持った木刀を上段に振り上げて航平に向かって飛びかかったのだ。対する航平は無手、当然それを避けるのだと思っていた。


 ところが航平は飛びかかってくる泥棒に向かって、自分から近づいたのだ。素早く泥棒の懐に入り込み、振り下ろされる前の木刀を掴むと、それを捻り上げて泥棒の手から抜き取った。


 あまりにも綺麗な、その一連の動作に感動した。木刀を構えた航平と無手の泥棒、完全に形勢が逆転した。


「クソガキが、ふざけやがって!!」

「ふざけてんのはお前の方だろ、不審者」


 そう言い切ると、航平は小さな動作で木刀を振って泥棒の腕を叩いた。動きの少なさに対して、木刀が腕に当たった時の音は鈍く、鋭かった。


「あああああああっ!!! いっでぇ!!」


 骨が折れたのだろう、左腕を抱える泥棒がそう叫ぶ。そんな泥棒の剣幕など蚊ほどにも気にせず、航平は泥棒の肩を木刀で殴った。

 素早く踏み込んで小さな動作で敵を叩く。剣道をやっている人間の、技術の詰まった綺麗な動きだった。


「ぎゃあああああああ!!!」

「待ってろ美咲、もうちょいで終わるから」


 一瞬だけ振り返った航平が、私に向かって微笑みながらそんなことを言ってきた。


 ああ、安心した。

 自分の身が助かってよかった。

 航平が怪我をしなくてよかった。


 そう安堵してから、緊張が途切れたせいだろう、私は意識を落とした。




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