鱧と金閣寺
私たちを乗せた新幹線が京都駅に到着したのは14時過ぎのことだった。駅の広場に集められて点呼を取ってから、またバスに乗り込む。青い顔をする航平を励ますが、曲がり角の多い京都の町をバスは進んだのでホテルにつく頃には航平は半分くらい死んでいた。吐かなかっただけ今回は頑張ったと思う。
「男子は二階、女子は三階の部屋だ。自分の部屋に荷物を置いたら宴会場に集合!」
バスを降りてから先生が生徒にそう号令をかける。部屋割りは修学旅行のしおりに書かれているので、すでに知っている。
バスの運転手が取り出してくれる自分のキャリーバックを持って、ホテルの階段を上がっていく。大人数なのでエレベーターが禁止されているのが辛い。
「なんで女子が三階やねんー、しんどいー」
「防犯のためだよ」
愚痴る陽菜と一緒に階段を上がって、三階にたどり着いた。廊下にキャリーバックを置いてガラガラと引いていく。
「ここだね」
「よっしゃ着いた!」
306と書かれた部屋のドアを開けると、玄関と靴箱があった。そこで靴を脱いで上がると、靴下越しに木製の床の冷たい感触が伝わってきて落ち着かない。先にある襖をあけるとそこは10畳のたたみ部屋で、部屋の真ん中には背の低い机が置かれてあった。テレビも無ければ茶菓子もない。修学旅行によくある宿だった。
この部屋を使うのは私と陽菜と、もう一つの班の女子二人だ。四人ぶんの布団をしけば後は荷物を置くスペースしか残らない。
「桜田さんと佐久間さん、よろしくね」
「よろしく、田中さん」
「よろしくなー」
もう一つの班の女子がやってきたので、部屋がさらに手狭に感じる。取り敢えず、各自荷物置き場を確定することになった。キャリーバックを部屋の隅に置いて、私も陽菜も、田中さんたちも宴会場に向かった。
宴会場での話は、修学旅行だからといって羽目を外さないようにというありきたりなもので、そのあとは自由時間となった。
自由と言っても、この間に各クラスで順番に大浴場で入浴を済ます必要がある。
「ウチらのクラスは一番最初やな」
「一番風呂だよ、よかったね」
部屋に戻った私と陽菜は、カバンからバスタオルや着替えなどの用意を取り出して大浴場に向かった。女湯と書かれたのれんをくぐると、更衣室は旅館のお風呂に特有の、竹を蒸し上げたような香りで満ちていた。木製のロッカーの中にあるカゴに着替えを置いてから、服を脱ぐ。隣で服を脱いでいる陽菜をチラ見すると、すこし驚いた。
「陽菜、また大きくなったね」
「最近成長期がやばい」
「ほんとすごい」
「美咲は相変わらずやな」
私に成長期がなかなか訪れないのは、前世の呪いかもしれない。
お風呂をすませて、今は夕食の時間。宴会場の畳の上にはいくつもの膳が並べられていて、先生の指示に従って班ごとに座っていく。
航平と山本くんは、すでに膳の前で胡座をかいていて、その向かい側に私と陽菜も座る。先生の合図で一斉にご飯を食べ始めた。
「あ、
てっきり味噌汁か何かだと思っていたが、蓋を開けてみたら、透明な出汁の中に白いふわふわした魚の切り身が沈んでいた。京都の名物である
「これ鱧っていうん?」
「そうだよ、京都の名物料理。わりと高級」
「なあ美咲、なんでこんな綿みたいな見た目なんだ?」
お吸い物のお椀を眺める航平が聞いてきた。
「鱧は小骨が多いから、小さく包丁をいれて小骨を切り刻まないと食べられないんだよ」
「へえ、だからもけもけしてんのか」
私の解説を聞いて納得したのか、航平は箸で鱧の身をつまむと、一口でそれを食べてしまった。もっと味わおうよ。
無表情で顎を動かして、鱧を飲み込んだ航平がこう言った。
「なんか味薄いな」
「そういう魚だから」
「これほんまに高級なんか?」
航平も陽菜も初めて食べる鱧にあまり満足していない様子だった。
「子供にはわからない味だよ。ね、桜田さん」
そう言ってきたのは航平の隣に座る山本くんだ。意味深な目付きでこちらを見ながら言ってきたので、不用意にそういう発言をするなと言いたかった。陽菜あたりが何かを察してしまうかもしれないだろうに。と思って横を見たら陽菜はまだ鱧を咀嚼しているところだった。
「いつ飲み込んだらいいん、これ」
「鱧は噛みきるのが難しいからね」
確か鱧という魚が京都でよく食べられるようになったのは、その生命力の強さが理由であったか。冷凍技術が発達していなかった昔、瀬戸内海で獲れた魚を京都に持ってくることはできなかった。運んでいる最中に死んで腐ってしまうのだ。ところが鱧は違う。
「鱧は生命力が強いから、海のない京都にも生きたまま運べたんだよ。だから伝統料理になったの」
と、鱧の価値をわからない陽菜と航平に解説をしていく。さて、私も鱧を食べよう。個人的には梅肉のソースで食べるのが好きだが、お吸い物も十分に美味しいだろう。お椀に唇をつけて、ゆっくりと出汁を舌のうえに流していく。
「じゃあさ、冷凍技術がある今やと鱧の良いところってなくない?」
陽菜がそんなことを言ってきた。
「いや伝統料理ってそういうものだから、それに鱧美味しいでしょ」
陽菜に軽く反論してから鱧を口の中に放り込んだ。骨切りが甘かったのか、噛む度に口の中がチクチクとした。修学旅行の中学生にそこまでちゃんとしたものが振る舞われるわけもなかったかと、少しだけがっかりした。
修学旅行二日目、ホテルをバスで出発した私たちは鹿苑寺に向かった。バスの中で入場チケットを受け取った私たちは、ぞろぞろと鹿苑寺に入っていった。
鹿苑寺はその内部に大きな池と庭園を抱えており、これらは極楽浄土を表しているらしい。このお寺の中心にある金色の舎利殿があまりにも有名なため、鹿苑寺は一般には金閣寺として名を知られている。
「おお! ほんまに金ぴかやな!」
鹿苑寺の総門をくぐってしばらく歩くと池が見える。その池の奥に金色に輝く美しい舎利殿がある。今日は天気がよく、日光を反射する金閣寺はその手前にある池と合わせてとても美しい。
「天気がよくてよかった」
金閣寺を眺めながら、私たち四人の班は池に沿って歩いていった。この道は最終的に金閣寺の横を通ることになるので、私たちの視界の金色はどんどん巨大になっていく。
「近くで見たら凄いな」
「以外と小さい気持ちもするけどね」
男子二人が話しているのを聞いて、金閣寺を小さいと称した山本くんの考えに同意できる自分に気がついた。独り言のようにこう呟く。
「近くで見るよりも、池の向こうにある金閣寺のほうが綺麗だと思う」
「大きさが誤魔化せるから?」
「そうかもね」
私の独り言に反応した山本くんも、なんとなくだが私と同じような考えをしているのだと思った。きっと、気が合うのだろう。
鹿苑寺を出たあとも私たちの京都観光は続いた。博物館に行ってレポート課題をやらされたり、自由時間には背の低い木造の建物と石畳で形作られた美しい都市を歩き回り楽しんだ。
土産物を売る店が並ぶ通りを歩いていると、お茶をのった盆を持った店員が私たち声をかけてきた。
「お茶はいかがですか?」
「ありがとうございます」
京言葉らしいイントネーションで話す店員から陽菜がお茶を受け取った。それにつづいて私と航平、山本くんもお茶を受けとる。
「よかったら中も見ていってくださいね」
「はーい」
ノコノコとお店に入る陽菜に私も着いていく。お茶をくれた店員は店の入り口にいるが、コップを返却する場所は店の奥にあるので、どのみち中に入らないといけない。
京都における、観光客に対するこういう商売の上手さはやはり凄い。陽菜なんてすでに生八ツ橋の箱を手に取っている。
「あ、俺も母親に言われてた生八ツ橋買わないと」
「僕もなにか買おうかな」
楽しそうに土産物を物色する陽菜に感化されたのか、航平も山本くんもここでお土産を買うことにしたらしい。せっかくなので私も何か買おうか。
「美咲美咲、これ見てや」
「なに?」
「クレープ生八ツ橋やって」
陽菜が私に見せてきたのは普通の生八ツ橋ではなく、カラフルなパッケージに詰められた生八ツ橋だった。クレープ生八ツ橋というらしい。普通の生八ツ橋は中に餡子が入っているが、これはチョコやイチゴ味のクリームが入っているようだ。和スイーツというやつか。
「へえ、こんなのあるんだ」
「これも買っとこ」
「じゃあ私も」
美味しそうだったので私も買うことにした。他にも何かないかと歩いていると変ものを見つけた。
傘立てみたいな箱からそれを一本抜き取る。一メートルに満たないくらいの長さの木刀だった。柄の部分にはお洒落な書体で金閣寺と書かれている。金閣寺となんの関係があるんだよと思ったが、なんとなく木刀を構えて近くにいた航平に声をかけた。
「ねえねえ航平、私かっこいい?」
「持ち方に力が入ってない」
お世辞を期待していたら、割と真面目な顔の航平にそう言われた。そういえば航平は剣道部だったもんね。
「もっとこう、雑巾を絞るみたいに内側に向けて握るんだよ」
「へえ、こんな感じ?」
「そうそう」
言われた通り縦に雑巾を絞る感じやってみると、確かに先ほどよりも木刀の柄が手に馴染む。
「……これ買おうかな」
「まじかよ」
「うん決めた、私これ買うよ」
本気でこの木刀を買うとは思っていなかったらしい航平が呆れた顔をしていた。欲しくなったのだから仕方がないのだ。クレープ生八ツ橋と金閣寺木刀を買って店を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます