第5話 ことばは光


 初めにことばがあった。

 ことばは神とともにあった。

 ことばは神であった。

 この方は、初めに神とともにおられた。

 すべてのものは、この方によって造られた。

 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。

 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

 ヨハネの福音書 一章一―五節

 

「イエス様は百パーセント人間で、百パーセント神様なんだよ」

 幼い頃私が聞いた言葉だ。

 聖書には世界のはじめに全てを創造し、全てを支配する唯一の神について記されている。この神は人格を持った神であり、人格的に人間と関わり、契約を結ぶ。しかし神の定めに違反し、善悪の知識の実を食べた人間は神と断絶された。この契約違反の贖いのために、神の子イエス・キリストは世に送られる。しかしイエスは神の御子でありながら、今から二千年前、イスラエルのナザレの町で、マリアとヨセフの子、人間として生まれた。キリストは罪を持たないということ以外、人間と変わらぬ存在として生きた。

キリストは生前「人が友のために命を棄てること、これ以上に大きな愛はない」と弟子たちに語る。これは自身が人の罪の贖いのために生まれたことを示す言葉である。

 キリストはヨハネの福音書において「ロゴス」、即ち「ことば」と表現される。ヨハネの福音書一章には、ことばであるキリストの内にいのちがあったこと、つまり彼により救いが訪れることが記されている。

 原罪の訪れとともに、人には死が約束されるようになった。創世記三章に記されている事柄である。滅びが約束された人間に与えられた救済者、それがキリストである。


 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ヨハネの福音書 三章一六節


御子イエス・キリストを信じる者は、肉体の死を迎えても、滅びることのない永遠のいのちを得る。聖書には死に対する勝利が約束されているのである。ヨハネの福音書によれば、この世は世の支配者「サタン」に支配された闇である。闇の中に輝く光について、旧約聖書のイザヤ書九章二節には次のような記述がある。


 闇の中を歩んでいた民は

大きな光を見る。

死の影の地に住んでいた者たちの上に

光が輝く。

イザヤ書 九章二節


 旧約とは古い契約を意味する。神はノア、アブラハム、モーセ、エレミヤなどを通し、人間と契約を結ぶ。神はアブラハムを通し、人に対し祝福と恵を与えることを約束した。神は無条件で人に祝福を与えようとしていた。しかし、モーセを通して成された契約は、これとは性格が異なるものであった。エジプトでの奴隷生活から逃れるため、モーセに導かれて約束の地カナンへと旅立った民たちにとっては、神の愛を理解することが非常に困難だった。長い奴隷生活が、無条件の恵みを受け入れることを困難にした。神は民を救うため、決して民から離れず道を照らし導いた。


 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んでいくためであった。

 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。

 出エジプト記一三章二一―二二節


主は彼らを愛していた。しかし彼らに理解できたのは、働いて報酬を得ることであり、無償で与えられるものについて理解することはできなかった。彼らは直接神と対話することを拒んだ。民はモーセを介して神と関わろうとする。民は無償の恵みではなく、守るべき掟を求めた。神はモーセを通して、民に律法を与えた。旧約聖書のはじめの五つの書物、モーセ五書に記されたそれは、人間にとって圧倒的に基準の高い、全てを完全に守ることがおよそ不可能なものである。それは神の聖なる性質を表した妥協のない基準であった。

その時からイスラエルの民にとって、神に従うことは、神が定めた掟、つまり律法に従う事となった。定められた律法に従うことは並大抵のことではなかったが、律法を遵守することはイスラエルにおいて重要であり、次第に律法に精通した専門家、律法学者があらわれることになる。しかし、神に従うために与えられた律法は、次第に神以上に人間に重要視されるものと変化していった。律法の背景にいる神ではなく、律法自体が神の位置を占めるようになる。律法は人を縛るものとなり、律法学者は律法を用いて人を裁くようになった。権力を握った律法学者は自らの地位を脅かす者を貶めようとする。

 新約聖書においてキリストが最も批判するのは、盗人や犯罪者ではなく、旧約に精通した律法学者たちの高慢であり、彼らはキリストを直接的に陥れ殺した者たちとして記されている。自らの罪ゆえに律法にがんじがらめになった人々に対し、キリストが提示したのは全ての律法を成就させる新しい契約だった。


 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、

これがわたしの戒めです。

 ヨハネの福音書 一五章一二節

 

 新しい契約、新約時代に与えられた律法は愛である。使徒パウロはローマ人への手紙一三章一〇節で「愛は律法を全うする」と語っている。

ヨハネの手紙第一によれば神は愛である。しかしそのことは新約時代に初めて示されたことではない。旧約時代、人間との関わりを通して、神はそのことを示している。


 永遠の愛をもって、

わたしはあなたを愛した。

それゆえ、わたしはあなたに

真実の愛を尽くし続けた。

エレミヤ書 三一章三節


 旧約聖書には人間の罪が幾度となく記されている。人間は神を裏切り続ける。歴史が綴られるとき、その目的の多くはある王朝の権威や正統性が示されることにある。しかし旧約聖書の列王記・歴代誌に記される王達に、正しく生きたとされる者は殆どいない。神の目に悪とされた生き方をした王たちが殆どである。旧約聖書における創世記の次の書物、出エジプト記は、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、乳と蜜の流れる地へと導かれていったことの記録である。モーセは民を担う者として召され、イスラエルの民は四十年間荒野を歩み続け約束の地へと向かう。この旅路の中で、民は幾度となく神を疑い、不平を言う。殺人、姦淫、偏愛、争い、妬み。民たちは幾度も神を失望させる。一方で神は民に期待し続ける。旧約聖書のホセア書には、姦淫の女を愛するようにと示された預言者ホセアについて記されている。それは自分を裏切る者を誠実に愛し続ける神の思いをホセアが知るためだった。

 しかし、愛である神は、公義と正義を愛する神である。それゆえに断絶された人と神の関係の回復には、宥めの供え物、イエス・キリストが必要とされたのである。イエス・キリストがあらわれることの預言は旧約聖書において繰り返し語られている。その一つがイザヤ書九章二節であり、ここに記された光が到来したことが、ヨハネ福音書の冒頭に示されているのである。

キリストは人間として生まれた。


 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

 我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、

 ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。

 かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

 我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。


これは全ての教会に通じる信仰告白、使徒信条である。

 人間として生まれたキリストは処刑後、復活し死に勝利した。よって信じる者に永遠のいのちを与える世の光なのである。キリストは十字架に掛かる前に、聖霊を送ることを約束した。聖霊とは神の霊であり、信じる者の内に住む神である。そしてまた、キリストを世に遣わしたのは、父なる神である。


  ✝


 律法は人の罪を明らかにさせるためのものだった。基準の存在しないところにはそれを犯す罪も存在しない。神は神の基準を人に示したのである。それを完璧に守ることは人にはできない。しかし唯一、完全に律法を守り切った人間が一人だけこの世に存在する。それがキリストだった。愛は全ての律法を守り、遥かにその基準を超える。愛に沿って生きることは、罪から遠く離れる生き方だからだ。キリストは完全な愛を生きた。人間がまだ罪人であった時、人間の手によって十字架に掛かり死んだ。敵を愛することが、キリストの人生の目的であった。そして、彼は全てから自由になり、全ての律法を完全に成就する、愛の戒めを提示したのである。神は聖霊を人に贈られた。それは内なるキリストである。新約の時代、人は内なるキリストによって日々新たになり、キリストによって生きよと示されたのである。

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