人形主人の一冬 2

 冬至を超えて、寒さが本格的になってきた頃に、久遠は一人走る。いつもより遅い時間に余裕を失いながら、自身が可能な限り楽に移動できるようにペース配分を考えながら移動を続ける。


 途中、奈央なおのいる公園の前を通り過ぎ、ベンチに座っているいたいけな子供をスルーして、自身の就業時間のために努力を重ね、この日も久遠は何とか始業時間に間に合わせる。




 その後、起こし方はふざけていたものの、朝の支度はしっかりしてくれていた彬奈の作った弁当を食べ、いつも通りに仕事を済ませた久遠は帰路に着く。


 帰る道中で、以前までなら彬奈に止められていたため買うことのできなかったアルコールを買い、晩酌のお供用に安いつまみも買ってから、久遠はいつもの公園前を通った。



「こんにちは、おじさん。今日の朝はずいぶんと急いでいたみたいだけど、ひょっとして寝坊しちゃったのかな?」


 公園の中に入っていって、いつものベンチに座っている奈央に声をかけようとした久遠に、声を掛けられるよりも先に気が付いた奈央が言葉を投げかける。


「こんにちは、奈央。察しの通り、今日はいつもよりも起きれなくてね。もう結構寒い時期になってきたけど、体は冷えていないかな?」


 奈央から少し生意気そうな聞かれ方をしたことなど全く気にせず、久遠は親しい友人と話すかのように軽く流して、逆に奈央の体調を気にする様子を見せる。実際、久遠の中での奈央の立ち位置は、雑談相手兼少し心配で、しかし心配し過ぎてもいけない子供というものなので、その対応には何らおかしいところはない。


「あはは、やっぱり遅刻しそうだったんだね。でもおじさん、例の同棲している人に起こしてもらってるから寝坊はしないみたいなこと言ってなかったっけ?」



 久遠が、慰安用アンドロイドを所持していると言うのを避けて、 同居人とだけ伝えた彬奈の存在を、奈央は素直に受け入れて、その言葉通りのものとして捉え、久遠に問いかける。



「ああ、ちょっと色々あって、起きるのが遅くなっちゃったんだよ。普段ならこんなことにはなかなかならないんだけど、たまにはこんなこともあるんだよね」


 慰安用アンドロイドの所持自体は、特段法律的に問題がある訳では無い。多少人口増加に負の影響があるのではないかと見なされてはいるが、それも規制に足るべきレベルとはされていないので、全ての人は金さえあれば誰でも慰安用アンドロイドを購入することができる。


 けれども、それはあくまでも法律上の問題だ。


 未成年者の飲酒行為しかり、直接は法律的には問題なくても、間接的あるいはモラル的には問題とみなされるものはいくらでもある。


 そして、慰安用アンドロイドの所持というのは、この分類での後者、周囲からの扱いから困難なものであった。



 だから、久遠は奈央に対しても、自身が慰安用アンドロイドを所持していることは話さない。話したところで、何事もなく受け入れられるかもしれないが、自ら積極的に明かしたりはしない。


「ふーん、おじさんは自分一人でも起きれるように頑張ったほうがいいと思うよ。ボクでも自分で起きれるんだからやろうと思ったらおじさんにもできるでしょ?」


 その行動としては何も問題なくても、毎日欠かさずキャバクラ通いしていることを公言すれば、周囲からの目はおおむね冷たいものになるだろう。慰安用アンドロイドの所持も、周囲からの扱いとしては似たようなものだ。


「あはは、俺もそうした方がいいとは思うんだけど、なかなか寝起きがよくなくてね。やってできないことはないんだけど、起こしてくれる人がいるなら起こしてもらえるにこしたことはないからね」


 久遠が苦笑いしながらそういうと、奈央は少しだけ面白くなさそうな顔になる。自身の環境と、久遠の客観的及び主観的には幸せそうに見えるものを比べて、愉快ではなくなっていた。


「ちゃんと早い時間に寝ないから朝も起きれなくなっちゃうんだよ」


 曲がりなりにもネグレクトを受けている身としては、幸せそうにしているものには大なり小なり嫉妬の感情を抱かざるをえない。


 自分の意思で沼の中にいる事を選んだとしても、目の前に幸せな家を建てられたら羨ましく思ってしまう。


 奈央の言葉が、多少刺々しくなってしまうのは、そんな理由だった。



「そうだね。ちょっと生活のリズムも変えてみるよ」



 久遠はあまり人の心の機微に聡い方ではない。むしろ、人間ではないとはいえ、限りなくそれに近い彬奈のことをあそこまで追い詰めてしまったことからもわかる通り、それらについては疎い方だ。


 けれど、今目の前にいる奈央の機嫌が悪いことは、不機嫌であることは、さすがに察することができた。そして、察することができれば、久遠はわざわざ積極的にそこに油を注ぐようなことはしない。その程度の良識はわきまえていた。


 だから、下手に地雷を踏みぬくことがないように、少し気を付けながら話を進める。適当に切り上げることもできなくはないが、こと目の前の小さな友人の前に限って言えば、久遠はなるべくまともな姿を見せたかった。


 それが大人としての義務によるものなのか、それともただのカッコつけたがりなのかはわからないが、そうしたかった。


「ところで奈央、ずいぶん両手が寒そうだけど、よかったら温かい飲み物でもご馳走しようか?」


 あまりお互いにいい気分では終わらなさそうな話題を途中で切り上げるべく、珍しく気を使った久遠が飲み物の話を出す。いつもの自販機には、冷たいものだけではなく温かいものも入っていたので、都合がよかった。


「じゃあ、あったかいコーヒー牛乳で……」


 少しだけ遠慮がちに答えた奈央に対して、要望通りのものを買ってやり、ついでに自分用のコーヒーも買って、久遠は元のベンチに戻る。


 内面的にはまだまだ子供で、ものによる懐柔が有効だったらしい奈央は、久遠から受け取った温かいアルミ缶で指先の暖を取り破顔する。久遠も、奈央ほどではなくても冷えてしまっている指先を温めながら顔をほころばせた。



 そして訪れる、しばしの無言の時間。お互いにベンチの端に腰を掛けながら、ただ缶を傾けているだけの時間。



 その時間は、久遠にとっては居心地のいいものであった。


 その時間は奈央にとって、心底落ち着くものであった。



 二人の間に会話はなく、けれども空気が悪いわけでもない時が流れて、先に言葉を発したのは、そこにあった優しい静寂を引き裂いたのは、奈央だった。


「ねえ、おじさん。ボク、なんだかんだでこんな時間、好きだよ」



 二人の間に特別な感情はない。


 所詮、唯一気兼ねなくまともに話せるだけの相手と、心配になりながらも特段干渉することができない相手という程度の関係。そこに、年のによる背徳的なものなど生まれようはずもない。


 けれど、そんなありきたりな関係でなかったとしても、一言で表現できるような間柄ではなかったとしても、確かにこの二人の間には、何かしらの形の信頼があった。それがどんなものなのか言葉にはできなかったとしても、確かにそれは信頼だった。


「ああ、俺も、なんだかんだで奈央と話している時間は好きだよ」



 お互いにその言葉に、一切の嘘はない。二人とも、多少思うところがありながらも、この関係がこのまま続けばいいと思っているし、自分たちの関係はこれでちょうどいいのだとも思っている。


 出会った頃のものではなく、今のもの。久遠が救おうとしたときのものではなく、お互いに会話くらいしかしない程度のもの。




 それは確かに心地よくって、優しくって、淡くはあれど幸せなものだった。




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 タイトルが全く思いつかない……


毎日想定量の三倍の課題をやらなくちゃいけないトラップ(これまでのサボりの証)

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