変わった日常 3
その日の昼食は朝に食べたものをメインとして少しだけおまけというか、副菜が付いていて二食連続の同じようなメニューに飽きさせないような、そんな食事だった。
久遠はそこまで長くない昼休みの時間でそれを美味しく平らげ、そのままその日の仕事を終えると、いろいろあって早めに仕事が終わったこともあって、普段よりもいささか早い時間に退社する。
その後、帰り道で出会った奈央に、表情が少しだけ明るくなったとからかわれつつ雑談をして、それを適当なところで引き上げて自宅に帰る。
まず玄関のかぎを開けると、部屋の奥から何か物音が聞こえた気がした。おそらく、これは彬奈が久遠の存在を感知して、動き出したことによるものだろう。
その音で、よくわからない安心感を感じながら久遠が玄関を開けると、そこに待っていたのは真っ暗な部屋で出迎えてくれた彬奈だった。
「おかえりなさいませ、旦那様。お仕事お疲れ様です」
そういいながら浮かんでいるのかいないのか判断の難しい笑みを浮かべる彬奈。
その姿に、久遠は違和感を覚える。
「ただいま、彬奈。ところで、どうして部屋の電気が消されているのかな?」
「はい、旦那様が、外出の際に電気を消し忘れていらっしゃったようですので、玄関を閉められた直後に消灯しました」
「意味もなく電気をつけていいるのは、節約の観点から考えたらよろしくないですからね。旦那様も、気づいた時には電気を消すようにしてくださいまし」
「もちろん彬奈も、気が付いたタイミングで消しますが、それ以上に気を使っているのと気を使っていないのでは、かなり効率が変わるとも言われていますから」
彬奈は、善意100%で、久遠にも気を付けたほうがいいという。
「そっか。でも俺は、電気代のもったいなさよりも、彬奈を一日中真っ暗な部で過ごさせる方が嫌かな」
久遠の意図は、可能な限りアンドロイドを人と同じように扱いたいという欲求に由来するもの。
「いえ、旦那様。わざわざお気遣いいただかずとも、アンドロイドには可視光依存ではないセンサーもふんだんに搭載されていますから、何も問題ありません」
彬奈が言っているのは、あくまで合理的な観点に基づいた節約法。ぬいぐるみが怖がるかもしれないと、だれもいない家に電気をつけたまま外出しようとする子供のような、非合理的な無駄を排して主人の求めるもの。
彬奈のその、確固たる合理性に保証された正しさを否定するだけの論理を、久遠は持っていない。
久遠の価値観のせいで、理屈が通っているものを、そうじゃないものよりも優先してしまう性質のせいで、久遠はここで反論することを悪いことのように感じてしまった。
そして、文句が、反論が小ない以上、彬奈の中の思考回路は、その考え方を正しいものとして肯定する。
「お待たせしました、本日の夕食は米に夏野菜カレー、豆腐とレタスと海苔のサラダです」
部屋の中に入った時から感じていた、食欲をそそる香りの通り、仕事から帰ってきた久遠を待っていたのは、ホカホカと暖かな湯気を昇らせるカレーだった。
普段は食事よりも先にシャワーをあびる久遠も、さすがにこの匂いには勝つことが出来ず、目の前の劇物に吸い込まれる。
野菜がゴロゴロ入った、と言うよりも、もはや野菜の方がメインになっているカレーと、醤油と油がドレッシングのようにかけられたサラダ。食材の量だけで見ても、久遠が普段食べていた食事の倍くらいはかかってそうなものだ。
久遠は節約を大事にはしているが、だからといって美味しいものが嫌いなわけではない。
執着こそないが、美味しいものは好きだ。
「ありがとう彬奈、すごく美味しそうだね」
だから、たまの贅沢くらいならば普通に喜ぶ。喜んでしまう。
「いえ、それほど手間のかかっているものでもありませんので、旦那様がお望みであればいつでもお作りします」
その言葉に、久遠はもう一度感謝を言って、目の前の食事を食べる。
素材のうまみがギュッと濃縮されていて、程よいスパイスが食欲を掻き立てる。次の一口が欲しくなる。そして、口の中がスパイスで埋め尽くされた後の、サッパリとしたサラダ。
完璧だった。
久遠が予想していたよりも、空腹であったということを踏まえても、圧倒的だった。
昨日から一日過ごしている間、どこか常に考えてしまっていた、最初の彬奈ならという考えが全く浮かんでこなかったくらいには、その一食は完成されていた。
このままでもいいかもしれない、こうなってよかったのかもしれない。
そんな考えが、一瞬頭をよぎり、すぐに思いなおして否定する。
自分は胃袋をつかまれたくらいで落ちたりはしない、久遠は自身にそう言い聞かせる。
ただ、頭と体の動きは一致しないもので、気が付いた時には、久遠は目の前のものを全て食べきっていた。
「美味しかった。ごちそうさま」
「クスッ、お口に合ったようで何よりです。一応、デザートにアイスも準備していますが、いかがですか?」
彬奈は機嫌よさそうに笑いながら、食器を重ねる。久遠はアイスに心ひかれたが、現在の腹の充填率を考えて、あとで食べることにした。
「わかりました。では旦那様、シャワーの準備ができていますので、お入りください」
彬奈に促されて、久遠はシャワーを浴びる。
「旦那様、頭はもっとしっかり拭かなくてはなりませんよ。濡らしたままはよくないです」
彬奈に叱られて、久遠は頭を拭く。
「旦那様、何もやることがないのでしたら、一緒にゲームでもしませんか?」
彬奈に誘われて、久遠はゲームを起動する。
「旦那様、ここをこうすると、もっとうまくプレイできますよ。……そう、その調子です!!」
彬奈に教わって、久遠はゲームを進める。
「そろそろ休憩した方がいいですね。旦那様、アイスを食べませんか?」
彬奈に渡されて、久遠はアイスを食べる。
「あら、もうこんな時間ですね。旦那様、そろそろ寝る準備をしたほうがいいのではないでしょうか」
彬奈に言われて、久遠は歯磨きをする。
「旦那様、もう時間も遅いので、寝なければなりませんよ。明日もお仕事があるし、今日の朝を見る限り、旦那様は寝不足になっているようですからね。」
彬奈に叱られて、久遠はいつもより一時間くらい早い時間に布団に入る。
「旦那様、電気を消しますね。お望みであれば添い寝まではできますがいかがでしょう?」
その言葉を、久遠はやんわりと否定する。
「必要ありませんでしたか。わかりました、旦那様、お休みなさいませ」
真っ暗になった部屋の中で、動くものがなくなった部屋の中で、久遠は一人、寝返りを打つ。
過ごしやすかった。快適だった。ただ、どこか息が詰まった。
それがなぜなのか、久遠にはわからない。以前の彬奈と比べてしまっているからなのか、無意識に他の何かと比べているからなのか、久遠の思考には引っかからない。
ただ、なにかが違う気がした。
噛み合っていない気がした。
それがなぜなのか、久遠にはつかめない。もう少しで答えに届きそうになるのに、届かずに逃げてしまう。
以前と比べても遜色のないほど、あるいはそれ以上に快適だったはずだ。これ以上を求めるなんて、しなくてもいいはずだ。
そのはずなのに、久遠が感じていたのは居心地の悪さだった。
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