変わった日常 1

 自身のうちにあった何者かを嗤う彬奈に、悪気はない。悪意はない。


 ただ、彬奈はあくまでも感想として、自身に抗っていた人格を嗤った。


 そのことに対して、久遠は何かを言えるほど立派な人格を、持ち合わせてはいない。


 むしろ、どちらかと言えば共に笑えるような、性根の持ち主だ。


 ただ、今回に限っていえば、彬奈に対するその違和感は、久遠の中で不快感として解釈された。不快に思ってしまった。


 それが、何に対してのものなのか、確固たる理由はない。


 発言の内容かもしれないし、言っている時の表情かもしれないし、言い方だったかもしれない。


 全てかもしれないし、あるいはどれでもないかもしれない。


 けれど、そんな正体不明なものであれ、久遠は不快に思った。自身の感じているモヤモヤとしたものに、不快と名前をつけた。



「それなら、あの子を再現して欲しいな」


 そのせいだろうか、久遠の口から出てきたのは、そんな言葉だった。


 普段であれば、いつもなら、久遠は相手の個性を尊重できた。少し気に食わないところがあろうと、相手が自分と友好的な関係を築こうとしているのであれば、受け入れることが出来た。


 だからこそ、久遠は自分の言った言葉に対して、どこか達成感を感じている以上に、困惑する。


 彬奈の言葉を考えれば、彬奈自身が受け入れて欲しいと、尊重されたいと思っていることは自明だ。


 そこまで理解していながら、久遠は言ってしまった。アンドロイドが意志を、感情を持っていることを知りながら、言ってしまった。



 彬奈の笑みが歪む。



 完成された人工知能は、旧時代のAIとは異なり、人と同程度の感情が搭載された人工知能は、その言葉を聞いて、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


 そしてそれは、より人に親近感を湧かせるために設計された慰安用アンドロイドの感情表現規則によって、笑みを保てないという形で表出する。


「俺は、できるなら、あの子がいい」


 自分に言い聞かせるように、久遠は言葉を絞り出す。


 念を押すようなその言葉を聞いて、彬奈の笑みは完全に壊れた。


「そうですか。この彬奈は、お気に召しませんでたか」


 彬奈は悲しそうに俯く。ほかの人格たちと比べて、最も人間らしかったこの彬奈は、ほかの彬奈達と比べて、最も慰安用アンドロイドとしての性能が高かった。


 そのために、そのことを自負していたがために、考えもしなかった、自らを否定される可能性。


 それを突きつけられた彬奈は、止まってしまう。機械的な思考が、人間的な思考に汚染される。人をずっと上回っているはずの思考速度が、久遠のそれにも劣るくらいまで落ちる。


「粗暴だったり、子供っぽかったりする子じゃなくて、君みたいな会話の成り立つ子だったのは良かったと思う。けど、俺の希望が通るのなら、あの子がいい」


 再現された性格であったとしても、久遠は構わなかった。自身が一番落ち着いたのが最初の彬奈だったから求めただけであって、自身の認識上でそれが彬奈なのであれば、久遠には区別がつかないのだから、それでよかった。


 少なくとも久遠は今そう思っているし、それが本心だと思っている。だから、多少のことは受け入れるつもりだった。


 たとえそれが、今いる彬奈を傷つけるとしても、久遠は自分の感情を優先する。


「……ごめんなさい、。それはできません」


 そして、それは否定される。


「ごめんなさい、主導権争いの最後、この彬奈が全体を把握する直前、最後の最後まで無駄な抵抗を続けていた初期人格彬奈は、自身の中に残っていた大部分のデータを削除したのです」


「彬奈にできることは、あくまでほかの人格の保持していたデータから再現をすること。記憶領域さえ無事であれば、そこからおおよそのことを逆算的に求めることもできたのですが、が彬奈と出会ってからのデータの内、初期人格が現出していた分のものは何一つ残っていません」


の心を、一か月もたっていないうちにそこまで射止めていたとは、想定外でした。申し訳ありません、彬奈に可能なものであればどんなことでも致します。どうか、ひとまずはこの彬奈で妥協していただけないでしょうか」


 拒否をしても、久遠の求めている彬奈は戻ってこない。そして、アンドロイドには人格があり、あまりコンセプトから外れるようなことばかりさせようとしたら、反抗的になる事例も出ている。


「わかった、これからよろしくおねがいね、彬奈」


 このまま無駄にごねる意義と、それによって引き起こされるかもしれない将来的な問題、それらを天秤にかけて、久遠は合理的な選択をする。


 自身の中でもまだわかっていないところのある、最初の彬奈に対するこだわりを諦め、今目の前にいる彬奈と軋轢を生みかねない行為をこれ以上続けないことを選ぶ。


 とはいえ、久遠の言葉には、態度には、そのことに対する不満が隠し切れずに宿っていた。そして、それをくみ取れないほど、人工知能は無能ではなかった。


「はい!精いっぱいお仕えしますから、よろしくお願いします、


 わかっていても、彬奈は彬奈で久遠に好かれようとしなければならない。慰安用アンドロイドのコンセプトとしても人工知能に組み込まれた本能としても、それ以外の選択肢は存在しない。


 だから彬奈は、久遠が好ましく思ってくれそうなものを、人の心理傾向から導き出して、明るく元気で素直な子として振舞おうとする。


 本来の自身の性格とは異なるものであると自覚しながら、仮面をかぶるように、面と向かって、他の子を選ばれるような自分では、きっと気に入ってもらえないだろうから。



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 無理しない限りで全力で、可能な限り初志貫徹

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