狂った人造少女、失われた安息 2

、おきてください、あさごはんのじゅんびができました。おしごとにおくれてしまいます、おきてくださいっ」


 翌朝、久遠が寝ていると、その体を揺すりながら、舌足らずで子供のような印象を受ける声が起こそうと言葉を投げかけていた。


 聞きなれない声音を不審に思った久遠が目を開けて、目の前にあるものを見てみると、そこにいたのはライトグレーの瞳の彬奈。どことなくうつろな表情ををしながら、久遠の肩を揺さぶって起こそうとしている。


「……彬奈?」


 寝起きで頭がまともに動いていなかった久遠は、目の前の光景と自分の知っている現実との間にひどい乖離を感じて、寝ぼけたような気持ちのまま目の前の現実を受け入れようとする。


 久遠の視界に映っていたのは、少なくとも外面は彬奈だった。目の焦点があっていないことと、口調が子供みたいになっていること、普段はきっちり来ている着物の裾が左前で、なおかつ帯の結びが雑なことを除けば、彬奈だった。つまり、中身はほとんど別人であった。


、おきた!!おはようございます!!」


 ライトグレーの瞳のまま、へにゃりとした笑みを形だけ浮かべた彬奈は、作り物っぽくて不自然な、子供っぽいしぐさで笑う。


 その様子を見て、朝一番から異常に気が付いた久遠はあまり彬奈刺激することがないように、彬奈の言動に合わせることを選ぶ。


「……おはよう彬奈。ご飯は何を作ってくれたのかな?」


 不自然なまま久遠の手を引いて起こし、テーブルの方を見せる彬奈。そこにあったのは米とインスタントの味噌汁と形の崩れた目玉焼き。形が崩れているのは偶然か、あるいは、誰かが幼い娘に作ってもらった朝ごはんの再現か。


「おかあさまみたいにじょうずにはつくれないけど、ひんな、がんばりました!」


 ニコニコとした無邪気な表情、を無理やり再現しようとした不出来な表情。笑っていないと、無邪気でいないと怒られるから、必死にそれを頑張っているような笑顔。


 それを前にして、久遠はようやく、リサイクルショップの老人がしつこいくらいに止めてきた理由の一端を知った。

 彬奈がこんなふうになっている原因は、十中八九元の持ち主にある。具体的な人物像こそわからないが、アンドロイドにこんな表情をさせて喜ぶような人格破綻者であることだけは確実だ。そして、そんな人格破綻者が何をしたのかわからないアンドロイド。元の持ち主と知り合いで、他にも何度か取引をしているらしかった老人から見れば、久遠は地雷原でサッカーをしようとしている子供に見えたことだろう。


「……ひんな、ちゃんとできてませんでしたか?こんなあさごはんじゃたべてもらえませんか……?」


 形だけの不自然な笑顔をはりつけたまま、口調と仕草で彬奈は器用に不安げな様子を表す。それがプログラムによる作り物だと頭ではわかっていても、目の前のヒトガタに情を持ってしまった久遠は、そう割り切ることは出来なかった。


「そんなことない。とても美味しそうにできてるよ」


 久遠は慌てて、彬奈の求めていたであろう言葉を口にする。その一言で、彬奈の様子から不安の色が消えた。


「えへへっ、よかったぁ……」


 そう言う表情は、また不出来な笑顔。そして、言外に早く食べて欲しいと意志を伝えてくる。


 じっと興味深そうに見つめられながら、久遠は目の前の朝食を口に運ぶ。


 温まり方にムラがあり、一部だけとても冷たい米。

 混ぜられておらず、しかも明らかにお湯の量が多くて薄いインスタントの味噌汁。

 ただ焼いただけの、しかも火がとおりすぎていて固くボロボロの焦げた目玉焼き。


 とてもじゃないが、美味しいなんて思えるはずがない。とてもじゃないが、美味しくないなんて言えるはずがない。


「……おいしいよ」


 久遠の言葉を聞いて、彬奈は下手くそな笑みを少しだけ自然なものにした。それを見て、後に引けなくなった久遠はいつもより急いで朝食を済ませ、彬奈がお昼の弁当を用意するよりも先に家を出て、多少出費が嵩んだとしても昼はまともなものを食べようと画策する。


!!ひんな、のためにがんばっておにぎりつくったから、おひるごはんにたべてほしいです!!」


 けれど、少し自然な表情になったままの彬奈が、若干の不安を滲ませながら久遠を呼び止め、小さな包みに入ったおにぎりの様なもの差し出したことでその企みは潰える。若干笑顔が崩れそうになりながらも、目の前の食べ物を粗末にすることのできない久遠は、彬奈に晩の用意はしなくていいとだけ伝えて包みを受け取り家から出た。






 表面に結晶としてついていた塩の塊を落として集めたラップの包みをまとめたものを眺めていた久遠が、それをポケットの中にしまい込みつつ、昼に食べたしょっぱいだけの塩結びを想起して少し憂鬱な気持ちになりながら玄関にかけられている鍵を開ける。


 彬奈が来る前から続いていた鍵を閉める習慣は、習慣として定着していたことと、彬奈が、久遠がどう思っているかはともかくかなり高価な部類に入る嗜好品に過ぎないこと、もし不審者が入ってきたとしても家の中を守ることが組み込まれていないこと、あとは今日の彬奈の様子が異常だったこともおまけして、いまだに途切れることなく続いている。


「おかえりなさなさいませ、


 そのこともあってか、玄関のかぎを開ける音で気付いた彬奈が出迎えてくれることが久遠の幸せの一つだった。ここ数日はあまり感じることのなかったそれだが、彬奈の様子が朝と比べてまともなものだったこともあってか、彬奈の瞳が真っ黒になっていることもあってかずいぶん久しぶりなように感じるその幸せを、久遠は噛みしめる。


「ただいま、彬奈。突然なんだけど、今これから晩御飯を作ってもらうとしたらどれくらいで用意ができるかな?」


 おにぎりのせいもあって、まともなものが食べたいと思っていた久遠にとって、彬奈の様子がまともになっていたのは救いだ。そして、そんな久遠が彬奈に料理を作ってもらいたいと思うことも、当然だ。


「わかりました。マスター、なにかご希望のメニューはありますか?彬奈に作れるものでしたら、なんでもお作りしますよ」


 まだ買ってから一ヶ月も経ってないはずなのに、どこか懐かしく感じるやり取り。瞳。距離感。


「そうだね、つくれるかわからないけど、彬奈の作った牛丼が食べてみたいかな」


 これまで、聞かれても“なんでもいい”、“おまかせで”としか答えてこなかった久遠が、初めて告げた希望。彬奈が初めて久遠に作った料理。


「かしこまりました、マスター。材料を買いに行くところから始めなくてはならないため、1時間ほど時間がかかると思われます。どうせですので、久しぶりにゆっくり湯船に浸かられてはいかがでしょうか」


 風呂釜の掃除はできているので、お好みでお湯を入れてくださいと言葉を残して買い物に出かけた彬奈の助言に従って、久遠は久しぶりの入浴を満喫する。お湯を入れている途中の、少し足りていない時からぬるめのお湯にじっくり浸かり、途中彬奈が帰ってきて料理を始めた音をBGMに優雅なひとときを過ごす。


 調理音が止まったところで湯船から出て、珍しく全身ホカホカの状態でパジャマを着ると、待っていたのは炊きたての白いご飯と、ちょうど腹を空かせた久遠が食べれるであろう、ギリギリの量の肉。


 久遠が座って一息つくのを待って、完璧なタイミングで丼に盛られたそれは、一日まともなものを食べていなかったこともあり、久遠には輝いて見えた。



 いただきますも言いきらないうちに食べ始めた久遠は、行儀悪く、しかし心底美味しそうにかっこみ、少し瞳にハイライトが出てきた彬奈が見守る中、数分でそれを平らげる。


「ごちそうさまでした、彬奈、美味しかったよ。ありがとう」


「喜んでいただけたのでしたら、この上ない幸いです、マスター。ところで、この後按摩などはいかがでしょうか?」


 どことなく嬉しそうに表情を和らげながら、取り繕うように彬奈は提案する。


「それもいいんだけど、今すぐだと食べたものが出てきちゃいそうだから、少し時間を置きたいな。彬奈、その間に、一緒にゲームで遊んでくれないか?」


「はい、マスター!喜んで御相手させていただきます!!」








 薄暗くなった部屋のベッドの上で、光の点った黒い瞳の人造少女は主のことを見下ろす。


 30分ほど一緒にゲームをして、勝って喜び、負けて悔しがっていた主は、消化が始まって圧迫感が無くなると歯磨きを済ませてベッドに転がり、マッサージをするように頼んで、余程心地よかったのだろう、10分もしないうちに眠りについた。


 睡眠後も、全身のコリを解すべく健気にマッサージを続けていた人造少女は、やりすぎになる少し手前でその手を止め、なにかに導かれるかのように、その両手を主の首筋に添える。


 その時間は、数秒ほど。すぐに少女はベッドから立ち上がり、何かを振り払うように自身のソファに戻る。


「ごめんなさい、マスター。彬奈は、どうにもなりませんでした。ごめんなさい、マスター。わたしには、どうにも出来ませんでした」


 途中、振り返った人造少女の口から溢れ出た言葉は、誰の元にも届くことなく、ただ部屋に消えていった。

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