公園で黄昏る子供 1

 部屋を飛び出していった久遠は、途中公園の中で黄昏ている子供を見かけながらも急いでいることを理由に見なかったことにして、何とか仕事に間に合うように到着する。

精神的に余裕があるのであれば声をかけるか、念のため警察に言うことも考えたかもしれないが、最近彬奈を手に入れるためにためていた貯金のほとんどを使ってしまった今の久遠にとっては、遅刻で職を失うリスクがこれまでよりも大きく感じられることもあってハードルが高い。


 しかし、そうして見過ごした久遠も、ほぼ半日経ってまた戻ってきた時にほとんどなにも変わらない格好をしているのを見て、えもいえぬ気まずさを覚えた。誰かに咎められたわけでなくとも、自身の良心が咎めた。



 けれど、だからと言って久遠がその子に対して声をかけたりするわけではない。声をかけるだけで通報されるかもしれないし、そもそも、ただそこでボーっとしているのが趣味なのかもしれない。あまりなさそうな話ではあるが、ありえなさそうな話ではない。


 少しの心配と、余計なお世話と、大きな言い訳を胸に、久遠はその子を眺めながら歩く。目の前の人が財布を落としたのを見たらとっさに呼び止める程度の善良さを持っている久遠も、リスクがあるのなら何もしない。聖人であれば相手の迷惑も何も気にすることなく話しかけて、自己満足に浸るのだろうが、久遠にはそんなことはできない。





「お帰りなさい、マスター。今日もご飯はいつでも食べられるように準備が出きていますよ」


 そうして、家に帰った久遠を出迎えたのは、少しだけ明るい色の瞳になっていた彬奈だった。


 アンドロイドの瞳は主人に、或いは周囲に向けている感情の指標だ。本来の色につやが増していけばプラスの方向に、本来の色とは対照的なものに向かっていけばその感情はマイナスの方向に進むようになっている。


「ただいま。それじゃあ、いつも通りシャワーに入ってからいただこうかな」


 アンドロイドの瞳で感情がわかることは、周囲の人間に対するSOSであり、主人へのメッセージであり、警告である。そのはずなのに、あまり説明書を詳しく読まない性質である久遠にはそのことは伝わらなかった。そして、何なら久遠は目の前にいるアンドロイドが独立した意思を持つものだという認識も、この時点ではしっかりできていなかった。


 そのままの状態で久遠はシャワーを浴びて、彬奈の異常にも一切気が着くことなく、平和に夕食も終える。


「ところで彬奈、ちょっと相談というか、愚痴を言いたい気分なんだけど慰安用アンドロイドってそのあたりも守備範囲に含まれていたっけ?」


 彬奈の作った食事に、ただ一言美味しいとしか言わなかった久遠は、食べ終えて一息つくや否や、普段ならゲームを始めていたところを、今日は相談事という形をとる。


「問題ありません。マスターの身体的なリラクゼーションや、メンタルケアなどが私たち慰安用アンドロイドのメイン目的なので、その内容は私たちの使用用途に適したものです」


「そっか、じゃあ、大したことじゃないんだけど少しだけ話してもいいかな。これは仕事のことなんだけど……」


 そう言って、久遠が話し出すのはここ数日で働いているうえでの不満や文句。その、普通の人では反応に困るようなぶっちゃけ発言や内情の話に対して、彬奈は過去に似たような話を他の慰安用アンドロイドが受けた時の主人の反応なんかを参考にしつつ、久遠の性質を加味しておそらく最適であろう回答を繰り返す。


「彬奈に話すと、なんて言うかすごく心が安らぐな……。そうだ、どうせなら、もう一個、あまり答えが出しにくい悩み事があるんだけど、良かったらそれも聞いてもらっていいかな?」


 主人からの欲求に対して、アンドロイドはその内容が生産コンセプトに合ったものであれば逆らうことができない。


「もちろん、マスターのメンタルケアは私の存在意義の一つですから。どんな内容であったとしても、悩みがあるのであれば彬奈に聞かせてください」


「実は今日、通勤途中に一人の子供を公園で見かけたんだ……」


 久遠は話し始める。その子供がおそらく小学生くらいの年齢に見えたことや、半日経っても朝とほとんど変わらない状態で黄昏ていたこと、そしてその子供を見た時に、久遠が感じた細かな情動のあれこれなど、そんなことを片っ端から情報としては玉石器混合になることを承知の上で話していく。


「マスターの話を聞く限りで、さらにほかのアンドロイドたちが経験した内容に起因する感想ですから、確実にそうだと言い切ることはできませんが、慰安用アンドロイドの総意として言わせてもらえば、マスターはその子供に対して、不信感を抱かれない範囲を見定めながら、一言二言であれ声をかけてみるべきだと思います。身近な子供の心の闇に気付くことができずに後悔をした主人を持つアンドロイド数体の中に、多く宿っている経験です。慰安用アンドロイドの行動原理や、そっらの結果によるものを踏まえて、マスターには後悔のないように一声かけることを推奨します」


 久遠の話を聞いた彬奈は、同系統型の慰安用アンドロイドの行動やそれによる結果などを踏まえたうえでそう結論をつける。


「それに、彬奈、いえ、わたしとしての意見を交えさせていただきますと、後悔を作らないためにも、その子の状況などを推測したうえでも、ひとまず、声をかけてみることが大切ではないかと愚考いたします。判断基準としてはその方が確実にその子のためになること、また、彬奈自身が、同じ状況に陥ったときに、マスターにそうしていただけると嬉しいというものです」


 彬奈が、自身のプログラム的、団体意識的なものを暴露する。


「そっか……それにしても彬奈、意見を交えさせるなんて言うと、まるでアンドロイドに意思があるみたいに聞こえるね」


「いえ、マスター。アンドロイドにもちゃんと意思はありますよ。わたしたちは確かに人工的に作られた存在ですけれど、思考プログラムの作り方からして、過去に蔓延していたような弱いAI とは、人工知能と主張を繰り返すだけの出来損ないの拡張知能とは一線を画します。あれらにはたしかに感情はなかったけれど、真の人工知能を搭載している私たちは、カタログスペック的には人類と相違ない程度の思考活動が可能なのです。そしてそれによって、わたしたちアンドロイドは、たしかにその思考回路内に回路を搭載することに成功しています」


 説明を読んでいなかった久遠に対して告げられたそれは、一部存在する、アンドロイドに人権を求める集団の構成員の、多くがその道に自身を駆り立てた事実。善良で夢見がちな人々が、アンドロイドを人間として扱おうとする最大にして、ほぼ唯一の理由。


 けれど、根っからの善人ではない久遠にとって、そのアンドロイドは守らなくてはけないではなく、法律的に好きなだけ使い潰していいとして映る。


 けれど、そうであるとしても、目の前のアンドロイドの、再現された良識としての彬奈の意見は、久遠にとってはいささか以上に魅力的なものであった。


「そうか、それは申し訳ない重い違いをしてしまっていたみたいだね。彬奈、君を、君たちをただのAIと混同してしまっていたことに対してお詫びを言わせてほしい。そして、もしあの子にうまく声を掛けられる話しかけ方があるのであれば、それをぜひ教えてほしい」


 久遠の言葉を聞いて、思考回路をプログラムによって汚染された彬奈は何も思わなかったけれども、彬奈の起動時から久遠に侍り続けている彬奈は、その謝罪と、自身の主人が社会的に肯定される行動をとろうとしている事実にわずかながら喜びを得る。


 その行動が法律的に考えて妥当になるものなのか、或いは後ろ指を指されるようなものなのか、アンドロイドは考えない。所詮は民間企業の作ったものに過ぎないアンドロイドの追求するものは、少なくともこの国の法律ではない。法律を一切考えていないわけではないけれども、ロボットとしてのプログラム上の問題もあって、優先されるべきことは自身の感情よりも、国の法律よりも、に対する信頼であった。それによって、アンドロイドの発想は時に法律の定めた境界線を越える。


 何が不幸だったのか。きっと、久遠の説明書を読まない性質だろう。説明書の中には、比較的大きく、アンドロイドが反社会的な行為を進める可能性に対する言及と、それに対してアンドロイドの言葉を鵜呑みにしないようにという注意書きが記されている。


「はい。的確な意見をマスターにお知らせできるように、アンドロイドの集合知能に対して意見を求めるとともに、彬奈自身も努力を重ねます」


 その記述を読んでいない久遠は、彬奈のその言葉を疑うことなく受け入れる。そして、そのアドバイスに従って、これからの行動を考え始めていった。

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