第34話 相談がございます


「……んっ」



 お腹に感じる熱さと重みが苦しく、パチリと目を開ける。

 視界には見慣れぬ天井が広がり、既に陽が高く昇ったため天窓から光がたくさん注ぎ込まれていた。


 その光りの下で私は力が入らぬ体で横たわっていた。

 頭と体の疲労感が一致しない。その原因となった数時間前の出来事を思い出しそうになり、かき消すように頭を振った。



 それより、なんなの?



 異様なお腹の重みに耐え兼ね、掛けられていたかけ布団を捲る。すると私のお腹を枕にして、丸まって寝るシェルトの頭があった。

 顔は見えないが規則正しく上下する彼の肩を見ると、深く夢の世界へ旅立っているみたいだ。

 寝返りの際に、枕と間違ってお腹の上に乗ったらしい。


 しかし彼の目の下には隈が出来ていたなと思い出し、起こすのが躊躇われる。

 しかも体を丸めて身を寄せる寝方は子犬が母犬に甘える姿に見えた。いつもとは逆転した可愛く見える姿に愛しさが心に広がる。

 重たいけれど、もう少し寝かせてあげよう。力を抜いて枕に頭を預けたのだけれど――



 ぐぅぅぅ


「――!?」



 タイミング悪く私のお腹から盛大な音が鳴り響く。

 お腹に耳を当てている状態だったシェルトは音に驚き、ガバッと体を起こしてしまった。


あぁ、私のお腹の馬鹿……情けなさで涙を飲む。



「ごめん、シェルト。今のは……」

「ふっ、はははは。いえいえ、素晴らしい目覚まし時計でした。おはようございます」

「うぅ、おはよう」

「目覚めて、一番にアメリーの可愛い顔を見れるなんて幸せです」


 私はシェルトを直視できずに俯く。耳の先をパタつかせ、大きな尻尾は激しく振られ、向けられた蕩けるような微笑みが、『愛している』と私に激しく主張してくるのだ。

 チュッと音をたてるように唇を重ねられると顔に熱が集まり、体まで火照る。



「あれ? 熱でもありますか? 無理させてしまいましたか?」

「ち、違うわよ! 屋根裏部屋が暑いだけよ!」



 顔の赤さを部屋の暑さのせいにして誤魔化す。私の心中など知らぬシェルトは慌てて少ない窓を開けてくれた。

 さらりとした風が流れ込み、汗ばんだ首もとが冷やされ気持ちがいい。自然と顔の熱もとれて、心も落ち着いた。



「本当に暑かっただけのようですね。アメリーはここで待っててください」


 私が大丈夫だと分かると、シェルトはさっと普段着に着替えてひとりで屋根裏部屋から降りていってしまう。

 数分すると彼は私の服を手に戻ってきた。


「着替えてから降りてきてください。俺は早めの昼御飯を作っているので、急がなくてもいいですからね」

「うん、ありがとう」


「はしごは気を付けてゆっくり降りてくださいね。辛かったらすぐに俺を呼ぶこと。いいですね?」

「わかったわ」



 色々と念を押されたあと、私の膝の上に畳まれた服を乗せて彼はまた降りていった。忠犬でも狼でも、私への徹底的な過保護は変わらないようだ。クスリと笑い、ひとりでごろんと寝床に転がり直す。


 入れ替わった空気を肺にたっぷり吸い込み、ふぅとゆっくり吐く。

 入ってくる風は葉の匂いが混ざった湿度のある夏の香りが薄れおり、乾いた香りが秋を感じさせた。


 いつもはこの香りを感じると夏に取り残されたような孤独を感じたが、今は風が心地良い。私は久々に季節の移ろいを楽しみにしている。


 数分すると爽やかな風に混ざり、肉の焼ける香ばしい誘惑の匂いが上ってきた。

 そして元気に鳴る私のお腹。

 本当にレディのお腹とは思えないほど正直だわ。


 私はパジャマを脱ぎ、持ってきてもらった服に袖を通す。

 そしてシェルトの注意は真面目に守るべきだと痛感した私は、ゆっくりとはしごを降りてリビングに向かった。

 彼は本当に優しく触れてくれたみたいで、持っていた知識のように体が痛むことはない。



「~~~~っ!」



 艶かしい記憶に反応して再び熱を帯びる顔を冷やそうと、急いで洗面台に向かった。

 しかし、漂う美味しそうな香りが気になりすぎて、扉から顔を出して様子を窺う。台所にはふわふわが消えた髪のシェルトがフライパンを振っていた。



「ごはん何かしら?」

「豪快に肉野菜全部乗せごはんです!」

「全部?」

「はい。昨日一昨日使えずにいた食材を、傷む前に消費してしまいますね」

「ボリュームたっぷりね。楽しみだわ」

「はい。美味しいの用意しますよ」



 お昼ご飯に期待を膨らませながら観察もほどほどにして顔を洗い、いつもより少し時間をかけて髪を結わえる。

 サイドにゆるく編み込みを加えて後ろでひとつにまとめて、細いリボンを2色絡めてから結んだ。今更だけど、少しでも可愛く見られたいのだ。



「できましたよー?」

「はーい!」



“よし、今日も私は可愛いわ”と呪文を唱えて洗面所からリビングに出た。彼は盛り付けに真剣でこちらに背を向けている。


 誉めてほしいわけではないけれど、彼が気付いてくれるかドキドキしてしまい、指を擦り合わせて振り向くのを待つ。



「おまたせしました」

「うん……」


 シェルトは出来上がったワンプレートを両手に振り向き、微笑んでこちらを見たが……反応はない。皿をテーブルに乗せ、スープをカップに注ぎ始めてしまった。


 半年も一緒にいて、髪型の変化で印象なんて変わるわけではないのに何を期待していたのか。

 当たり前のことに特に気落ちすることなく、椅子に座ってスープを待つ。しかし彼がカップをテーブルに運んだ瞬間、両手で顔を押さえてしゃがみこんでしまった。



「シェルト!? どうしたの?」


「やっぱり無視できない! アメリー、可愛さを自粛してください。髪型が可愛すぎて、しかも俺のために考えた髪型だと思ったら、狼になりそうです」

「――っ、狼は今は駄目! 絶対!」



 私は急いで洗面所に戻って、いつものポニーテールに戻した。リビングに戻ると、私の髪型を見てあからさまにホッとするシェルトがいた。



「これで良いわけ?」

「勿体ないですけど……俺の理性が通常レベルに修復されるまで、自粛の御協力お願いします」

「今は駄目なの?」

「はい。アメリーと通じあって完全に舞い上がってるので。でも……ずっと俺が狼でも良いのなら可愛さウェルカムですけどね」


 シェルトは軽い冗談のように言うが、瞳の奥が光ったのを私は見逃さなかった。

 きっと破れば彼は遠慮なくどこでもいつでも牙を向きそうだ。



「きちんと自粛するわ。いただきます!」

「残念。では、いただきます」



 さっと炙ったパンの上にお肉と野菜を乗せて挟み、遠慮なく噛みつく。

 噛むと歯に当たったお肉から旨味が出で、野菜からは炒めたときに吸った肉汁がじゅわっと滲む。味付けにはシンプルに塩コショウとハーブが使われていて、重いはずの脂が軽く感じられた。


 寝起きでもガッツリ食べられるランチだ。

 ガツンとした肉野菜炒めとは違いスープは優しい。コンソメはほんの少し程度で、野菜の旨味で成り立っている。



「短時間でこんなに野菜の味が出るの?」

「下に降りてきて真っ先に圧力鍋で煮込んだんです。良い野菜出汁が出てますよね」

「ありがとう、本当にありがとう」


 自然とお礼の言葉がでる。スープの事だけではない。昨日まであんなに冷たく感じたご飯と部屋が今ではとても温かい。全てを温めてくれたことに感謝したかった。


 鼻の奥がツンとしてしまいそうで、私はスープをまた口にして一緒に飲み込んだ。シェルトは少しだけ目を見張ったが、何も聞かずに穏やかに微笑むだけだった。





「そうだ。洗濯物干したら午後から俺はマスターのご自宅に行ってきますね」


 食器を洗い終え、屋根裏部屋から服やシーツを抱えてきたシェルトに告げられる。


「マスターに何かあるの?」

「昨日ご迷惑をおかけした謝罪と、明日からもよろしくお願いしますという挨拶ですね」

「確かにそうね。マスターたちはシェルトがどうなったか知らずに心配していそうだわ」

「はい。なので一度菓子店で家族分のお土産買ってから訪ねようかと思ってたんです」


「私も付いていって良い? 自宅知らないでしょ?」

「良いんですか? 人に聞きながらと思っていたのですが、アメリーが案内してくれると助かります。さっと洗濯物終わらせてきます。あ、アメリーの分も洗っておくので、休んで待っててくださいね」



 尻尾を振って洗面所に消えていく背中を見送った。シェルトに頼られたくて、少しでも甘えて欲しくて申し出てみたけれど、結局私が甘やかされている気がするわ。



 昼下がり、二人でお菓子を買ってマスターたちの家へと向かう。

 シェルトが持つ袋の中にはマスターにはおつまみになりそうな焼きチーズのビスケット、女将さんには可愛いショコラ、ジャックには新作の“虹の味”というキャンディを選んで詰め合わせたセットが入っている。

 私が持つ袋には明日会ったときに渡せるように買った、リコリスのために選んだビスキュイとジャムのセットが。


 そしてお互いに空いた手を繋いで街道の端をゆっくり歩き、猫がモチーフの可愛い一軒家の前に着くと足を止めた。シェルトはポカーンと見上げる。



「ここよ。にゃんこ亭よりにゃんこでしょ? お店はマスターの好み。おうちは女将さんの好みなんだって」

「クルルといい、猫は偉大ですね……ではお邪魔しますか」


 猫足の呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開かれる。扉を開けた女将さんはシェルトの姿を見るなり2階にいるマスターとジャックの名を嬉しそうに呼んで、私たちを招き入れてくれた。

 そして家に入って驚いたことにリコリスが先に来ていたのだ。


 もしかしたら私たちが来るかもと予想して、先回りしたらしい。もし来なかったら私の家に行くつもりだったとも教えてくれた。リコリスの分も買っておいて良かったわ。


 シェルトは私に話した内容よりも簡単ではあったが説明し、今まで隠していた部分も含めて頭を下げた。

 マスターたちは貴族が関わっていた事だから仕方ないとすぐに許してくれて、シェルトは安堵の表情を浮かべた。



「ってかシェルト君、俺たちゃ助かるし嬉しいが………本当ににゃんこ亭で良いのか? 騎士寮の料理長ならずっと待遇も良くて、肩書きにも箔が付いただろうに」

「元副料理長の肩書で十分です。それに騎士寮で学べていなかったことを、俺は今マスターたちからたくさん教わってます。にゃんこ亭で働かせてください」



 シェルトは再び深く頭を下げる。マスターは感動を耐えるように、大袈裟に大きく頷いた。


「もちろんだ! こちらも宜しく頼む」

「嬉しい事を言うわね~良かったわぁ」

「ホント良かった~俺まだシェルトさんの見たい技があったんすよ」

「ふふふ、そうこなくっちゃ♪」



 みんなの笑い声が部屋に広がる。場所はお店ではないけれど、私の好きなにゃんこ亭が戻ってきた。とても良い人たちに恵まれた。長く続いて欲しいその光景を目を細めて眺めがら、膝の上で両手を組む。


 私は皆に話したいことがあった。ここに来る間にシェルトには話してあり、背中を押してくれた。

 それはとても皆に迷惑をかけることで、和やかな空気の中なかなか言い出せない。



 すると隣に座るシェルトの手が私の両手に重なる。彼の視線は皆に向いたままで、焦らすことなく勇気をくれた。



「あの!」


 思ったより大きな声になってしまい、皆のきょとんとした視線が集まる。



「アメリーどうしたんだい?」

「その……マスターや皆さんにご相談があります!」



 そうして私は自分の我が儘を伝えたのだ。

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