第7話 危機感が仕事をしません


「おかえりなさい、アメリー」

「ただいま……」


 私の先程の苦労を知らないシェルトはニコニコと笑顔を振り撒いており、少し腹立たしい。

 きちんとシェルトが新居を探していれば嘘をつく必要もなく、罪悪感を感じることもなかったのにと思う。



「シェルトが犬だったら良かったのに」



 気付いたらそんな言葉が口から出てしまい、慌てて口を押さえるが遅すぎた。

 シェルトはフライ返し片手に固まってしまってしまい、料理がジューと焼ける音だけが聞こえる。



 あぁ、完全な八つ当たりだわ。保護したのも、泊めると許可したのも、詰めが甘いのも、みんなに嘘をついてしまったのも私のせいなのに……シェルトを犬扱いなんて最低だわ。

 だからシェルトに謝ろうとしたのだけれど……



「ご、ごめ――」

「俺が犬になったら、アメリーがご主人様?」

「ん? まぁ……そうね。そうだったら大家さんに嘘をつかずに済むから……って、ごめ」

「わん!」



 はい?

 今、けっこうクォリティの高い鳴き声がシェルトの口から聞こえたのだけれど、空耳だろうか。キョロキョロ見渡すが、やはり部屋には私とシェルトしかいない。


「シェルト……さん?」

「ははは、どうです?上手でしょう? わん、わん!」



 予想外のクオリティの高さに唖然とする。



「……本当の犬みたいね」

「はは、良いですよ。アメリーが望むなら、喜んで俺はアメリーの犬になります。それよりお豆ハンバーグが焦げてしまいます。食べましょう!」



 犬扱いだというのにシェルトは嬉しそうに受け入れた。そして私の動揺など置いてかれ、テーブルに夕食が並べられていく。



「どうぞ」

「うん、頂きます」



 いつもとは違って白っぽいハンバーグに興味をもって先にナイフを入れると、力も必要なく切れる。そして半透明のソースを絡ませて口にいれた。



「ふわふわだわ!」

「でしょう? 白豆を茹でて、潰して裏ごしして手間をかけた甲斐がありました。ボリュームたっぷり、でもカロリー控えめなので遠慮なく食べてくださいね」



 うんうんと満足げにシェルトが頷くだけあって、軽い食感に感動する。半透明のソースはトロッとしていて細く切られた野菜が混ざっていてよく絡む。野菜だけなのに旨味がしっかりしていてコクがあった。


「鶏肉なんて入ってないわよね?」

「とろーりソースのベースが鶏ガラスープなんです。コラーゲンたっぷりでお肌に良いんですよ。野菜の栄養素と相性抜群の組み合わせで」

「お肌……そう、お肌なのよ!」

「アメリー?」


 思わずお豆ハンバーグを凝視してしまう。やはりシェルトの料理はただの栄養バランスだけでなく、私の美容にも考慮されていた。単に美味しく作ってるわけではなく……私に合わせたオーダーメイド。彼は約束以上の料理を出してくれていた。

 先程は流しかけた犬扱いの罪悪感を無視できなくなった。


「シェルト、さっきはごめん。きちんと約束通りごはん作ってくれてるのに、八つ当たりしちゃったわ」

「いえいえ、八つ当たりしたくなる原因があったんでしょ? 教えてくれますか?」



 私は今日のにゃんこ亭でのやり取りを伝えた。


「なるほど。お世話になっているマスターや皆様に嘘をついているのが気まずいと……それに、確かに付き合ってもいない親戚でもない男と同棲なんて周囲に知られたら、軽い女だと間違った視線を浴びそうですね。アメリーはそんな人ではないのに……」



 私が言いづらかったこともシェルトは言葉に出して理解してくれる。



「ねぇ、部屋はきちんと探してるの? 引っ越しの目星はついたかしら?」

「それが……」


 彼にしては珍しくため息をついて、耳と尻尾をたらんと垂らす。いやいや、あくまでそう見えるだけ。犬扱いしちゃ駄目だって反省したはずなのに……見えてくる幻覚を振り払らう。



「なかなか見つからないのね」

「はい。俺の希望は普通じゃないようで」

「普通じゃない?」

「はい。失ったものの代わりとなると条件が見つからず……ここを出ていく踏ん切りもつかなくて」


 シェルトは本当に困ったような顔で、力なく笑う。

 そういえば仕事も家も同時に無くしたって言ってたわね。つまりシェルトとしては同じような店舗件住宅のような物件が欲しいってことかしら。それなら確かに探すのは難しそうね。


 だとしてもしてもよ?

 ずっと住まわすわけにはいけないわ。確かにシェルトのお陰で快適だけど、ここはあくまでも一人暮らしのアパートで二人で長期住むには向いていない。

 二人で暮らすなら引っ越……いやいやいや! なんで私まで引っ越すのよ! ってかなんで二人で住もうと思ってるのよ。

 慣れって危ないわ~怖いわ~!

 私は頭を冷やすために、水を一気に飲んだ。



「ぷはぁ」

「ふふふ、おかわりどうぞ」



 空になったコップはすぐに満たされていく。私はそのコップを見つめ更に危機感を募らせる。

 この快適さはヤバイわ。

 でも彼は好意でやってくれているので文句も言えない。困ったわね、ともっともらしく腕を組んでみるが解決法方が思い付かない。


「アメリー、そんなに悩まないでください。簡単なことです」

「簡単って……」

「だから俺を犬と思えば良いんですよ」

「さっきの本気だったの?」


 シェルトは傷ついている様子もなく笑顔で頷く。


「アメリーに飼われるなら、俺は喜んで犬になれます。大型犬と思ってくれて構いません。さぁ俺を飼ってください、ご主じ――むごっ」

「言わせないわよ!」


 私はフォークに刺さっていたお豆ハンバーグをシェルトの口に突っ込んだ。

 危ない。ご主人様なんて言わせたら、シェルトを犬と認めてしまう気がするわ。私は彼をペットの犬にするわけにはいかない。



「まさか、ご主人様からあ~んしてもらえるとは! ご褒美ありがとうございます。わん」

「なっ……もう、なんでそうなるのよ」



 彼はハンバーグを食べきり、阻止したはずの『ご主人様』をさらっと言い放った。

 しかも鳴き声つきで……真面目に考える自分が馬鹿馬鹿しくなってきたわ。私も馬鹿になろうかしら。



「はぁ……あなたがそこまで乗り気なら仕方ないわね」



 ご主人様と言った事を後悔するが良いわ。私は右手をシェルトの前に出した。きっと今、すごい悪い顔をしている自信があるわ。


「シェルト……お手」

「――っ」


 シェルトが手を見つめて息を飲む。

 ふふふ、効いてるわね。さすがに本当に犬扱いしたら、早まった言動だったと考え直すはず。

 私は「やっぱり無しで」と許しを乞う彼を期待して、戸惑い揺れる新緑の瞳を見つめる。もうひと押しすればいけるかしら?


「シェルト、今なら止めても」

「わん」


 自然と上がっていた口角をそのまま引き攣らせた。手のひらを見ると、シェルトの右手がしっかり重ねられている。


「おかわり」

「わん」


 試しに次の指示を出すと、交代するように左手が重ねられた。

 嘘でしょ?

 と問うように顔をあげるが、何故か瞳をキラキラとさせたシェルトが視界に入った。


 その姿はとても清々しい。私は雷に打たれたような衝撃を受けた。彼は私の罪悪感のために本気で犬になろうというの!?

 違うわよね……犬扱いされても我慢できるくらい新居探しに本気なのだろう。仕事にも関わるというのに妥協して、焦って引っ越ししては駄目だわ。


 それにここで私が犬の件を冗談だと言ってしまったら、わんこになりきっている彼の覚悟を無下にしてしまうのでは、とも思った。

 もう少し同棲生活を送るためにも、まわりに誤魔化すためにもシェルト=わんこ設定は精神的に助かる。ここは甘えよう。



「ここに住んでる間だけ……シェルトは私のわんこ。本当にそれで良いの? 私は不器用だから本当に今みたいに犬扱いするかもよ?」

「もちろん! 俺は既に番犬のつもりで留守番していましたし、言ったでしょう? アメリーの犬なら大歓迎。まぁ俺が出入りしているのを聞かれたら、ペットシッターとでも言いましょうか」


 念を押すように確認したが、シェルトは当たり前のように受け入れてくれる。私のうじうじした悩みなど吹き飛ばすような、笑顔がまぶしい。

 あぁ受け入れてしまったら、シェルトからピンと立つ耳や激しく振られる尻尾が鮮明に見えてきたわ。



「あ、でも鳴き声はいらないわ。そこまで成りきらなくても良いのよ?」

「えぇー練習したのに」

「したんかい! 駄犬なの?」

「忠犬を目指してます」


 至極真面目なシェルトの表情に、笑うしかない。


「もうっ、ふふふ。シェルトったら」

「ささ、残りを食べてしまいましょう」

「そうね」


 そうして憂いが晴れたあとに再開させた食事は、より美味しく感じた。


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