第35話 餃子

「なぁ、近くに餃子屋あんじゃん。食って帰んない」とヨシユキの提案。

「今日は保護者も居ますし……」

担任は困ったようにヨシユキの父を見る。「俺は構いませんけど」と曖昧な返事に決定権は変わらずキョウコ先生のまま。


「先生も良いでしょ」「お願い」

「頼むよ。先生」


 無垢な少年少女の視線が、生真面目そうなグレーのパンツスーツに身を包んだ女教師に降り注ぐ。先生は大きな溜息を一つ漏らした。


「しょうがないわね」

キョウコ先生は押しに弱かった。



 場所は変わって近くの餃子屋。自分にとっては昔なじみの「みんみん」。野菜多めの餡は生姜効いていてサッパリとしている。


「おう、シンちゃん。久しぶりだね」

「お久しぶりです。タイショウ」


 名は知らぬ。父が「タイショウ」と呼んでいたので、自分もそう呼んでいる。もう、何か月も会ってないのに、気づいてくれたのが少し嬉しかった。


 でっぷりと腹のでたタイショウ、見た目に反して気遣い上手だ。家のことは何一つ言及することなく温かく迎えてくれた。少しだけ、家のことを聞かれたらどうしようかと不安があったが、サービスのザーサイが昔から変わらぬ油っぽい木のテーブルに、コトンと置かれると懐かしい気持ちが蘇る。


 美味い飯に話は盛り上がり、楽しい食事に、更に食が進む。終始、わいわいと騒がしいテーブルだったが、少しだけ気がかりなことが起きた。



「私が点を取られなきゃ良いんでしょ」

「たとえ、同点。延長、タイブレークに、もつれ込んだとして、九回以降はピッチャーを代えざるおえません」


 話はタイブレーク。もし、決勝戦、延長。「点を取るまで私が北犬飼打線を抑えてやるわ」と豪語するアオイに(決して豪語ではなくアオイならやってくれそうな期待もしているが)ケンゴが投球制限がある事を告げる。


「なんでよ。私は投げられるわよ」

「投球制限です。一日に七回まで。タイブレークの場合は九回まで、そういう決まりなんです」


「この、分からずや」とでも言うようにケンゴの喋りにも熱が入る。それをアオイは意外にもあっさりと答えを出した。


「ダメな時は……そうね、ユウナに任せるわ」


 アオイは考えてましたとばかりに主張する。拍子抜けの答えに少しだけ違和感を感じた。いつも真っすぐに、潰れることを知らない。いや、そんな事すら想像させない大黒柱の呆気ない幕引き。アオイがダメな時を考えていたということに少しだけ驚いた。


 自分以上に驚いていたのは、名の告げられたユイナだった。「へッ?」と最初は理解するのに時間がかかった様子だったが、その後は赤面し困ったように癖毛を弄りしながら「私なんて、私なんて」と繰り返した。


 その後は、ヨシユキの「俺が投げてやる」の一点張りで会話進み、ハヤトは「ユイナちゃんの投げる姿が見たい」と熱烈ラブコールを送る。ユイナ本人は既にダンマリを決め込み、困った視線を自分に投げかける。

 もしもの時、ユイナに投げて欲しいという気持ちはあるものの、そんな緊急事態を想像する事を頭が拒み、結局、自分は何も言う事もできなかった。


 話はリョウタの四度目「おかわり!」の声と共に、雲散霧消のごとく消え去った。話は餃子や白米と一緒に、衰える事ない掃除機に吸い込まれていく。「スゲーな」とか「マジかよ」とか感嘆の声と共に「食べすぎ」という体に気遣うような声も飛び交った。


 その後、リョウタの類まれな食いっぷりに場の空気は飲まれ、タイショウの「気持ちがいいねぇ」という言葉とともに店を後にした。


 話こそ曖昧に終わったものの、自分達が何処かで不安を抱えていた、けれど口には出せなかった「代えのピッチャー問題」が明るみになった瞬間だった。

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