50 勇者と魔術師
ときおり虹色に光る灰色の瞳はオズワルドには向けられず魔王だけを見ていた。
声を出しても熱風が音を浚い、消してしまう。
ふたりの元へ近づこうとするも、足取りはひどく遅い。夢の中で走ろうとしても満足に動けない時のようだ。
魔王は身を起こし、勇者は身をかがめて視線を近づける。
口が動いているので会話をしているようだ。だがオズワルドには何も聞こえない。
優し気なまなざしで勇者が問いかけ、魔王が頷いて答える。
どこか満足げに彼は笑った。
そしてゆっくりと魔王の首に手を伸ばす。
「待——、待て、アレキ!」
自分でも驚くほどの大声で叫ぶ。
「アクロは『魔王』ではないんだ! 連れていくな! 待ってくれ! アレキ! アレキ……!」
こんなことを言いたかったわけではない。
もしも会えたら謝りたいことがたくさんあるのに、口から出てくる言葉はまったく違うものだ。だが止められない。どうしてこんなに必死になっているのかオズワルド自身も分からなかった。
「アレキ、ごめん、やめてくれ、連れていってはいけないんだ、すまない、頼む……」
薄く透明な膜が張っているかのように視界がぼやける。目をこすっても視界は晴れない。
根拠はないが、理解した。恐らくここは夢魔の能力によって構築されたアレキの空間だ。
だとすると今はまどろんでいるのか? いつから?
「お前をひとりで逝かせた俺を、許してくれ……」
足を止め、うなだれる。
視界の中に履き古した靴が入ってきた。
「許すもなにも、オズは最期まで僕のそばにいてくれたじゃないか」
はっと弾かれるようにおとがいを上げる。
いつか旅の途中で立ち寄った丘の上に、オズワルドはいた。
となりにはアレキがいる。
彼の横顔をわずかな間眺めたあと同じところに視線を向ける。
「——アレキ」
「ん?」
「お前、神様扱いされて信仰対象になっているぞ」
「……『勇者』の次は『神』かあ。まいったもんだね」
「まったくな」
沈まない夕日がふたりを照らしている。
どれくらいたったか。小さくアレキが言葉を溢す。
「これは僕の最後の夢だ」
風は吹かず、生き物の気配は存在せず、固定された太陽が光っている。
まるで絵の中にでも入り込んだかのような世界だ。
同時に、この場面がアレキにとって印象深く大事な景色なのだろうと察せられる。
「とはいっても夢の中で行く場所ははるか未来のものもあったから、ここで終わりではないんだけどね。だけど、確かにこれは僕の人生で見る最後の夢なんだ」
彼は手を差し出す。オズワルドも、現実のものより傷が少なく若い手を出す。
手を繋いだ。
体温はない。
これが夢だということを再認識させられる。
「ここだから言うけどさ――きみの人生のうち二年を僕のために使わせたのは申し訳ないと思うと同時に、嬉しかったよ」
ひどい男だよね、とアレキはけらけらと笑う。
オズワルドは黙って首を振った。
「目を覚ますといつもきみがいた。だから僕は安心して眠れた。ありがとう」
「礼を言われることなんてしていない」
「本当にもう……素直に受け取りなよ。そういうところが魔術師が嫌がられる所以だよ」
「主語がでかすぎんだろ」
後ろからぱきぱきと薄い氷が割れるような音が聞こえ始めた。
——この世界が終わる時が近いのだ。
「アレキ」
「ん?」
「幸せだったか?」
「うん」
「そっか」
アレキの手を包み込むようにオズワルドの手が被さる。
「……我が名にちからをお分けくださる魔術の神にして始祖ヒタンの加護を」
青色の魔法陣がアレキの手の甲に浮かび上がり、瞬きする間に消えた。
別れる友への、最後の魔法。
どちらともなくふたりは手を離す。
「さようなら、オズ。僕の、とっても強い魔術師で、理解者で、親友で、愛しい人」
世界が崩壊する。
アレキの胸元で見覚えのある青いブローチが輝いたのは、気のせいだっただろうか。
〇
「——死にかけていましたね、わたしたち」
地面のひび割れに足を取られ仰向けになったまま、アクロは呟く。
そばで同じく仰向けに転がりながら納得したようにオズワルドは頷いた。
「つまりあれは臨死体験か……」
「勇者が夢の中を移動できるのは知っていましたが、死にかけた意識にも入ってこれるんですねえ」
「お前の好奇心旺盛さには驚くよ……」
白々と明けていく夜空を眺めながらアクロは「先生」と呼びかける。
「わたしの――正確には魔王としての最後に、勇者がわたしに言ったんです」
「なんて?」
「『生まれ変わったら、一緒に旅をしよう』って」
「とんだ口説き文句だ……」
「あの場所しか知らなかったわたしを連れ出そうとしてくれたんでしょうね。お人よしです」
「本当にな」
アクロは夜空に手を伸ばす。
星は遠く、掴めない。
「ああ、世界って広いんだなって。それできっとあなた達と旅が出来たらうれしいなって――そう思って、死にました」
「そう、か」
「生まれ変わったわたしの相手をしてくれていた、誰にも見えない『おにいちゃん』は勇者だったんですね。そこまでわたしの面倒を見なくていいのに」
「お人よしなんだよ」
「本当に」
手首に巻いた皮紐、そこに通した灰色のビーズが無事であることを確認する。
アレキに渡された形見。
「あの日、墓前で『旅をしたかったのにどうして置いて行ったの』と言いたかったんです。でも、今は違う」
一拍置いて。
「『【紺碧の魔術師】の弟子になるから、あなたとはいけません』って伝えました」
思わずオズワルドは笑ってしまった。
誘いをきっぱりと断られてどんな顔をしていただろう。
「——あいつは、どう答えた?」
「『それなら仕方ないな』って。彼を頼むよ、と笑っていました」
アレキなら言いそうだ。あっけらかんと、軽い口調で答えたはず。
あの時『一番弟子にしてくれ』と約束したことを忘れているとは思えない。覚えているからこそ、アクロに託したのだろう。
もう自分と交わした約束に縛られなくていいと。
「でもひとつ持っていかれましたよ」
「え?」
「先生の『魔力封じ』。これぐらいはいいよねって」
アレキとの別れ際、青いブローチが彼の胸元にあったことを思い出す。
あれは『魔力封じ』だったのか。
「……まあ、そろそろ師匠の手配したルミリンナ用の『魔力封じ』が届く頃合いだからいいけどな」
「あ、ルミリンナ呼びになってる」
「あったりまえだろ。緊急事態だったから名前を呼んだが、普段なら家名だ。変な噂が立ったらどうする」
「もう手遅れではないですか? 寮母さん、わたしと先生の関係をすごい疑っているんですよ」
「んもー……疑い深いんだよなあーあのひと……」
さて、とオズワルドは起き上がった。
「事後処理を始めるぞ、ルミリンナ」
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