47 勇者亡き世で魔王退治を

 凄まじい魔力が押し寄せる。あの図書館での暴走が可愛いと思えるぐらいのものだ。

 クラリスが倒れるのが見えたがどうすることもできない。あの壁の向こう側で子どもたちもよく分からないままに意識を失っているだろう。

 オズワルドも鼻血を流していた。いくら魔術師で濃い魔力に慣れているとしても、負荷が重すぎる。

 それでも立ち続けているのは意地だった。


 魔王は、触手を生やした魔獣をきんいろの瞳でじっと見つめた。

 そしてずるりと身体を引きずるようにして動き出す。首を一周する傷からは絶えず黒い血が溢れているが気にする様子もない。

 魔獣はばちばちと触手や尻尾を床に叩きつけながら牽制していた。


「■■■」


 魔王は口を開け、ざらざらとした音を出す。

 意味はオズワルドには通じない。だが、魔獣が一瞬怯えたのは確かであった。


「□□」


 こちらも耳障りな音で返す。

 どうやら魔王と魔獣は『会話』をしているようであった。

 もっとも、友好的な内容でないのは自明であるが。


「■■■」

「□□」


 焦燥を滲ませたり怒りを露わにしたりと魔獣の表情は忙しいが、魔王はいっさい顔色を変えない。そもそも情緒があるのかどうか。


「□□」


 先に動いたのは魔獣であった。

 壁を駆け、天井へ飛ぶ。ざくざくと天井に触手を突き刺してぶら下がった。重力に耐え切れず、天井が落ちる。

 魔獣は唸りながら、瓦礫とともに魔王に勢いよく飛びかかった。

 慌てた様子もなくごく自然な動作で爬虫類のような腕を伸ばし、魔王は蝶を飛ばす。ばちばちと硬い音とともに瓦礫が粉々になり、触手が何本も裂ける。あそこまでオズワルドが苦労したものを、いともあっさりと。

 ひるんだ様子だったがそのまま魔獣は魔王を押し倒す。サイズも重量も魔獣のほうが倍以上ある。

 尻尾をゆらりと頭上に掲げ、そのまま組み伏せた魔王を貫こうとした。


「ルミリンナ!」


 あれがアクロだという確証はどこにもない。

 彼女があの中で欠片でも残っているのかすら不明だ。

 それでも身体が咄嗟に動いた。

 鋭い音ともにオズワルドの展開した魔法陣が尻尾を跳ね返す。魔王は一瞬オズワルドに視線を向けたがすぐに魔獣へと戻す。

 そうしているあいだにもがりがりと魔獣は牙を突き立てて傷をつけていく。黒い血が周囲に溢れていった。

 ——溜まった血だまりから、黒い蝶が無数に生まれた。それらは魔獣の身体を包み込んでいく。触手が抵抗を示すも次第に動きがにぶくなっていき、最後には沈黙してしまった。


 がばりと。魔王の腹が縦に裂けた。

 そこにあるのは鋭い牙だ。


 最初からこうするつもりだったのだろうか。

 わざと接近させて、血を流させることで蝶を発生させ――食べやすくする。


「□□!」


 魔獣は必死に抵抗するが、何もかも遅い。

 蝶は液体へと変わり魔王の「口」の中へと引きずり込んでいった。まるで大きさも違うはずなのにやすやすと吸い込まれていく。

 骨が折れ、肉が千切れる音が響き渡る。

 おぞましい悲鳴が長々と続いていたが――やがて止んだ。


 喰らいつくし、魔王ただひとりがいるのみ。

 

 壊れた天井から空をしばらく眺めていたが緩慢な動作で起き上がる。

 そして、立ち尽くすオズワルドに目をやった。


「■■■」


 なにかを呟くと、魔王の後ろに魔法陣がいくつも浮いた。

 すべて攻撃魔法だ。

 納得したように頷いてオズワルドも多量の魔法陣を展開した。


「今のお前は、『ルミリンナ』ではなくて『魔王』なんだな」


 聖女は頼れず。

 戦士は居らず。

 ――勇者は死んだ。

 ここにいるのは魔術師のみ。


「勇者亡き世で魔王退治、か」


 さみしそうに、【紺碧の魔術師】は言う。

 そしてこの数週間毎日のように弟子にしてくれと通って来ていた少女――であったものに杖を向ける。


「悪いが、俺を食おうとするやつを弟子にするつもりはないぞ」

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