40 アレキ


 床に倒れる人物を見て、オズワルドは手にしていた食料や薬を放り投げて駆け寄った。


「アレキ! アレキ、しっかりしろ!」


 肩を揺さぶり呼びかける。

 ほんのわずか力を籠めるだけでぐらぐらと揺れる身体に恐怖し、オズワルドは手を止める。

 ひどく軽い身体だ。頬はこけ、手足は枯れた枝のように細い。唇は脱水を起こしひび割れていた。

 ――それが【鈍色の勇者】アレキ・レッセンブラの成れの果ての姿だった。


「……っ」


 泣き出しそうな表情でオズワルドは黙る。

 彼らの周辺の家具がカタカタと揺れ出した。置きっぱなしの瓶にひびが入り、生けてある花の花弁が落ち、机と椅子が軋み音を上げる。

 魔力の暴走、その前兆であった。


「——僕の家を壊すなよ、オズ」


 静かな声が響く。ふつりと魔力が消えうせた。


「アレキ……」

「水が飲みたくて立ち上がったら、そのまま転んでしまったんだ。もうその時点で疲れちゃって、どうしようかなあと思っていたら寝てた」

「お前なあ……」

「死んだかと思った?」


 いたずらっぽく笑う友人に、オズワルドは言葉を失う。それから額を叩いてやった。

 手を貸してベッドに寝かせる。水をコップに入れ渡すも、わずかにしか口に含まなかった。

 複雑そうにその様子を見ながら隣に椅子を持ってきて座った。


「悪いね。……いつも言っているけど、僕なんかの面倒を見なくてもいいんだぜ」

「うるせえ、俺が好きでやっているんだから口を出すな」

「いや世話されているの僕なんだけど」


 抗議の声は聞かないことにした。

 ふと思い立ち、杖を出して振る。天井が雲のたゆたう青空に変わる。


「わ……すごいな」

「師匠に昔教えてもらったんだ。気分転換にはなるだろ」

「なんか意外だな。オズにこういうことする感性が残っているなんて……」

「豪雨の空でも映してやろうか」


 ふたりで天井を眺める。

 言葉はないが、けして気まずい空気ではなかった。話したいときに話すし、黙りたいときに黙る。短い付き合いとはいえ濃厚な時間の中で彼らはそのような気ままな関係を築いていた。

 ぼそりとアレキは呟く。


「最近、いつにもまして夢を見るんだ。たくさんの夢……」

「そうか」


 アレキの一族は――彼ひとり残して全滅したが――夢魔の子孫だという。

 村の中だけで密やかに伝えられる根源ルーツであった。アレキはオズワルドにだけしか明かさず、国も教会も知らないはずだ。

 ひとの夢に入り込み、たぶらかす悪魔。

 時として遥か未来の夢に入り込みそこから予知をしたり、夢と夢のあいだを渡って秘密裏に情報の取引をした者も居たという。

 もはやおとぎ話にしか出てこない存在である。滅ぼされたのか、アレキの先祖のように人間とともに生きることを選びちからを失っていったのか――。その真相は、永遠に解明されない。


「なんにも覚えていないんだけどさ。なんとなく、起きた時、寂しい気持ちになるよ。誰かの夢なのかな」

「……魔王の時もそう言っていたな」


 魔王城が近づくにつれて、アレキは頻繁に「夢を見た」と言うようになった。

 ——内容を覚えていないけど魔王と話したんだ。

 それこそ夢のような話であったが、アレキの目は真剣そのものであった。オズワルドはどう反応していいものか分からず流していた記憶がある。


「うん、ちょうどあの時と同じ気持ち。手を差し伸べたいのに上手くいかないもどかしい感じがする」

「寝ても覚めても気が休まらないな」

「他にやることもないから気にしていないよ。夢を見るのは嫌いでないし」


 ざわりと妙な感覚を覚え、窓の外を見やる。カーテンが薄く開けられた向こう側で黒い蝶が舞っていた。

 目を瞬いたあと、ためらいがちにオズは口を開く。


「なあ、アレキ」

「どうした?」

「これそのものが夢ってことないか?」


 目を丸くした後にアレキは吹き出した。


「オズはすごいなあ、どうして分かったの」

「蝶が……」


 あの黒い蝶に見覚えがあるはずなのにうまく思い出せない。


「そっか。もう帰りな、このままだと僕の夢に囚われてしまうから」

「……俺は別にそれでもいいよ、アレキ」


 アレキの手を握る。今にも折れてしまいそうで怖かった。

 息が詰まる。これが夢だとしても言いたかった。もう伝える相手は現実にはいないと分かっていても。


「わがままになれよ。怒って、泣いて、暴れても誰も咎めやしない。咎めさせない。俺はこのままお前の夢の話し相手としてずっと居てもいいんだ」

「ばーか。魔術師って本当に変なところで覚悟決めているよね。そんなの僕は望まない」


 するりとオズワルドの手を抜け、アレキは彼の頬を包み込んだ。


「これだけは言っておくね、オズワルド・パニッシュラ」


 周りの景色が溶けていく。

 青空が砕けて降り注ぐ。まるで雨のように。


「停滞した未来に、希望はないよ」


 暗闇に放り出された。



 目の前にアクロの逆さまの顔があった。


「おはようございます、先生」

「え?」

「入室したら床に転がっているものですから驚きましたよ。さすがに床で仮眠はやめておいた方がよろしいかと。わたしの二番目の兄はそれで腰を痛めているので……」

「は?」


 後頭部が温もりがあって柔らかいのは何故だろうか。


「あと眼鏡は外しておきました。結構度が強いんですね」

「ん?」

「大丈夫ですか先生、先ほどから応対が一文字だけですけれど」

「ルミリンナ」

「はい」

「お前、今なにしてる?」

「なにって」


 彼女はきょとんとしながら言った。


「膝枕ですけど」

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