第16話 謎の魔獣と護衛する幼馴染みと私

 寮の外は真っ暗だった。

 一応正面玄関に明かりはあるんだけど、故障しているみたいで点灯しないのだ。街灯の類もないので、右手に持ったカンテラの明かりだけが頼りだ。


 嫌な気配は幸いにも、というかなんというか、お風呂の向こうから漂ってくる。

 左手に抱えた桶には、着替えとタオルと護身用のアミュレットが入っている。様子を見るだけのつもりではあるけど、さすがに丸腰はまずいしね。


 桶を脱衣所に置いてアミュレットを取り出し、お風呂の向こうの暗がりに目を凝らす。光に寄ってくるタイプの魔物、ではなさそうだ。


 近付いたせいでさっきよりも気配が濃厚だ。

 ……これ、思ったよりも強いやつかもしれない。


 あんまり一人で深入りしない方が良さそうだから、いったん戻ろう。

 そう思って桶に手を伸ばしたときだった。急に森の奥の嫌な気配が膨れあがる。


(ヤバっ)


 私は桶を引っつかんで、慌てて脱衣所を後にする。


 何だこれ。今まで気配をわざと弱く見せかけてたってこと?

 魔物の気配を感じられるのなんて、それこそ聖女か勇者か、よっぽど力のある魔法使いか、って感じなんだけど。

 何かの罠? 罠だとしたら、誰を狙ってるの?


 走りながらぐるぐる考える。カンテラの明かりが消えないように気をつけながらだから、全力疾走はできない。


 気配が背後から近付いてくるのを感じる。完全に獲物として狙われている。すぐ近くのはずの寮がめちゃくちゃ遠く感じる。

 でも、なんとかそこまでたどり着けば……


 願いも空しく、気配は一気に跳躍して私の行く手を阻むように着地した。

 正面に現れたそれの姿が、カンテラの弱い明かりでよく見える。


 大型のネコ科っぽい魔獣だった。頭の位置が私の身長の倍くらいの高さにある。でかい。

 こんな大型の魔獣が空飛ぶ学園に侵入してることなんてある? 空も飛べそうにないのに!


 魔獣は金色の瞳を嬉しそうに細めた。完全に獲物をいたぶるときのネコ科の顔だ。怖すぎる。

 とても生半可なアミュレットでは対抗できそうにない。


 ということは、不本意だけど、こうするしかないわけで。

 絶対怒られるという気持ちと、結局頼りっぱなしだっていう情けなさと、目の前の魔獣に対する恐怖と、いろんな感情がごちゃまぜになって泣きそうになりながら、私は大きく息を吸った。


「……クライス、助けて!」


 合い言葉に反応して、護りの術が発動する。

 タイミング的にはギリギリだった。魔獣が振り下ろした爪の一撃が、氷の盾に弾かれる。


 魔獣の瞳孔が大きくなって、カンテラの明かりを反射して赤く光る。

 反抗されたことで本気になってしまった、という雰囲気だ。明らかな殺気をこめて、魔獣は再び前足を振り上げた。

 今度はいたぶるようにではなく、本気の勢いの爪が振り下ろされる。

 もう一度攻撃を防いだ氷の盾に、魔獣は爪を立て、そこに魔力を込めてくる。


 破ろうと、している。

 クライスの魔術がそう簡単に破られることはないと思うけど、生きた心地がしない。


 この隙に逃げだしたいところだけれど、護りの術の範囲から出てしまえば、もう一度発動させる前に攻撃を食らってしまいそうだ。


 選択肢は二つ。

 クライスが助けに来てくれるのを待つか、いろいろバレてしまうのを覚悟の上で聖女の力を使うか。

 聖女の力はほとんど残ってはいないけど、このレベルの魔獣なら逃げだす時間を稼ぐくらいのことはできる、はずだ。


 ――でも。

 それをしたら、この楽しい時間は終わってしまう。

 まだ、始まったばかりなのに。


 無意識にぎゅっと両手を握り締めていた。

 脳裏に浮かんだクライスの顔は、どこか悲しそうな無表情だ。いつものうさんくさい笑顔じゃなくて。


 守られるだけじゃなくて、隣に立って、なんか楽しいこと、ずっとしていたいだけなのにな。


「……もう! なんでこんなのがこんなとこにいるのよ!」


 腹立ち紛れに叫んでみるけど、魔獣はもちろん引かない。私を守ってくれている氷の盾に、ぴしりと一筋のひびが入る。


「リアナ!」


 その瞬間、この世で一番安心できる声が私を呼んで、まるでその声に弾かれたみたいに魔獣が身を引いた。その足下から氷の花が咲くように、四方八方に氷の槍が伸びる。


「うわ、馬鹿! 僕を巻き込むな!」


 魔獣の向こうからオルティス先輩の叫び声が聞こえるのと、駆け寄ってきたクライスに肩を引き寄せられるのが同時だった。


「捕らえよ」


 クライスは悲痛な叫びには返事もせずに魔術を使って、魔獣の足下を氷漬けにする。

 動きを止めた魔獣の首に、大きく跳躍したオルティス先輩の剣が振り下ろされる。


 その余波から逃れるために、クライスは一挙動で私を抱き上げ、後ろに飛んだ。


「グオオオオアアアアアアアァアァァァ!!!」


 断末魔の声が辺りの空気を揺らす。同時にその姿がブレて、しゅうしゅうと黒紫色の煙を吹き上げながら、輪郭が縮んでいく。


「な、何これ……?」

「悪意のある魔術のようですね」


 縮んでいく魔獣を鋭い目でにらみ据えながら、クライスが低く答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る