エミリカ参上!!


 いきなりだがこの男子生徒、宇野一弘はかなりイライラしていた。


 理由はいくつかあるが、主な理由は空腹である。お腹が空いたせいで彼のイライラはスゴく、猛烈に、爆発しそうなくらいのピークに達していた。


「チャイムが鳴るのは16時15分・・・ここから購買まで走れば5分だが、夕方はパンがタイムセールでどれも一個100円・・・そして手持ちも100円・・・部活前の腹を空かせた豚ゴリラの群れが殺到するのは必至・・・」


 ブツブツと独り言ちる宇野。彼は教室の正面に設置された時計を見る。


 この無駄に長くて必要性が果たしてあるのかも疑わしいロングホームルームも、あと残り十五分程度である。


 スタートダッシュが肝心、宇野は誰より早く帰れるよう、教材を片付ける為に机の横のフックに掛かったスクールバックに手を伸ばす・・・その時だった。


「おい、宇野、宇野一弘。お前今日遅刻してきただろ!罰として職員室から三者面談のプリントを取ってきてくれないか?うっかり忘れてきてしまってな」


 担任教師の立石が無駄に大きな声量で宇野を呼び、遅刻のペナルティーを言い渡してきたのである。それに宇野は、「はぁいぃぃ~」と力なく応える。


「うわっ、そんな凄く嫌そうな顔をするなよ。本当にお前は顔に出るな、宇野。そういう時は嫌でも喜んだ顔をして従わないと、内申点に響くもんなんだぞ」


「成績なら間に合っていますよ。このままで十分に志望校圏内です。それに成績をチラつかされて媚びへつらう安い人間にはなりたくありません!」


「それは高尚な志をお持ちで。あのなあ、宇野。お前が如何にここから出ていきたいかは手に取る程分かる。さっきから何度も時計を凝視していたからな。チラ見どころじゃない、凝視だ。もう穴のあくほど、それこそ目からビームが出るんじゃないかってくらいに」


 教師の立石はため息を挟み、話を続ける。


「けどこれは罰なんだよ、ルールを破ればそれ相応の罰が下る。学校はな、勉強するだけの場所じゃない、それを学ぶ為に、社会に出る準備として、学校というのがあるんだよ、こびを売れとまでは言わんが、外面良くするのも勉強。社会に出たらいくらでも媚を売らないといけない場面がある、それも仕事の内でな、先生だって」


「・・・その話、なんか長くなりそうだし、行ってきます・・・」


「それで良し、じゃあ行ってこい、お前の働きで、お前自身とクラスのみんなが時間通りに帰れるかが掛かっているんだからな」


 分かっていますよ、と宇野は嘆息混じりに重い腰を上げる。そして教師と級友からのからかいを背にドアまで歩き、


「五分で帰ってきます」


と一言残して教室を出ていく。



 宇野は「なんで先生のうっかりによる失敗の尻拭いをしないといけないんだ?」とぶちぶち不満を漏らしつつ、一般棟の一階廊下を曲がり、窓も壁もない、鉄筋コンクリートの柱が並ぶ渡り廊下へと出る。廊下は中庭に面していた。



 渡り廊下を歩きつつ中庭を見やれば、白百合の花が、傾いた日の光によりオレンジ色に染まっている。それを横目に、中央の一般棟へと入っていく。



 ここ、宝ノ殿中学は一般棟が二棟、特別棟が一棟の三棟で形成され、俯瞰視点で見れば『三』の形を成している。



 ありきたりな学校ではあるが、いかんせん広い。



 どの棟も三階建てで、横の長さがやたらと長い。二百メートル走をするにも十分な長さがあった。その分、生徒も多い。


 この学校は一クラス四十人で九クラスあり、全校生徒で千人近くいるのだ。


 少子化の中で千人を超えるというのは良い事ではあるが、人数が多ければその分、色んな問題が起こるというものである。


 中学生というのもあって、悪戯や悪ふざけが後を絶たない。


 宇野の苛立ちは空腹だけでなく、その悪戯にも原因がある。


 それは、今日の遅刻にも関わってくるのだ。


 朝、宇野が自転車で登校し、クラスごとに指定された駐輪場へと自転車を停めようとしたのだが、数台の大きなトラックが駐輪場の前に軒並み停めてあり、自転車の通行が阻まれてしまっていたのだ。



 聞けば電力会社のトラックで、この所続く原因不明のブレーカーダウンの原因を調べに来たのだそうだ。



 どうせ原因は頭の足りない奴が面白がってコンセントを差すプラグにシャーペンの芯でも突っ込んだだけだろう。と宇野は踏んでいた。現にそのような事件が過去に何度もあったのだ。



 しかしそのせいで、宇野は靴箱から離れた別の駐輪場まで停めに行く羽目となり、急いで校内に向かうもなんと玄関口で三階から掛けられた応援幕がなんかの弾みで宇野の頭部に落ちてきたのだ。


 その応援幕はサッカー部のインターハイ出場を応援するものだったが、どうにも敗退したようで、その幕を教師の誰かが下したらしい。


 くそう、サッカー部め、敗退しやがって!と宇野は関係ないサッカー部を忌々しく思いながら、己の身を包む応援幕を払い教室へ向かう。


 が、後一歩、タッチの差で無慈悲にチャイムが鳴り、職員室にて教師達の視線が集まる中、遅刻届けを書く事になったのだ。



 まあ、ギリギリに登校しなければ良いのだが、ついつい、朝の情報番組のワンコのコーナーとその後に続く番組終わりに流れる正座占いが気になって見てしまう。もしこの占いで宇野が一位なら、番組の最後まで見ずにさっさと登校できたものを、なんと今日は最下位、ラッキーパーソンは奈良漬けとあった。



 その占いは実に当たっており、さらに不運なことに宇野の財布は100円しか入っておらず、空腹際立つお昼時に学食も購買も利用できず、給水器の水で空腹をごまかしていたのであった。



 まったく、朝から踏んだり蹴ったりな一日である。



 こういう日は嫌な事が立て続けに起こるものだと宇野の予感が警鐘を鳴らしていた。すぐにでも用事をすまして教室に戻るのが吉である。



 渡り廊下先の特別棟に入る前に、一度、中庭とは逆の駐輪場を見る。六時間目まで停まっていた忌々しい電力会社のトラックが今、出発したところだった。



 コイツラサエイナケレバ・・・



 と、宇野は邪気を放ちつつ、さっさと職員室に行って用事を済まそうと足早やに廊下を歩いていた。



 しかし、その時だ。



 耳に痛いほどの怒号が廊下に響き、宇野の耳を強く響かせる。



 何事かと渡り廊下の先、特別棟入ってすぐ横にある家庭科室、その扉の前に目を送ると、二人の人影があった。



 一人は真っ赤な顔で怒鳴り散らす男性教師だ。


 宇野は名前を思い出そうとする。


 あれは、たしか、学年主任の理科教師・・・ゴリ松?だったか?


 あだ名が独特過ぎて宇野は本名を思い出せずにいた。


 まあ、今後、彼の名前はさして重要でないので、ゴリ松と表記していく。


 それと隣にいるのは顔も名も知らぬ女子だ。手には何故かフライパンを持っていた。


着ている白のスクールブラウスの胸元を見れば、水色のリボンをしている。一学年下の一年生だろう。その女子は少し日に焼けた肌を持つ顔を俯けて大粒の涙を流していた。


 これは何かあったんだな、と宇野は他人事で済ましその場を後にしようと踵を返した時、その男性教師、ゴリ松から声が掛かる。



「おい、ちょっと待てや!」


 まずい、と宇野は嫌な予感を覚えると同時に後ろを振り返れば、ゴリ松が訝しい顔でこちらを睨みつけていた。


「お前、二年の宇野だったな。なんでこんな所にいる?6限目はロングホームの時間だろうが!」


 宇野は作り笑いで、ハイそうです、と返す。ここで事を荒げてはならないと本能が察知する。


 改めてゴリ松を見れば、何があったか知らないが、かなり激昂しているようだった。ここは飛び火する前に理由を話してすぐに退散するのが得策だろう。


「いえ、担任に言われてプリントを取りに来たんですよ」


 宇野はそう言って両手をヒラヒラと振り、身の潔白を示す。


「ふんっ、そうか。だが、この時間に一人でいるお前も怪しい、少しお前にも付き合ってもらうぞ、こっち来い!」


 あ?なんだって!?


 宇野は心の中で聞き返す。


 こっちは急いでいるというのに何をさせようというのか?


 釈然とせぬままゴリ松について行くとそこは家庭科室であった。


 中に足を踏み入れると途端に甘く柔らかな芳香が鼻腔をくすぐった。と同時に先程の女子が家庭科室中央の調理台に進み、涙ながらに述べる。


「だから、言っているじゃないですかっ、この家庭科室の鍵は開いていたって!なんで信じてくれないのよっ!」


 女子は必死に語るが、一体何があったというのか?宇野は辺りを見渡す。


 家庭科室を見渡せば、ガスコンロの上にある一つのフライパン、白い煙がくすぶっている事から、使用して間もない事が伺える。そしてコンロに隣接した銀色のアルミ製テーブルの上には皿が置いてあり、その皿には幾つかの黄色いパンが積まれていた。それを見てこのパンが甘い香りを放っていたのに気付く。


 この女子はここで何やらフライパンを使用し、パンを焼いていたのだろう。


 他に変わったところと言えば、一つだけ開かれた窓くらいなものか、この学校の窓は基本的に上と下の二段に分かれていて、下の段は長方形をした普通の窓、上の段は正方形の小窓となっている。開けられているのは普通の窓だった。


 なるほど・・・まったく話の全貌が掴めない。


 宇野は状況を理解する為に質問する。


「あの、何かあったんですか?」


 宇野の問いにゴリ松は鼻息を鳴らして答える。


「ふんっ、この一年の柳田だっけか?こいつが、俺の脚立を勝手に使って家庭科室に侵入してこんな菓子を作っていたんだよ。最近学校でよく電気のブレーカーダウンが起こるが、事件の犯人はこいつだと俺は踏んでいる。家電の使い過ぎが原因だろうな・・・」


 脚立ですか?と宇野は開いた小窓の外や周辺を見るも、そこには脚立の姿はどこにも無かった。


「ああっ、そうだ、俺が渡り廊下に置いていたんだがな、少し前にトイレに行った隙に何処かへ隠されちまった。それで探しているうちに使われていないはずの家庭科室の小窓が開いている事に気付き、駆けつけたらこいつが料理していたんだ」


 それに女子は反論する。


「だから脚立なんか使ってないです!家庭科室は開いていたの!そりゃ無許可で家庭科室や調理器具を使ったのは悪いと思うけど・・・」


「いいや、信じられんな。どうせその食材も準備室の冷蔵庫から持ち出して使ったんだろう、いいか、盗みを働く事は立派な犯罪なんだぞ!」


「これは自前よ!それに窓から侵入って言っても、脚立なんかどこにもないじゃない!」


「そりゃあ、家庭科室に入った後に隠したんだろ。それか共犯がいるとかな!犯人は現場に戻ると言うし・・・」


 ゴリ松が宇野に嫌な視線を送ってくる、これは完全に疑われているのだろう。


 勝手な解釈で巻き込まれるのはたまったものでは無いので、宇野はとにかく状況を整理するのに努める。



 ここまでのゴリ松の言い分と柳田という女子の証言を合わせて考えれば、ゴリ松が確たる証拠の無い妄想だけで憶測をしている可能性が高い。恐らく、この所続く学内の電力のブレーカーダウンに気が立っていて、冷静さを欠いているのだろう。それか元来の性格か・・・



 対して、柳田の方は嘘をついているようには見えない、というか嘘をつくメリットが無い。脚立を使ってまで家庭科室に侵入ってのもありえない。


 外から窓に入るのに脚立はそこまで必要はないと思う。


 確かにこの柳田という女子は小柄で脚立無しに入るのは難しいだろう。


 しかし、ゴリ松が偶然置いた脚立をくすねるより、職員室から鍵をくすねる方が断然バレる確率は低い。


 なによりこんな小柄な女子が脚立をかついで歩くのは目立ちすぎるだろう。


 宇野が思案している中、ゴリ松が口を開く。


「とにかく、お前ら職員室に来い!詳しい話を聞くことにする!」


 なんてこった、と宇野は両手で顔を覆う。


 これは確実に放課後まで残されるパターンじゃないか!


 というかこの女子もなんでこんな時間に料理したんだよ、と宇野は巻き込まれた原因である柳田を恨めしく見ると、柳田は頬に涙を流しつつ、


「そんな、お願い、せめてこの一枚だけでも焼かせてよ、もう少しで焼きあがるんだから!」


 柳田の手元を見れば左手にはフライパンが、右手はさえ箸がしっかりと握られていた。



 って、え?こいつこんな状況でまだ料理続けてたの?



 宇野は目を見開きながら柳田が持つフライパンを見る。


 中を見れば確かにパンが焼かれていた。

 形は食パンをくりぬいたのか、なにかの形に模られていた。

 フライパンが煙をくすぶっていたのは、これらを弱火で焼いていたのだろう。

 パチパチと油が弾ける音がした。



「何を馬鹿言ってるんだ、ただでさえ無許可なのに見逃せるはずないだろう。そんなもん置いてさっさと来い!」



 それは宇野も同意だった。


 彼はやれやれと溜息を吐く。


 ここは仕方ない、これ以上の遅延と悪目立ちを防ぐ為だ。と宇野は重い腰を上げることを決意すると、彼は起こりうる可能性の一つを選定し、この状況を打開する為に口を開こうとした、その時だ。



「その子は脚立なんか盗んでいないわ!」



 突如、家庭科室に響く鐘の鳴るような大きな声に、皆が部屋の入口に振り向く。そこにはドア枠に背をもたらせ、猫のような鋭い眼光でこちらを見つめる一人の女の子がいた。


 背まで届くほどの長い亜麻色の髪に縁どられた白くて小さな顔、その顔にそつなく収まった小さな唇は口角を少し上げて、不敵な笑みを含んでいた。



 突如現れた女の子が放つ異様な雰囲気にゴリ松は戸惑いながらも口を開く。


「な、なんだお前?いきなりなんだ?それじゃあお前は脚立がどこにいったか知っているのか?」



「いいえ、知らないわ!」



 彼女はそう言って、この家庭科室に踏み入り、毅然としてこちらに寄ってくる。歩を進める度に緩くカールした毛先が揺れる。それと同時に彼女の持つ母性の象徴が大きく揺れ、それに伴って胸元の赤いリボンが忙しなく動き回る。



「けど、彼女は違う!」



 その女の子は柳田が焼いたパンの置かれたテーブルの前までくると、そこに手を置いて、自信溢れる声で言い放った。


 宇野は胸のリボンの色から自分と同じ同学年の二年生だと気付く。どこかで会った気はするが思い出せない。ニアミスくらいはしているだろうが、いかんせん人数の多い学校だ。覚えのない顔なんていくらでもある。


 だが、どこか記憶に引っかかるものがあった。この子の持つ表情に・・・


 その表情には異様な凄みがあった。見る者を怯ませる活力に満ちた表情。確たる自信。一度見たら、忘れられないような、そんな凄みが・・・


 宇野は問う。


「あんたは・・・誰だ?」


 すると、彼女は答えた。


「エミリカよ!知らない?」


「・・・?・・・いや・・・誰だよ・・・」


 当然知っているだろと言わんばかりの彼女だが、その名に記憶がなかった。


 しかし、理科教師のゴリ松は、


「なんだと!エミリカだと!」


 驚きを隠せない顔のゴリ松、それに続き恐る恐る口を開く柳田。


「あ、あなたはエミリカさん!」


 そんなに有名なのか・・・宇野は改めてエミリカを見る。


 名前からして外国の人なのだろうか?確かに整った顔立ちをしているが・・・

 そう考えていた宇野。そしてそれに答えるかのようにエミリカが、


「その通り、ウチはエミリカ!江見 里香、略してエミリカよ!」


 と自己紹介して胸を張る。その胸、制服の左胸に江見と記載された小さな名札のバッチがついている。


 そして名前が里香、江見里香、略してエミリカというわけだ。


 宇野は思った。



・・・いや、全然略になってないし、フルネームじゃないか!



 それが、宇野一弘という少年と、少女エミリカとの出会いであった。




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