5-5 ずいぶんと意地悪なご質問をなさるのですね

 悩んだあげく、結局は左手の薬指を差し出すことにした。

 店員は一瞬で見当をつけ、素早くダミーの指輪を通してゆく。最初に16号。それから前後のサイズの15号と17号。


「お客様、いかがでしたか?」

「うーん、16号が一番しっくりくるかなあ」

「はい、16号ですね」


 驚いたのは、ハジメの指輪のサイズが俺よりもひとつ上だったということだ。

「私は17号がちょうど良いと感じました」

「えっ、そうなのか」


 たしかに、奴はほどよく筋肉のついた体つきをしていて、一方の俺は少し痩せ形の部類かもしれない。

 だが、まさか指の太さまで違うとは。


「ご主人様はもう少し栄養のあるお食事をお召し上がりくださいませ」

「お前なあ、こんなところに来てまで小言はやめろよ」

「……失礼しました」


 俺たちのやり取りを微笑ましいと思っているのか、店員はにこやかに見守っている。


「それでは、お名前やご住所などの情報をご入力ください」

「私が入力させていただいてもよろしいでしょうか」


 ハジメがそう言うので、任せることにする。

 そのあいだ、俺はぼんやりと店内を眺めて待つ。


 外から差し込む日の光が、壁に斜めの影を作っている。

 ショーケースの中のダイヤモンドが光を受け、様々な角度に光を反射する。店内のパンフレットは高級路線だったりパステルカラーだったりとさまざまだ。

 他の客たちの会話や足音が店内を流れるクラシックと混ざり合い、ゆるやかに溶けてゆく。


 ふと窓の外に目をやると、プロムナードを歩いてきた二人組の若い女性が窓に貼ってあるポスターを見てきゃっきゃと楽しそうに盛り上がり、店のドアをくぐる。

 俺はさりげなく彼女たちに場所を譲る。

 悪くない気分だった。


「お待たせいたしました。ご主人様。購入手続きが完了いたしました」

 ハジメに声をかけられ、頷く。

「ああ。おつかれ」


 仕上がりは二週間後で、指輪は自宅に配送されるという。

 セミオーダーだから時間がかかるのは当然のことだが、ハジメの薬指が空いているのを見てどことなく複雑な思いがした。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 帰りのバスに揺られながら、ハジメはずっと上機嫌だった。

 俺と目が合うたびにふわりと口元を緩める。もうあの輪ゴムをつけるそぶりも見せなかった。

 だが、ここにきて俺はひとつの疑念を抱く。


 ――ハジメこいつが、俺とのペアリングを喜ぶはずがない。


 出会ってから数か月間、俺はかなり悪質なユーザーだった。

 型落ち品だの中古だのと罵り、気に入らなければ無視をし、出されたコーヒーでさえも気分によって飲んだり飲まなかったりしていた。

 ハジメはその頃のことを気にしていないようだが、本当のところはわからない。

 俺自身がどんなに悔いていても、過去を変えることはできない。


 今でさえ、俺は決して良いユーザーではない。

 指輪を欲しがったハジメの薬指に輪ゴムを巻き、ハジメ自身にそれを外させた。

 本物の指輪を買ってやるにしても金額が高いからと気を遣わせるありさまだ。

 ユーザーとして、俺はあまりに不甲斐ない。

 ましてや、そろいの指輪をつけるほど価値のある人間だとは到底思えない。


 だから、ハジメが喜んでいるのは、ペアリングを買ったという事実ではない。

 おそらくペアリングを買ったことに対して喜んでいるのだろう。


 ハジメが本当にそろいの指輪をつけたかったのは、俺ではなく以前のユーザーとだったのかもしれない。

 でも、何らかの事情でそれが叶わなかったのではないだろうか。

 ユーザーはハジメを手放すことになり、ハジメには後悔が残った。

 そのときの後悔を繰り返さないため、奴は指輪にこだわるのかもしれない。


 俺が奴の指に輪ゴムを巻いたとき、そしてそれをはずせと言ったとき、ハジメはなにを思ったのだろう。


「……ご主人様?」


 思考に沈んでいた俺の意識を、ハジメの声がすくい上げる。


「ん、どうした?」

「表情が優れないようですが、なにかご心配事でも? もしかして指輪の支払いの件でしょうか」

「いや、それは気にしなくていい」

「でしたら、ペアリングはお嫌でしたか」

「それはない」


 ペアリングなど、俺にとってはなんの意味もない。

 ハジメと結婚しているわけでもないし、永遠の愛を誓い合うわけでもない。

 ただハジメの不安を紛らわせるために買ったようなものだ。


「……帰ったら話すわ」


 そう答え、視線をふいと逃がす。

 バスの中でする話でもない。


 さきほどまでにこにこしていたハジメの表情が曇ったのを見て、ああ、俺はまた間違えたのだろうな、と心のどこかで思った。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 家に着くと、俺はすぐさまハジメに声をかけた。


「……ハジメ。ちょっといいか」

「はい。おうかがいします」


 これから話すことが決して愉快な内容ではないということがわかっているのか、ハジメは硬い表情で頷いた。


「まあ、座って話そうぜ」


 ダイニングの椅子へ視線を向け、そこへ座るように促す。

 もともとはひとつしかなかった椅子を、ハジメ用にひとつ買い足したものだ。


 ハジメが座ったのを見届けて、俺も正面の椅子に腰を下ろす。

 キッチンの換気扇の鈍い振動音が、やけに耳に響いてうるさい。


「ひとつだけ聞きたいことがあってな。前のユーザーについてだ」

 そう口にした途端、ハジメの肩が小さく揺れた。


「……先に申し上げておきますが、以前のユーザーに関する質問にはお答えできません。個人情報ですので」


 やはりそうきたか。

 だが、想定の範囲内だったので対策は考えてある。


「わかった。それなら、お前自身のことを聞かせてくれ」

「かしこまりました。それでしたらお答えできます」


 ハジメの黒い瞳を正面からじっと見据える。

 その色は、あのショーケースに並んでいたどの宝石よりも深い色をしていた。

 目を合わせたまま、静かに尋ねる。


「――前のユーザーのことを、どう思ってる」


 ハジメは困ったように微笑んだ。


「ずいぶんと意地悪なご質問をなさるのですね」

「いいから、早く答えろ」

「……はい」


 一度だけ目を伏せ、それから小さく息を吐く。

 ハジメの顔色は蒼白で、そっと触れただけでバラバラに壊れてしまいそうに見えた。

 ふたたび目を合わせたとき、もうハジメは微笑んでいなかった。


「率直に申し上げますと、私は以前のユーザーを好ましく思ったことは一度もございません」

「……え?」


 意外だった。

 てっきり、ハジメはまだ前のユーザーに未練があるものだと思っていた。

 だが、目の前にいるアンドロイドの表情は、俺のくだらない妄想をきっぱりと否定している。


「お話は済みましたか? でしたら着替えてまいります」


 そう言ってハジメは椅子から立ち上がる。

 俺は慌てて呼び止めた。


「ま、待て」

「まだ何か?」

「……その……今の、主人のことは……、どう思ってる」


 やっとの思いで絞り出すように尋ねる。

 それなのに、奴はふっと笑った。


「その質問にはお答えしかねます」

「な、なんでだよ……」

「最初に『ひとつだけ聞きたいことがあってな』とおっしゃったのはご主人様ですよ。そして私はすでにひとつお答えしました」

「なっ……」

「それでは失礼いたします」


 優雅に礼をすると、ハジメは軽やかな足取りでダイニングをあとにした。

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