第5話 水の精霊王オンディーヌ

 小屋に入ってきた女性は俺の知り合いだ。


「どうした? オンディーヌ」


 小屋を訪れた女性の名はオンディーヌという。

 俺の古い知り合い、いや友人といっていいだろう。


 正確に言うと、俺の幼なじみである大賢者の秘書兼代理人だ。


 今の大賢者は、国王よりも権力があり、聖教会より権威がある。

 その大賢者の代理人であるオンディーヌ自身も大きな権力を持っている。


「どうした? とグレンは聞いたの?」


 オンディーヌはそれ以上何も言わずに、静かにこちらに歩いてくる。

 長い髪は空色で、瞳の色は深い紺色。

 耳の先は長い。いわゆるエルフ耳というやつだ。

 その可憐さも美しさも、人間離れしている。


 そして、気づいている者は少ないが、実際人間ではない。

 オンディーヌは水の精霊王にして、大賢者の契約精霊である。


 俺の近くまで来たオンディーヌは、じーっと俺の目を見つめてくる。

 どんどん顔が近づいてきた。凄まじい圧を感じる。

 俺は圧に負けて目をそらしてしまった。


「……すまない。確かに聞かずとも大体はわかってはいるんだが……」


 大賢者、つまり学院長のところに監督生リルが不良生徒を連れて行った。

 それゆえ、学院長の秘書でもあるオンディーヌは、俺がトカゲの精霊を保護したことも当然知っている。

 そのオンディーヌが自ら訪ねてきたのだ。

 トカゲの精霊がらみなのは、さすがに俺にもわかっている。


 大賢者は幼なじみだが多忙が過ぎる。年に一度も会うことはない。

 大賢者のかわりとして訪ねてきてくれるのは、いつもオンディーヌだ。


「なぜ聞いたの?」


 最初のオンディーヌの問いは「私が来訪した理由が本当にわからないのか?」という意味だった。

 今度の問いは「わかっているのにどうして尋ねたの?」という意味だ。

 オンディーヌは非難するでもなく、純粋にわからないと言った様子である。


 オンディーヌはとても美しい人間にしか見えないが、本質は精霊。

 振る舞いも人とは少し違うことがある。


「すまない。問いに大した意味はない」

「そう」

「それに来訪のおおまかな理由は予測できるが、細かいところまではわかってない」


 精霊を保護した経緯を詳しく聞きに来たのか。

 トカゲの精霊の脅威度を測定しに来たのか。

 トカゲの精霊の育て方を教えるために来てくれたのか。

 もしかしたら学院で責任を持って、精霊を保護すると伝えに来たのかもしれない。


「一番の理由は簡単。私がグレンに会いたかったから来た」

「それはどうも。俺も会えてうれしいよ。オンディーヌ」


 俺がそういうとオンディーヌは、頬をピクリと動かした。

 いつもオンディーヌは表情ゆたかというわけではない。

 だが、これはきっと笑っているのだ。


「…………ふへへ」


 表情はほとんど変えずに、オンディーヌは変な声で笑う。

 なにやら照れているらしい。

 精霊だからか、やはり振る舞いが普通の人間に比べると少し変わっている。


「さて、オンディーヌ。精霊に詳しいよな」

「うん。詳しい」


 オンディーヌほど精霊に詳しい者は滅多にいない。

 何しろ精霊、それも精霊王である。

 だから、俺は明日にでも、こちらからオンディーヌの元に出向くつもりだった。


「この精霊をみてあげてくれないか?」

「……この子がグレンの保護した精霊」


 オンディーヌはじーっとトカゲを見つめる。


「……じゅ」


 トカゲは俺にしがみついたまま、オンディーヌをじっと見ている。

 警戒はしているが、怯えているわけではない。

 トカゲも、オンディーヌが自分と同じ精霊であるということに気づいているのだろう。


「そうだ。生徒にひどく虐められていてな。優しくしてやってくれ」

「大体の事情はリルとフェリルに聞いている」

「そうか。それでこの子を虐めた生徒はどうなったんだ?」

「もう精霊とは契約できない」


 やはり、監督生リルが予想していたように、契約術式と召喚術式を実行できない身体にされたのだ。

 精霊と契約できなければ魔導師としての職を得ることは不可能だ。

 非魔導師として暮らしていくしかない。


「あいつらは貴族の子弟らしいが……」

「うん。実家にも伝えている。今頃領地から当主がこっちに向かっているはず」

「それほど激怒しているのか?」

「してる」

「大丈夫か?」


 俺の身が危険になることは心配していない。

 大賢者が責任をもって対応するはずだ。

 だが、いくら大賢者が最高権力者であるといえど、複数の激怒した貴族を相手にするのは面倒だろう。


「大丈夫じゃないと思う」

「そうなのか? それはまずいな」


 何か手助けできることはないだろうか。


「でも、この子を虐めたんだから、親に怒られて当然」

「ん? 大賢者に怒ってるんじゃないのか?」

「どうして? 悪いことをしたのは生徒」


 どうやら杞憂だったらしい。


「しかし、バカ息子を叱るために領地から急行するとは。あんなこの親なのにまともな貴族なんだな」

「叱るためじゃない。土下座するため」


「誰に?」とはさすがに俺も聞かない。

 土下座の対象は大賢者だろう。


「叱るのはついで」


 最高権力者というのは伊達ではないらしい。

 大賢者を怒らせたら、貴族家自体がどうにかなりかねない。

 そういうことなのだろう。


 俺が大賢者の権力の大きさに、改めて感心していると、

「グレン。ごめんなさい。生徒が迷惑をかけた」

 オンディーヌが深々と頭を下げた。


「謝るなら、俺よりもこの子に謝れ」

「うん。ごめんなさい」

「じゅ~」


 オンディーヌはトカゲを優しく撫でる。


「オンディーヌ。この子が何の精霊かわかるか?」

「……わかる」

「何の精霊なんだ?」

「ぎゅる?」


 俺の問いに、オンディーヌは答えなかった。

 だが、撫でる手を止めて、俺の目をじっと見た。


「この子。呪われている。しかも進行中」

「呪いか? 召喚した生徒が呪ったのか?」

「違う。呪いは魔法とは別物。魔導師の卵風情に呪いは扱えない」

「そういえば、そんなことも聞いたことがあった気がするな」


 俺は元剣士で魔法全般に詳しくないので忘れていた。

 呪いは、一般的に回復魔法と呼ばれる物と同種の力。

 つまりは神の奇跡の一種である。


 かけられた人にとって有益な効果を持つ神の奇跡を回復魔法と呼ぶ。

 そして、かけられた人にとって厄介な効果を持つ神の奇跡を呪いと呼んでいるのだ。

 つまり、回復魔法も呪いも、魔法ではない。

 紛らわしいことこの上ない。

 回復系の神の奇跡を、回復「魔法」と名付けた大昔の奴に文句を言いたいところだ。


「この子が呪われたのは召喚される前」

「呪いの作用は?」

「いくつもある」

「全部教えてくれ」

「一、魔力を奪う。二、成長阻害。三、全身の異常。四、強い痛みと苦しみ。大きい作用はこのぐらい」

「……それは、かなり辛そうだな」


 かわいそうになって、俺はトカゲを撫でた。


「ぎゅる?」


 トカゲは首をかしげてこちらを見つめている。


「この子に出会う前、声が聞こえてきたんだ」

「声?」

「ああ、痛い苦しいといった泣いている声。あれも呪いのせいで苦しかったのかもな」

「…………そう」

「そういえば、今は痛いとも苦しいとも泣いてないな。痛くないのか?」

「ぎゅるぅ?」


 少なくとも、召喚されたばかりのときほど痛くも苦しくもなさそうだ。


「痛みには波があるのかもな」


 お腹が痛いときとかも波がある。それと同じかも知れない。

 そう思ったのだが、オンディーヌは首を振る。


「グレンにくっついているから痛みはましになっているのだと思う」

「ふむ? どういう理由で?」

「グレンとこの子は魔法的に相性がいい。だからましになる」

「ぎゅるるる」


 本当によくわからない。

 だが、詳しい説明を求めたところで、俺にはわからないだろう。

 元々俺は魔法には詳しくないのだ。

 その作用機序より、トカゲの痛みがましになるという事実の方が大切だ。


「痛みがましになっているとはいえ、魔力を奪われることも成長阻害も、全身の異常も、当然身体には良くないよな」

「良くない。中でも一番危ないのは魔力を奪われること」

「全身異常よりもか?」

「このぐらい魔力を奪われたら精霊は死ぬ。死んでないのがおかしいレベル。今でもいつ死んでもおかしくないとも言える」


 オンディーヌは淡々と感情のこもらない声で恐ろしいことを言った。


「ぎゅるる?」


 そしてトカゲは、そんなオンディーヌを見つめていた。

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