魔女の住む家

倉谷みこと

前編

「……なあ、魔女の家って知ってる?」


 畑中はたなか京介きょうすけが、唐突にたずねた。


「たしか、学校の近くにある古い洋館……だっけ?」


 と、小岩井こいわいみつるが思い出しながら答える。


 爽やかに晴れた空の下、二人は学校の屋上で昼食をとっていた。


 ふたりが通う高校では、晴れた日の昼時に限り屋上を開放しているのだ。


「その魔女の家が、どうかしたのか?」


 充はそう言って、卵焼きをひと切れ口に入れた。


 魔女の家というのは、この学校付近にある古い洋館のことである。誰も住んでいないはずなのに、家の中に人影が見えたり異様な光や異臭がするといった報告が多く寄せられる。そのため、本当に魔女が住んでいるのではないかとまことしやかに囁かれているのだ。


 充が知っている情報も、そんなうわさ話程度のものである。多少なりとも興味はあるが、新しい情報が出てくるとも思えなかった。


 京介はふっふっふと意味ありげに含み笑いをすると、


「この前、先輩が三人の友達と魔女の家に行ったらしいんだ。んで、家の中を探索してた時に、見たんだって」


「何を?」


「魔女だよ、魔女! そいつが追いかけてきたから、必死に逃げたんだって。その後、魔女について話し合ったんだけど、四人とも全然違うことを言ったらしいんだよ」


「全然違うこと?」


 充は、弁当を食べる手を止めていぶかしげに京介を見た。


「先輩が見た姿は、童話なんかに出てくる婆さんだったらしいんだ。でも他の三人は、髪の長い女だったとか、黒い人影だったとか、そもそも男だったとかみんなバラバラなんだって」


 不思議だよねと、京介が告げた。


 四人とも同じものを見たのであれば、その容姿についての証言は見た角度によって多少の違いはあるだろうが、ほぼ同じものになるはずだ。にもかかわらず、全く違う証言が出てきたというのだから首をかしげざるを得ない。だが、それは充の好奇心を刺激するには十分なものだった。


「へえ? なかなか面白い情報じゃん」


 そう言って、充はにやりと口角を上げる。


「だろ? 見る人によって見え方が違うなんて、ファンタジーみたいだよな」


 と、無邪気に笑う京介。


 だが、充はどこか真剣な目をしていた。


「充? どうかした?」


 親友のわずかな異変に京介がたずねる。


 充は、それには答えず弁当の残りをかっこむ。ペットボトルのお茶でそれを流すと、


「なあ、京介。今日の放課後、魔女の家に行ってみようぜ」


 と、子どものようにきらきらした瞳で提案した。


 もとよりそのつもりだったのだろう京介は、満面の笑みでうなずく。


 昼食を終えた二人は、放課後の探索に期待を膨らませながら屋上を後にした――。


 午後の授業も終わり、多くの生徒が部活動に向かう中、充と京介は真っ直ぐ裏門へと向かった。


 魔女の家が、学校の裏門から出たところにある住宅街の中に建っているからだ。


「もし、本当に魔女に会ったらどうする?」


 裏門を抜けたところで、京介が充にたずねる。


「んー……とりあえず、写真撮るかも?」


 疑問形で答えるが、充自身魔女に遭遇した自分を想像できていなかった。


「それで、写真に写った魔女と実際に見た魔女の姿が違ってたら怖いよね」


「たしかに、それは怖いな」


 そんなことを語りながら、二人は閑静な住宅街を進んでいく。


 スズメやカラスの声と時折聞こえる車の走行音を耳にしながら歩いていると、


「充、あれじゃないかな?」


 と、京介が声をあげた。


 彼が指さす方を見ると、一軒だけ雰囲気が違う家がある。おそらく、それが目的の場所だろう。


 二人は顔を見合わせると、同時にうなずいて駆け寄った。


 そこには、きちんと手入れされた生け垣と錆びかけた簡易的な門に囲われた洋館が建っていた。黒い三角形の屋根に焦げ茶色の柱とはり、その間を埋めるように焦げ茶色の壁がある。


 それだけなら、他の住宅とさして違いはないように見える。だが、その一画だけ異様な雰囲気が漂っているのだ。


「ここ、だよな……?」


 充が、目の前の洋館を見つめながら京介に確認するようにたずねた。


 緊張しているのか、その声はどこか震えている。


 京介も視線を正面に向けたままうなずいた。


 住宅街特有の静けさもあって、世界に自分たち二人だけしかいないような錯覚を覚える。


 充は一つ深呼吸をすると、


「行くぞ」


 意を決したように告げて、門に手をかけた。


 門には鍵はかかっておらず、少し力を入れただけでギィ……と音を立てながら開いた。


「お邪魔します」


 申し訳程度にそう言って、二人は敷地内へと足を踏み入れる。通学バッグを門付近に置き、スマートフォンだけを持って探索することにした。


 門から少し歩くと、洋館の玄関ポーチに到着する。その左側には庭へと続くだろう道があった。


 庭の方も気にはなったが、二人は建物の内部から探索することにした。


 夕方で、しかも外は晴れているというのに、玄関に一歩足を踏み入れると灯りが必要なほど薄暗い。不気味な雰囲気の中、得体の知れない冷たい空気が二人を包む。


「なんか、寒くね?」


「うん、寒いよね。外は、全然そんなことなかったのに」


 と言いながら、二人はスマートフォンのライトで足元を照らしつつ玄関ホールを進んでいく。


 家の中は、ほこりが積もっているものの意外に整頓されている。


「もっと荒れてんのかと思ってたけど、そうでもねえのな」


 充が、素直な感想を口にする。


「もしかして、本当は人、住んでたり?」


 おどけた口調で京介が告げると、


「それにしちゃあ、鍵開いてるとか不用心すぎねえ?」


「はは、たしかに」


 その瞬間、どこからかドアを勢いよく閉めたような音が聞こえた。


「――っ!?」


 肩を震わせた二人は、顔を見合わせる。


「い、今のって……」


「お、大方おおかた、風でドアが閉まった音だろ」


 ここには自分達しかいないのだからと、充が告げる。


「でも、風なんか吹いてなかったよ」


 京介がそう言うと、


「と、とにかく! 先に行こうぜ」


 と、充は強引に話を切り上げた。


 玄関ホールの中央まで来ると、右側に伸びる廊下がある。それを挟むようにしてドアが左に三つ、右に一つ設置されていた。


 二人は震えながらも、ドアの先を一つずつ確認していくことにした。


 まず、右側のドアを開ける。そこには、品のいいアンティーク調のテーブルとソファーが置かれていた。おそらく、客間として使われていたのだろう。


 壁には、腰までの高さの棚が備えつけられていて、多数のガラス細工が置かれていた。


 ライトをあてて確認してみるが、それらが何に使われていたのかはわからない。ただ、下手に扱ったら壊れてしまうだろう繊細なものだということは十分理解できた。


 それにあたらないように、落とさないように慎重に探索を進めていく。すると、かすかに女性の笑い声のようなものが聞こえた。


(……ん? 今の何だ?)


 立ち止まり耳をすましてみるが、何も聞こえない。


 気のせいかと思い探索を再開すると、先ほどよりもはっきりと女性の笑い声が聞こえた。


「――っ!?」


 充は声にならない悲鳴をあげる。


「充!? どうしたの?」


 後ろにいた京介がたずねると、充は振り返って女性の笑い声が聞こえたことを告げた。


「え、うそ? 聞こえなかったけど……」


「マジで? そこから聞こえたぜ」


 そう言って、充は部屋の中央を指さした。


 しかし、そこにあるのは家具だけだった。


「気のせいじゃん? それか、魔女を見たいって思ってるから、何かの音がそう聞こえたとかさ」


 と、京介がつとめて明るい口調で言う。


「そうなのかな……?」


 つぶやいて首をかしげる充。


 だが、考えていても答えが出るはずもない。


 まあいいかと気を取り直した充は、京介とともに部屋から出た。向かい側のドアを手前から確認していくと、脱衣所と浴室、トイレ、収納スペースになっている。だが、これといって変わった様子はなく、先ほど聞こえた女性の声どころか物音一つ聞こえない。


 何もないことに落胆と安堵を感じながら、二階へ続く階段を横目に廊下を進む。すると、一メートルも進まないうちに突き当たりにさしかかった。そこには、ガラス戸が設置されている。


 扉を開き、スマートフォンのライトで中を照らす。正面に仕切りがあり、空間が左右にわけられていた。


 わずかの逡巡しゅんじゅん、充は左側へと足を進める。そこはキッチンなのだろう、コンロやシンクなどが備えつけられている。


 収納棚らしき戸や引き出しを開けると、包丁や菜箸、ボールなどの料理器具が多数収納されていた。それらはとてもきれいに手入れされており、こと包丁にいたっては最高の切れ味だろうと思えるほどの鋭利さだ。ここは本当に空き家なのか? と、疑いたくなるくらい整頓されている。


 二人がキッチンを探索していると、仕切りの向こうからきひひという笑い声が聞こえた。


 二人は、弾かれたように同時にそちらへ顔を向ける。


「――っ!」


 息を呑んだ充は、隣にいる京介と顔を見合わせる。薄暗くて顔色まではわからないが、彼が驚愕しているのは明らかだった。


 ゆっくりと顔を部屋の奥へと向ける。二人が視線を向けた先――仕切りの向こう側に人影のようなものが見えたのだ。


(まさか、本当に魔女……?)


 速まる鼓動を鎮めようと浅い呼吸をくり返しながら、奥を照らすようにライトを向けた。


 いかんせんスマートフォンのライトのため、あまり遠くまでは照らせない。だが、それでも人影らしきものを確認するには十分だった。


 そこにいたのは、暗い色の長袖ワンピースを着た長い黒髪の女性だった。


 次の瞬間、その女性はきひひという不気味な笑い声をあげながら、二人の方へスーッと近づいてきた。その動きは、歩いているというより地面を滑っているかのようだった。


「うわあああああああああああああっ!!」


 二人は悲鳴をあげながら、その場から一目散に逃げ出した。


 廊下の中ほどまで来ると、立ち止まって顔を見合わせる。


「京介、さっきの見たよな?」


「うん、見た。あれって……魔女、だよね?」


「たぶん……」


 充は、力なくそう答えた。確証がないため、どうしても推測の域を出ない。


「さっきの奴、俺には髪の長い女に見えたんだけど、京介は?」


「僕もそう見えたよ」


 京介の言葉に、充はわずかに安堵した。相手と同じ姿のものを見たことに、うれしさがこみあげてくる。


 だが、ほっとしたのもつかの間、きひひという不気味な笑い声がどこからともなく聞こえてきた。


 二人は、短い悲鳴をあげて駆け出した。一心不乱に廊下を走る。玄関まではそれほど遠くないはずなのに、なぜか廊下がとても長く感じる。


 走って走って、ようやく玄関にたどり着いた。絶望しかけた心に一筋の光がさす。


 これで出られる! そう思った矢先のことだった。ノブに手をかけドアを開けようとする。だが、開かない。


(え? なんで!?)


 充は焦りながらも、必死にノブを回しながらドアを押したり引いたりする。ドアノブが回るのだから、鍵はかかっていないはずだ。しかし、それでもドアは開かない。


「充、何してるんだよ?」


 焦れたように京介が口を開く。


「ドアが開かないんだよ!」


 そう言い放ち、充はドアに体当たりする。が、やはりびくともしなかった。


「そんな……! じゃあ僕達、閉じ込められたってこと!?」


「ああ、そういうことだよ」


 と、充は悔しさといらだちを言葉に乗せて告げる。


 絶望が二人を包もうとする中、充は舌打ちするときびすを返して廊下を戻る。


「ちょっ……、充! どこ行くんだよ?」


「客間。あそこにも、出られそうな窓があったはずだから」


 振り返ることなく充はそう告げる。


「あ、待ってよ!」


 京介は、慌てて充の後ろをついて行った。


 客間に着いた二人は、脇目も振らずに窓へと向かう。鍵をはずして横に引こうとするもびくともしない。


「くそ! いったい、どうなってんだよ!」


 と、充は窓のガラスを強く叩いて悪態をつく。


 きひひひひひ。


 突然、あの不気味な笑い声が聞こえてきた。


 びくりと肩を震わせて、二人はゆっくりと辺りをうかがう。だが、声は聞こえても姿どころか気配さえない。


 それは、次第に大きくなり客間全体に響き渡る。両手で耳をふさいでも、効果はほとんどなかった。


「う……ああああああああああ!」


 京介がいきなり叫びだした。あまりにも不気味な声に耐えられなかったようだ。


「京介!?」


 充が、振り向きざまに声をかける。


 だが、それがいけなかった。充の声に弾かれるように、京介は脱兎のごとく駆け出した。


「あ、おい。待てよ! 京介!」


 充が呼び止めようとするが、京介には届いていないようで。そのまま、客間から出ていった。


 充は、舌打ちをすると京介の後を追う。


「京介、待てって! きょ――」


 客間を出たところで、充は自分の目を疑った。京介の姿がどこにもないのだ。


「うそ……だろ?」


 無意識に、言葉が口をついて出る。


 キョロキョロと辺りを見回してみても、誰もいない。それどころか、あれほど響いていた笑い声もいつの間にか聞こえなくなっていた。


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