ドラゴン・チェイサーズ!2 ~農筋からは逃げられない!~

武石勝義@『神獣夢望伝』発売中!

第1話 先立つものが無ければ始まらない

 先立つものが無ければ始まらない。

 それは人類が一惑星を飛び出して、銀河系を股にかけて生活するようになってからも、古今東西多くの人々を悩まし続ける万物不変の真理である。

 今日もまた銀河系人類社会の片隅、辺境中の辺境にある惑星エンデラで、ひとりの女性がその真理に悩まさていた。

「まずい、まずい、まずい!」

 デスクチェアに長身を埋めて、黒檀のような肌の上に脂汗を滲ませながら、大振りすぎるアフロヘアを掻き毟る彼女の名はオクシアナ・タヴァネズ。太い両眉の間にくっきりと縦皺を寄せる様が板についた、ここエンデラ自治領の総督――つまり最高責任者だ。

 タヴァネズはここ数日、判を押したようにずっとこの調子である。執務室に入るなり端末に齧り付き、そこに映し出されたメッセージを何度も食い入るように読み返し、やがて無言で頭を抱えて、最後に今のように喚き出す。

 もはやルーティーンと化した彼女の行動に呆れ声を投げかけたのは、壁に背を預けて腕を組む、フライトジャケットを羽織った厳つい男であった。

「いい加減にワンパターンで見飽きたぞ。もう少しひと捻りしろ」

「誰が捻るか!」

 タヴァネズはただでさえぎょろりとした大きな目をさらに見開いて、その男――トビーの顔を睨みつけた。

 トビーはこの星の巨大現住生物『龍』を執拗に追い続ける、陰では龍追い人ドラゴン・チェイサーとも綽名されるハンターだ。だがここ最近は龍の活動がすっかり鳴りを潜めているため、渋々ながら副業の保安官職を務めている。

 今日の彼はその保安官として定期報告のために訪れた総督府で、もはや何度目になるかわからない、上司の落胆ぶりを目撃したところであった。

「いつものことじゃねえか。こんな鄙びた星に金を貸す酔狂なんて、そうそういるわけねえんだ。嘆くほどのことじゃねえだろう」

 もっとも彼がタヴァネズを本当に上司扱いしているかと尋ねれば、鼻で笑うだろう。なにしろタヴァネズから血走った目を向けられても、トビーは額の火傷痕を引き攣らせるだけで、鋭い目端から見返すグレーの瞳には少しも恐れ入る様子がない。タヴァネズはこれまで何度も彼のその表情を目にしたが、その都度同じように腹立たしさが込み上げる。

「他人事みたいに言うな。お前だってエンデラの住民だろうが!」

 八つ当たり気味に吠えながら、タヴァネズはトビーの顔に指先を突きつける。

「官民問わず融資を断られ、本国からの支援も大幅に減らされて、この調子だとエンデラは遠からず財政破綻だ」

 エンデラはこれまで、銀河系人類社会の雄国たる複星系国家バララトの、いち植民惑星であった。それが自治領という立場に格上げされたのは、つい半年前のことである。それによって何が変わるのかというと、エンデラは軍事外交以外は自由な裁量を得て、本国は口出ししない代わりに援助を減らすこととなった。

 エンデラの住民の自由意志を尊重する措置と呼べば聞こえは良いが、要するに本国からはこれ以上面倒を見られないと突き放されたに等しい。

 だがトビーは我関せずといった顔で、ジャケットの内から細長い金属製の管――ベープ管を取り出した。

「別にこの星が破綻しようがなんだろうが知ったことか。いざとなったらよその星に移るだけだ」

 そう言うとトビーは管の端を咥えて軽く吸い込み、そして離した口から一塊の水蒸気の煙を吐き出す。ベープはこの星では老いも若きも口にする、ありふれた嗜好品のひとつである。

 白い煙に塗れたトビーの顔を、タヴァネズは憎々しげに見返した。

「お前ら住民がいつまで経ってもその調子だから、エンデラは本国からも見放されるんだ。未だにろくな税金も取れない、住民の自治を叫ぶ声も上がらない。いずれ軌道エレベーター塔の運営もままならなくなるぞ」

 軌道エレベーター塔は、宇宙港と地上を結ぶ唯一の他星系との連絡施設というだけではない。恒星光発電で得た電力を集約してエンデラの住民に供給する、まさにライフラインの根幹なのである。

「このままだとエンデラは正真正銘の無法惑星にまっしぐらだ!」

 とっくの昔にそうなっているだろう、とはトビーもさすがに言わなかった。代わりに手にしたベープ管をくるりと回してから、その先をタヴァネズの顔に向ける。

「そうならないよう考えるのが総督、お前の仕事だろ」

「だから総督と呼ぶな!」

「お前、まだそんなこと言ってるのか……」

 タヴァネズはエンデラが植民惑星の頃からこの星の最高責任者だったが、まさか自治領総督の座まで押しつけられるとは思わず、今でもその呼称を毛嫌いしている。彼女がその肩書きを得たのもまた半年前のことだが、未だに総督呼ばわりを嫌い続けるとは往生際が悪いのか、それとも執念深いと言うべきか。

「とにかく報告は終えたぜ。それと、明日から三日間はフロート市ここを離れるからな」

 これ以上つき合っていられないという本音を隠そうともせず、トビーはそう言い捨てるなり背を向けた。だが彼の最後の台詞を、タヴァネズが聞き咎める。

「待て。明日からここを離れるとは、なんだ」

おかに行くんだよ」

おかだと」

 ふたりがいる総督府も含む、エンデラ唯一の都市『フロート市』は、その名の通り海上に浮かぶ巨大なメガフロート上の人工都市だ。軌道エレベーター区画と連結されたフロート市には、エンデラの総人口の半数がひしめいている。残る半数は海を隔てた向こうのおかで、鉱山や農園を営んでいる人々が大半だ。

 だが入植から三十年経つ現在も、両者を連結するパイプ・ウェイは未だに建造されていない。その原因は単なる予算不足とも船便業者の妨害によるとも、様々に噂されている。いずれにしろフロート市とおかを往来するには、通常は船舶を使うしかない。

「もしかしてジェットヘリを使うつもりか?」

 ただしトビーには、保安官特権で使用を許されたジェットヘリがある。もちろん原則的には私用禁止だが、トビーがその原則を守るとは誰も思っていない。

「使わねえよ」

 だが今回、トビーはジェットヘリを乗り回すつもりはなかった。肩越しに振り返りながらそう答えると、タヴァネズはいかにもつまらなそうな顔を見せる。

「そうか。事前申請が無い限りジェットヘリの使用は週一に限るという、先日の通達を忘れたのかと心配したが、杞憂だったか」

「露骨に残念そうな顔しやがって、どの口が心配とかほざく」

 なにしろ今のエンデラでは推進剤も貴重だということで、トビーが足代わりに使っていたジェットヘリの使用回数まで制限されたのは、つい先週のことである。財政破綻など関係ないと嘯いてみせたトビーだが、実のところその影響はじわじわと肌身に感じている。

 ただでさえ辛気臭いこの星を取り巻く状況が、さらに悪化しつつあることは、どうやら間違いないらしい。

「今回は船だ。農園に野暮用がある」

 そう言ってトビーが再び背を向ける。タヴァネズはもはや興味を失ったかのように「農園ね」と頷きながら、ふと思い出したように告げた。

「ソリオに会ったら、きりきり働けと伝えてくれ」

 タヴァネズが何気なく口にした名前に、トビーは執務室のドアの前で足を止めた。

 それはひと月前までトビーが成り行き上コンビを組まされていた、にやけ面がよく似合う女誑しの名前であった。だが彼女の台詞が意味するところに心当たりがないトビーは、怪訝な顔で振り返る。

「……なんの話だ」

「なんだ、知らないのか?」

 いつの間にか黒いベープ管を取り出していたタヴァネズが、驚いたという表情でトビーを見返す。そして唇の端から白い煙を漏れ吐きながら彼女が口にした内容は、トビーにはまったくの初耳であった。

「お前の相棒は今、農園で絶賛下働き中だ」

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