第19話 告白

 友達以上恋人未満

 クリスマスの日に確信した彼の気持ちを確かめることなく、私はそう自分たちを位置づけた。

 たぶん、それがお互いが一番傷つけあわないぎりぎりの境界線。

 それでも私は幸せだった。

 いつからか、お互い苗字でなはなく名前で呼び合うようになったこともうれしかった。そして、初詣も一緒に行く約束ができた。


 一瞬振袖が頭に浮かんだが、成人式も迎えていない私がそんなもの持っているわけもなく、お気に入りのワンピースを着た。でも一月はまだ寒い、どんなにおしゃれをしてもみなコートの下に隠れて見えないのだが。


「お待たせ」


 待ち合わせの時間には、いつも先に健一君が待っていてくれる。

 その日もやはりそうだった。

 私がそういうと、彼は少し照れたように笑った。

 それから私たちは、地元でも一番大きな神社へとお参りに行った。

 やはり大きいだけあって人の数も半端じゃない、それを目当てに神社へと続く道にも、いろんな屋台が軒を連ねている。

 大勢の人の波にもまれながら、ようやくお賽銭箱の前までくる。

 彼はいつものように、ポケットから小銭を無造作に取すとそのまま放り投げた。

 私はそれを隣で微笑みながら見守ると、自分は家から持ってきた五円玉を一枚投げ入れる。


(どうかこれからもずっと、健一君と一緒にいられますように)


 そして毎回神様に祈っていたことを続けて祈る。


(学校に行けますように。お父さんお母さんに迷惑がかかりませんように)


 祈ってから、ズキリと心が痛んだ。

 隣に立つ彼をそっと盗み見る。

 彼もちょうど祈り終わったらしく、目が合う。

 またズキリと心が痛んだ。

 私は胸を押さえながら小さく微笑んだ。


「混んでたね」


 人ごみを抜け出し、屋台のほうまできたころには、私はいつもの元気な仮面をつけていた。


「なにか食べようか?」


 私がそういうと彼は「でも、この混みようじゃ大変でしょ」といったので。私は一つの甘味所を指差した。

 その時、


「あっ」


 私の少し前で、子供が持っていた風船がその手から離れた。

 おもわず、その風船を目で追う。

 真っ赤な風船は、真っ青な大空へどんどん昇っていく。

 どんどん、どんどん、まるでその先になにかがあるように、そして、さっきまでここにあった風船は、もうはるか上空、とても手の届かないところまでいってしまった。


(あんな風に自由に空を飛びまわるのは、とても気持ちいいだろうな)

(人も死んだらあの風船のように、大空を自由に飛び立てるのかな)


 いつのまにか風船は、小さな点になっていた。


「人は死んだら、どうなるんだろ……」


 そこでハッとした。


 自分はずいぶん永い間考えて浸っていたような気がする。

 ふと後ろを振るかえると、健一くんが呆然とした顔で立っていた。

 一瞬過ぎる不安、なにかとんでもない事を口走ったようなきがする。

 でも「どうしたの? いこ」それを誤魔化す様に元気に私は言った。


 健一君の手をひきながら私は願った。

 彼に、悲しい思いはして欲しくない。

 自分がいなくなったとき、彼の傷が浅くてすむように。


 そう思いながら違う考えも浮かぶ。

 それでも彼に悲しんでもらいたい。

 私がいなくなってもいつまでも彼の心に私を刻み付けていたい。

 だから私は彼のこの手を離せない。


 握っている手に力を込める。

 私を救ってくれた人。

 私に家族以外の愛を教えてくれた人。


 神様、私はなんて我侭なんでしょう。


 帰り道、もうすぐ家につくというころ、彼がだんだん無口になっていくのがわかった。

 どうしてなのか理由はわからない。

 いや、確かめるのが怖かった。


「ちょっと、話していかないか」


 彼が重い口を開いた時、私は困ったように顔を曇らせた。

 いつもなら、そんな顔をする私に彼はそれいじょう無理はいわない。

 でも、今回の彼にそれは通じそうに無かった。

 私はあきらめて、彼について公園のベンチに座った。


「ごめんね、なんか怒らすようなこと私いったかな」


 私は心のどこかでわかっていながら、そんなことを訊いた。

 なんてズルイ女なのだろう。

 私は私が本当に彼に相応しくない、どうしょうもない女だと思った。

 それでも、できるなら彼に笑っていて欲しい、悲しい顔を見たくない、苦しんで欲しくない。

 しかし、私の願いとは裏腹に、彼はとうとう決定的な言葉を口にした。


「『人は死んだら、どうなるんだろ』」


 ズキリと心が痛んだ。

 やはり言葉になってしまっていたんだ。

 無意識の問いかけ。

 後悔してもしきれない。

 なぜ私は声にだしてしまったのだろう。それも決して悟られてはならない相手に、一番気がついて欲しくない相手に。


「ちょっとそう思っただけだよ、別に深い意味はないよ」


 わざとらしいぐらい明るい声で言ってみる。

 しかし、その時、彼の悲しい瞳と目が合った。

 嘘をついている自分を見透かすような真っ直ぐで真摯な瞳。


「ごめんなさい」

「なんで、そんなこといったの」

「……」


 さっきまでほんのり明るかった空も、もうすっかり暗くなっていた。


 なんで、そんなこといったのなんて、なんで聞くの?

 なんで、貴方がそんなことを私に聞くの?


 私は、心の中でそう叫んでいた。

 全部、貴方のせいなのに。

 そんなことを、そんな真摯な目で聞く彼が少しだけ憎かった。


「私、小さい時から、体弱かったから、昔はいつも『死』について考えていたの」


 それでもどうにか誤魔化そうと思った、まだ誤魔化せると思った。

 でも次の瞬間言葉が考えるよりさきにあふれ出していた。


「でも、健一くんと出会ってから、この半年は本当にそんなこと考えなかった、でも、あの時、神様にお願いしてた時、つい、考えてしまったの、もし、私が死んだら、健一君は悲しむんじゃないか。私は死ぬのは怖くない、でもあなたが悲しむかもしれないと思ったら、急に怖くなった。死んでなにも残らないのが怖くなったの」


 きっと私は誰かに聞いて欲しかったんだ、ずっと、私の心のわだかまりを、誰かに聞いてほしかったんだ。


 生まれつき体が弱い。

 人よりちょっとだけ免疫力が弱い。

 ただそれだけ。

 たったそれだけの違いなのに、私の周りにはいつも死の影が付きまとっていた。


「彩は死なない!」


 ふいに、彼がそう叫んだ。

 私はうれしかったが、


「人は、誰でも死ぬんだよ」


 まるで大人が子供に諭すようにやんわりと言った。


「でも、死なないんだ、俺が…」


 首を横に振りながら彼は叫び続ける。


「俺が、将来すごい医者になって、彩を助ける、だから彩は絶対死なない」

「ありがとう、そうだね。健一君がお医者さんになったら、私心強いな」


 私は心がほんのりと暖かくなっていくのを感じた、それと同時にどうしようもない、悲しみが私をおそう。

 私はそれまで生きられないかもしれない。

 それでもそういってくれる彼の言葉がうれしくて、私は精一杯微笑もうとした。

 そう思った時、いきなり強い力で抱きしめられた。 

 一瞬呼吸さえ止まるかと思ったほど強くその腕は私を抱き寄せた。

 そしてその強さ以上に、その言葉は私の心を強く打った。


「泣きたい時は泣け! 怖かったら、怖いって言え! もう一人で抱え込むな! もうそんな顔で笑うなよ。俺の前では、本当の彩でいていいから」


 その時、自分の中で何かが壊れるような音がした。


 どうして?

 どうして彼はこんなにやさしいの。

 どうして彼は私が欲してる言葉がわかるの。


 ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。

 それはまるで壊れた蛇口のように、自分の制御の枠の外で次から次えと、涙を雨を降らせ続けた。


「怖いよ……」


 もう隠すことも騙すこともできない。

 死ぬのか怖くないなんて嘘だ、本当は怖くて怖くてしかたなかった。

 でも心配させたくなくて言えなかった。

 少しの熱でもすごく苦しいのに、苦しいと言えなかった。

 これ以上両親のつらい顔を見るのが、「こんなに体に産んでごめんね」と謝られるのが辛くて私は大丈夫って笑うしかなかった。


 泣き続ける私を、彼はただ黙って抱きしめてくれていた。

 やさしくいつまでもいつまでも私の頭を撫ぜていてくれた。

 いったいどのくらいそうしていたのか、辺りはすっかり夜の闇に覆われていた。


「健一君、ありがと」


 心が軽かった。

 今までずっと心の奥底に、泥のように溜まっていたものが全て出て行ったようなそんな気分だった。


「彩――ちゃん」


 そういえばいつのまにか呼び捨てにされていた、彼もそれに気がついたのか慌てて”ちゃん”と付け加える。


「彩でいいよ」


 私はそれがおかしくて、そう答えた。


「彩」

「何?」


 彼の言いたいことはわかっていた、でももう私は逃げない。


「彩が今まで感じたこと、考えてきたことを全部わかるとはいえないけど、これからは、僕も一緒に感じて考えていきたい」


 私は真っ直ぐに彼をみすえた。


「僕と付き合ってもらえませんか」


 健一君の真摯な瞳がそこにあった。

 私はもう何も怖くなかった。

 その瞳があるかぎり、私は独りで泣かなくてすむそう確信した。


「はい」


 それはいつもの作った笑顔じゃなく、自然な笑みだった。


「ありがと」


 それから彼は恐る恐る私の額にキスをした。


「くすぐったいよ」


 空中で視線が絡んだ。

 私は目を瞑った。

 彼はまるで壊れ物を扱うようなやさしいキスをした。

 私の頬に最後の涙の雫が静かに流れた落ちた。

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