第二十二話 塗り替えられる想い


 しばらく帰る気になれなかった詠は人気のない場所を探すように歩いていた。さすがに学校を休んでいるのに、誰かに見つかるのは具合が悪い。だが、香夜のいる家に戻るには、まだ心の整理がついていない。今後、どのように香夜と接していけば良いのだろう。


 嘆息をしながら行く当てもなく歩いていると、携帯水晶スマホが鳴った。


 詠はノロノロした動作でポケットから携帯水晶を取り出す。

 叔母である深月の名前が表示されていた。買い物でも頼まれるのだろうか。携帯を耳に当てる。


「どうしたの?」


 そこから告げられた言葉は一瞬にして詠から冷静を奪った。


「……はぁっ?」


 ──香夜が病院に緊急搬送されたと、深月から言われたのだ。


「どこの病院っ?」


 伝えられたのは、ここから徒歩二十分はかかる大きな市営病院だった。

 走れば十分ほどでつけるだろうか、携帯電話を切る時間ももどかしく、詠は駆け出した。



 病院に着き、受付で香夜の場所を聞くと、集中治療室にいるという。

 焦燥に心が焼けつきそうになる。

 集中治療室の前の椅子には、深月と、駆けつけてくれたのか、レナがいた。


「香夜の容態はっ?」


 深月が首を横に振る。


 香夜の症状は、──魔力欠乏症。


 魔力交換の授業で習ったことだ。

 思春期以降に魔力交換を怠ると、魔力が澱むようになる。これを放っておくと清浄な魔力が体内を循環できなくなり、魔力欠乏におちいる。そうなると死にいたる場合もある。

 

 今、医者が複数名で魔力を注いでいるが、まったく受け付けない。


 実はここ最近、深月では、香夜と魔力交換できなくなっていることを初めて知った。


 詠は? と聞かれるが、自分は遊園地に行ってから、魔力交換をしていなかった。香夜からの好意に危機感を覚えて避けていたからだ。悔いるように唇を噛む。


 このままでは、香夜は……


 医者が出てくる。

 このまま魔力を受け付けないようであれば今夜が峠であることが告げられる。


「待ってください」


 レナが訴える。

 詠の魔力は香夜に拒否られたことがなかった。もしかしたら詠ならば──


「確かに、患者に近しい人ならば可能性はある」


 集中治療室内に案内される。

 治療台に横になる香夜はあらゆる方法で魔力を注ごうとしているが、接続アクセスすらできていない。

 香夜の顔は真っ青で、生命力がごっそりと抜け落ちていた。呼吸をしていなければ死人のようですらあった。


 詠はその光景に息を呑むが、首を横に振り、香夜の手をとる。

 想いを込めて言葉を発する。


「──『接続アクセス』──」


 できた。

 医者の魔力が弾かれるなか、詠の魔力だけが香夜に受け入れられた。

 澱んだ魔力を吸いあげ、自分の魔力を注いでいく。どれくらい魔力交換を続けただろうか、彼女の顔に血色が戻ってきた。


 香夜がうっすら目を開けた。


「……にい、さん」


 目が本当に嬉しそうに細められた。


「愛してるわ」


 詠はその言葉に想いを揺るがされた気がした。

 その瞳が詠をとらえて離さない。


「ずっと、そばにいて……」


 心に楔を打ち込まれた。

 香夜はその言葉を残して、また意識を失った。


 香夜は一命をとりとめたが、消耗が激しく入院することになった。

 医者から香夜は詠以外の魔力を受け付けないことを聞いた。


 非常に稀有な症例であること。

 身体的な問題はないので、おそらく精神的なものだが、このままだと香夜は詠がいないと生きていけないと告げられた。


 呆然として何も考えられなかった。

 深月が悲痛に顔を伏せる。


 病室に移られ、こんこんと眠り続ける香夜は、あまりに消耗しているため点滴にて栄養の補給を受けている。定期的に詠と魔力交換をして完全に安定したら退院できると言われた。


 レナが詠を呼んだ。

 ちらりと深月を見てから、病室の外に連れ出される。

 人気のない廊下の片隅で彼女はこう言った。


 ──香夜を助けてください。


「香夜はいい子です。あなたのことを愛しています。だからこそ、あなたに他に愛する人がいるならば、遠からず香夜はあなたから身を隠すでしょう」


 ──あなたに迷惑をかけないために。


「俺は迷惑だなんて絶対に思わない!」


「でも、あなたが他の人を愛する隣にずっといることに香夜の心は耐えられない。あなたの負担になることも絶対に望まない。だから彼女はあなたの元を去るでしょう。」


 そして──


 その先は言われなくてもわかった。


「でも、ふたりで幸せになる方法あるんです。兄妹でもずっとそばに入れる方法が」


 ──結婚してしまえばいいんです。


 何を言い出すのだ。


「俺たちは、血がつながっているんだぞ」


 わかっています、とレナは言い、それもこれで解決できます、と続ける。その方法は──


「互いにしか魔力交換できなくなればいいんです」


 ──そういう法律があるんです。

 

「まず前提条件として一等親、つまり実の親と子の近親婚は、例外なく禁止です。同様に、二等親間の婚姻も原則、、禁止」


「原則って、つまり……」


「はい。例外となるケースがあります。他方の存在が、他方の生命維持に不可欠なこと。また、双方に対して成立することが絶対条件です」


 詠は息を呑んだ。

 双方の存在が互いの生命維持に不可欠であるという意味か。


「現在は生命維持に関して、香夜の片方向ですが、おにいさんも香夜としか魔力交換できないようになれば、成立します」


 詠は絶句とした。

 言葉が出てこない。

 そんな詠を見て、レナは冷たく言い放った。


 ──無理なら、どうか香夜を見捨ててください。


「先程も言いましたが、あなたが他に愛する人──梨紅せんぱいを選ぶのであれば、香夜の心は耐えられません」


 レナの瞳がこちらを貫く。


「あなたの前から姿を消すか、または、あなたの魔力すら受け付けなくなるかもしれません。そうなれば結果は──死です。なら、絶望に塗れて死ぬよりも、香夜はここで死ぬことを選ぶでしょう。そしてあなたの心に傷をつけて一生残り続ける。ある意味あなたと共に一生いられるのですから」


 ──さあ、選んでください。



 ●△◽️

 


 梨紅は何を言われたのかわからなかった。


「ごめん」


 詠は梨紅の前から去った。

 それだけではない。


 病院に──香夜の元に行ったのだ。

 脳裏には先ほど詠から告げられた言葉がこだましていた。


 ──これからは香夜のためだけに生きていく。


 理由は聞いた。

 香夜が詠の魔力しか受け付けられなくなったら。彼女が生きていくためには詠が必要で、──そして彼も香夜の魔力しか受けつかないようになる。

 そして、ふたりは結婚をする。


「なんだ、それ」


 詠までおかしくなったのだと思った。

 世界がおかしくなり、周りの人がおかしくなり、想いを共有できるはずだった詠もおかしくなった。


「は、ははは……」


 笑いさえこみ上げてきた。

 このおかしな世界で、だたひとり生きていかなければいけないのか。

 いっそ自分もおかしくなってしまえばこんなに苦しくないのだろうか。


「赤坂さん……」


 そこに声がかけられる。

 由希だ。


「大丈夫?」


 なんとか頷いた。

 その様子を見て、由希がより心配そうにする。それから躊躇う素振りをみせたが目を閉じて頭を下げてきた。


「ごめん、さっきの聞くつもりはなかったんだけど……」


 詠との話を聞かれたらしい。


「僕でよかったら相談にのるよ」


 気遣ってくれているのは分かったが、梨紅は無言で首を横に振った。

 これは、現実世界が魔法世界に変わったことを知る詠としか共有できない悩みであり、──たった今それももう叶わなくなった。


 由希は困ったように笑った。


「僕では、なにも助けになれないかもしれない。だけど傍にいることはできるよ。──ずっと」


 その言葉は真摯で、想いに溢れていた。彼の感情がつたわってくる。

 自分を心配してくれている。

 そして、好いていてくれる。


「僕だったら、赤坂さんを傷つけたりしないよ」


 だから──と彼は続ける。その後は言葉にしなくても伝わった。

 彼の想いが自分の心にふれた。


「うん、いいよ」


 想いが塗り替えられていくのがわかる。


「付き合おう」


 もう、どうだってよかった。

 自分の想いは、香夜に負けたのだ。

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