第19話:兄、最大のピンチ

隆太はある事に頭を抱えていた。それは、年に1回~3回ある兄弟引き渡し訓練だった。この訓練は有事の際に保護者が迎えに来られない兄弟もしくは児童が同じ学区の上級生と一緒に一斉下校するというものだ。


 その訓練が今度の木曜日にあるが、現在はある事情があり、学校に行けていない。そのため、悠太と柚月は隆太が迎えに行けないということになる。


 そして、柚月は以前に比べると症状は安定してきたが、今度は成長したことで隆太も悠太もこれまでに感じた事のない問題が起きていた。


 それは“自分が自力で歩けていないことが恥ずかしい”という心情の変化だ。彼女も小学校3年生になり、周囲と自分の身体が違っていることを認識し始めていた。そして、彼女はみんなのように動けないことで周囲に対して“みんなみたいに動けなくてごめん”・“誘ってくれるのに一緒に出来なくてごめん”と自分が出来ない事にフォーカスするようになったのだ。


 悠太は“柚月は柚月だから誰も嫌わないよ”と言って慰めていたが、彼女の場合は3年間で出席したのはわずかに1年半程度しかない。そのため、ある時は“幼稚園に戻りたい”・“幼稚園の友達に会いたい”など小学校の友達よりも幼稚園の友達や病院の院内学級に通っていた子で、いつも病室に来て遊んでくれていた同級生や上級生に会いたがる場面が増えていた。実は彼女は今回の兄弟引き渡し訓練が初めての参加になり、これまでは柚月はいなかったため、同じグループの子供たちに先生が1人帯同する形だったが、今回は柚月と夢乃ちゃんと雪乃ちゃんという双子の姉妹が3学期からこの学校に転入してきたばかりの2年生の転校生(=転入生)としているため、6年生が全体をまとめるのだが、兄弟で引き渡したのち集団下校だったため、2人を誰に引き渡す必要があるのかが明確に出来なかったのだ。


 そして、当日は兄弟引き渡し訓練に参加できた家庭は少なく、兄弟引き渡し後の集団下校と保護者引き渡しで混乱を招くなど訓練をする際の課題もたくさん見つかったが、何より恐かったのは悠太だった。というのは、当日は両親のお迎えは仕事の関係で来ることが出来なかったため、集団下校で帰宅したが、万が一有事になった場合に柚月は走れないことが多く、早く歩くためには歩行用の松葉杖が必要になることもあるため、階段などにつまずいてしまう可能性があるのだ。


彼女は以前も地震があった時にベッドの上から動けなくなり、揺れが収まるまでベッドのフレームにつかまって待っていたこともあり、これが学校だと逃げ遅れてしまう可能性があるのだ。そして、2人の学年である3年生の教室が3階にあるため、地震が起きてからすぐに逃げる事は難しいし、大雨や火事などの場合は誰かに支えてもらわないと下まで降りるには時間がかなり掛かるのだ。そこで、悠太は有事の際には柚月を自分で介抱し、先生の協力が必要な場合には先生と一緒に避難することも検討されていた。


 その一方で隆太は“受験に向けて何とか学校に行かなくてはいけない”という使命感のような使命感が強くなっていた。


 そして、彼の場合は受験生の通う塾に通うことも必要だった。しかし、彼は“塾に通いたい”ということをなかなか両親に言い出せずに2年が経ってしまっていた。そして、6年生から塾に入ったとしても周囲とのレベルの差が歴然になっていて、彼のメンタルではパンクしてしまう可能性は十分に感じていた。


 その後、彼の通う小学校で受験希望の児童を集めた講習会と保護者面談が行われていた。しかし、彼は自分の殻を破らないといけないと思いつつも彼にとっては学校に登校することを以前は何とも思っていなかったが、あの事件以降は授業参観だけは“行かないといけない”という気持ちが先行しており、授業参観が終わったのちに家で過ごしたいと思ってしまったのだった。


 あの事件とは柚月が退院して間もない頃に柚月と一緒に登校していた彼が上級生と同級生のグループから「おい!シスコン。お前はそんなに妹が可愛いのか?お前みたいなやつ見ていて気分が悪い」と言われたことで隆太が「自分の大切な妹だから一緒にいて悪いのかよ」と言い返すとその日の昼休みに別の場所に同級生に呼び出され、呼び出されている隙に隆太のランドセルや教科書などがゴミ箱に捨てられ、帰ってくると隆太の机があった場所は空になっていた。


 そして、担任の先生に今朝会ったこと、やられたことなどを相談したが、先生からは「その子たちに注意しておくね」と言われただけで、彼が求めていた答えとは違っていたのだ。そして、先生に注意されたことで逆上した同級生が家の近くで待ち伏せして他の兄弟に危害を加えようとしたことやこの同級生にも弟や妹がいるが、その子たちが悠太と柚月と仲良くしていると分かると「あの家と関わるな」と言って、無理矢理引き離そうとしていたこともあった。


 それから彼の中では“誰も守ってくれない”と思うようになり、家族の前でも何もないと思わせるために明るく振る舞い、弟や妹にもそんな素振りを見せることなくここまで来たが、彼の気持ちはごまかせても、彼の身体はごまかすことが出来なかった。


 そのいじめを受けて以降、定期的に蕁麻疹(じんましん)のような斑点(はんてん)が出ることや吐き気や頭痛に悩まされることも増えていった。彼は家族がいない時間はリビングなどをレースカーテンにして、外から見えないようにして過ごすこともあったが、基本は横になっている時間が長くなっていたことも事実だった。そして、彼は妹たちが帰ってくる時間が近づくと急いで自分の部屋に戻り、1人で過ごすようになった。彼の部屋は2階にあるが、2階には他にも姉と弟と妹の部屋があり、学校から帰ってきた柚月と悠太が歩いている音が聞こえるのだ。そのため、帰宅したことも分かるし、2人が話しているとその会話も聞こえる。そのため、隆太はベッドに潜って布団を被りながらその場をしのぐことが習慣になっていた。


 今は学期が終わるまであと3週間程度あり、卒業式や終業式などもその間にあることから悠太と柚月が話しているのは卒業生の話題や春休みに何をするかなど二人の中では胸が躍るような感覚なのかもしれない。


しかし、隆太は今の卒業生が早く卒業して欲しいと思っていた。なぜなら、今休んでいるのもいじめてきたリーダーは今年卒業する6年生にいるからだ。そして、その人がいなくなることで学校に行ってもいじめられるというリスクはかなり減り、1つ頭を抱える悩みが減ることになる。


 彼は今学期学校には行けないと思っていたし、両親も「隆太はいつ学校に行く気なのか?」と彼の不登校が長期化していたことで不安に思っていたのだ。


 そして、彼は学校に行けなくなったことで塾も休んでいて、塾長が授業は時間になると彼のタブレットに映像が送られてきて、授業をオンラインで受講できるように塾長が配慮してくれたのだ。この好意に対して彼は喜んでいた。なぜなら、彼は勉強をしたいと思っていたが、まだ習っていないところが多いため、学校の勉強も塾の勉強も上手くはかどらなくなっていたのだ。その影響は彼の精神的な面にも大きく影響していて、彼は次第に塞ぎ込むようなことも増えていた。

 ある日の午後に母親が慌てて帰ってきていた。彼は「何かあったのかな?」とは思ったが、特段気にしていなかった。


 母親が帰ってきてから30分後に“ピンポーン”と家のインターフォンが鳴り、母親が玄関のドアを開ける音がした。


 そして、母親が「こんな時にご足労いただきありがとうございます。」とやたら丁寧に対応していたため、もう1度、部屋のドアを静かに開けて、階段の角から下を覗いた。すると、どこかで見かけたことのある人がそこに立っていた。そう、インターフォンを鳴らしたのは担任の田川先生と学年主任の東野先生だった。彼はその姿を見た瞬間に体中から冷や汗が流れているような、悪寒がするような感覚に襲われたのだ。


 そして、母親が話を聞いている途中で父親も一時帰宅したのだろうか、下から両親の声が聞こえている。


 そこで話されていたのは隆太のこともあったが、先生は“学校に来てもらわないと僕が悪者になってしまって・・・”という自己防衛を始めた。


 実は、先生は次年度の担任選考の当落線上にいた。理由は隆太を含めた複数の児童に対するいじめ発生時の担任対応の甘さと緊急対応が必要だったにも関わらず報告を怠ったことなど重大インシデントとして校長先生から厳重注意を受けていて、仮に担任から外れる可能性がある場合には副担任やクラス補助教員もしくは教員業務から外れて特任研修(前年度に重大インシデントを起こした当事者が半年間の再教育と新任者研修でやった内容の再研修などが行われる)への参加を命じられるかが通例になっており、校長先生が提示した現時点での対応は後者だった。そのため、担任の先生としては隆太をはじめとする不登校になっている児童を何とかして登校させることで、校長先生の不信感を払拭しようと必死だった。

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